XX界の四天王(してんのう)と言えば、その世界で最も力のある四人を指すようです。もっとも実力があり、人気もある4人であり、その世界を代表する人々です。そもそもこの四天王とはどんな王なのでしょうか?
仏教を守る四神が四天王だと、ものの本には書いてあります。お釈迦様の仏教なのになぜ神なのでしょうか?どうも四天王を知るためには”神様”の話から入る必要がありそうです。
”神”と称される対象は世界中にその存在が語られていますが、直接会うことはまずできない不思議な存在です。
神様の話としてはギリシャ神話が有名です。古代ギリシャの民族が生み出した神様についての話です。ギリシャ神話は今でも西欧人の教養の基礎になっているようです。
日本では古来から山の神とか川の神などさまざまな自然神を信仰の対象にしていましたが、キリスト教が伝わる前のヨーロッパでもかつては自然神を信仰し、お地蔵様に似た像が今でも橋のたもとに残っているそうです。神様の怒りを鎮めて洪水から身を守ろうとする古くからの信仰は世界共通と言えそうです。
ユダヤ人の伝説には唯一神ヤハウェが登場します。そしてイエスをその神の使いで救世主キリストであると信じるのがキリスト教です。同じ唯一神を”アラー”と呼び、預言者をムハンマドとするのがイスラム教ということになるため、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は共通の神を持つことになります。
ピラミッドを残した古代エジプトの時代に信仰されたのは太陽神”ラー”でした。世界中の各民族に見られる神話は創造神話と英雄神話からなるようです。
ギリシャ神話に登場する英雄はヘラクレスです。彼はネメアのライオンを退治したり、レルネー湖の多頭の蛇ヒュドラを退治したり、黄金の林檎(りんご)を手に入れたりと活躍する勇者ですが妻の嫉妬は退治できず、自らを火葬してしまいます。
日本神話に登場する英雄は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。頭と尻尾がそれぞれ八つある八岐大蛇(やまたのおろち)を退治します。そのとき尻尾の中から出てきた剣が三種の神器の一つで天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と呼ばれています。後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名前を変え現在でも名古屋市熱田区の熱田神宮に祀られています。
古代インドの神話に登場する英雄はインドラです。仏教が生まれるまえの古代インドではバラモン教が信仰されていました。バラモン教では詩人達が神の啓示によって作ったとされるヴェーダを聖典としていました。その聖典(神話)にはさまざまな神が登場します。
雷神インドラ、火神アグニ、律法の神ヴァルナほかです。このインドラこそ紀元前1500年前にインドにやってきたアーリア人を英雄的戦士として描き神格化したものです。
かつてイエスが教会でユダヤ教の教義を教えられて育ったように、釈迦は悟りを開く前はバラモン教の僧侶に教えられて育ちました。
そして釈迦の時代の原始仏教が始まったあと、雷神インドラは帝釈天(たいしやくてん)と名を変え、仏教の守り神になります。その帝釈天に仕え、須弥山(しゆみせん)の中腹にある四王天の主が四天王です。
四神四天王はそれぞれ、東方に持国天(じこくてん)、南方に増長天(ぞうじようてん)、西方に広目天(こうもくてん)、北方に多聞天(たもんてん)と、四隅に配置され武器を持ち邪鬼を払い、守りを堅めます。
そんな仏教が日本に入ってきたのは聖徳太子の時代(飛鳥)の6世紀でした。当時は積極的に大陸文化を受け入れた時代であると同時に病によって民も天皇も亡くなる時代でした。さらに日本古来の神を祀る氏族であり仏教文化の受け入れには反対していた物部氏や中臣氏らの豪族と、受け入れに積極的だった蘇我氏が対立していました。
蘇我氏は物部氏を587年に滅ぼして政治の実権を握ります。女帝であった推古天皇の摂政となった聖徳太子は小野妹子(いもこ)を隋に派遣して国交を開き、護国の神四天王を祈願して日本仏法最初の大寺、四天王寺を建立したとされています。
釈迦が説いた説法に始まる仏教は釈迦の入滅後、おびただしい数の教典が作られました。仏教をさらに複雑にしているのは、仏教以前のバラモン教の神々が仏教の守護神として取入れられたこともあるようです。
仏教は日本に伝わってからさらに複雑さを極めます。奈良時代に神仏習合と言って、日本古来の神とも結びついたからです。なぜお地蔵様が地蔵菩薩なのかなどよく分からないことも多くありますが、四方を固めた四天王に守ってもらいたいという状況は今も昔も変わらないようです。
-2001/11/3
■参考リンク
●当サイトは全ページリンク・フリーです。連絡も要りません。
Copyright(C) 2000-2006 xSUNx(サン) all rights reserved.