気温も体温に近づくにつれ挨拶が”暑いですね。”に変わります。そしてあまりの暑さゆえに100m標高が高くなると1度気温が下がるという理屈さえ信じられなくなります。もちろんその理屈の通りに富士山頂は涼しすぎるのです。
ある年、山開き前日の6月30日の夜中に着いた五合目はさわやかそのもの。それからご来光を拝むためにそして涼むために、そして日本一の山頂を目指して歩き始めました。編者は軽装、頭が回らない証拠でしょうか?これは大失敗でした。
木々の間の道無き道を歩き、山小屋を横目で観ながら、さらに岩石の合間を歩き、それが過ぎると砂利道になって山頂に到着する頃には空が少しずつ明るくなってきました。下界を見るとそこはまさに雲の海。待望のご来光を拝むことができました。まるで仏様になったような気分です。
ところが暖かそうなのは景色だけ。山頂の温度は4度。空気は薄くいくら息を吸い込んでも足りないくらい。坂を歩くとすぐに息が切れる。風もあるから涼しすぎる。その山頂で食べた暖かいラーメンが地獄に仏の如く美味かったのを覚えています。そのスープの水分と温かさが貴重品。
その時、富士山レーダーの基地内にお邪魔する機会がありました。そこで語られたのがやはり水の貴重さ。お風呂には残雪を溶かした水を使うそうで、実に贅沢というかそのための手間を考えるとお気の毒。
山頂に登る苦しみと寒さを味わって、「富士山は登るものではなく遠くから眺めるものだ。」と解ったようなことをいいつつ、次の年も同じようなメンバーで登ってしまいました。
-2001/7/2