「もし世界中の人達が共通の言語を持てばまたよからぬ事をたくらむに違いない」。聖書に書かれたバベルの塔の話は、なぜ国や地域によって話す言葉が違うのだろうかという疑問に対して与えられた、よく知られた回答の一つと言えます。
ネットが発達した現在ならなおのこと、もし使う言語が同じなら、世界中のよからぬ事をたくらむ人々がネット上で集って、とんでもないことをしでかすかも知れません。
その真偽はともかく、使う言葉が違っていると不便なことばかりが気になります。洋画を見ても何を喋っているのかよく分からないし、せっかく海外で素晴らしい本が出版されても邦訳が出るまで待たねばなりません。ハンバーガーという英語を使っていながら、隣の国でも日本のハンバーガーショップでも、英語を喋る外国人をみると逃げだす店員が多いようです。
全人類の先祖ではないかと言われているアフリカの女性が、もし初めから言葉を喋っていれば、少なくとも世界中で話される言葉の語順くらいは同じになっていたかも知れません。ところが日本語と同じような語順の言語はハングルやモンゴル語くらいのものです。
遠く離れた国の複数の研究者が殆ど同時に同じ発明をすることは意外に多いようです。それはそうした発明に必要な条件がそろってきたためだと推測できます。距離が離れているためにお互いに気が付かないまま同じ研究を続け、たまたま同時期に同じ発明をするのです。もし、どちらからがかなり早く発明していれば、早い方の発明が受け継がれるはずです。
甲骨文字に始まると言われる漢字は約3000年前に始まったとされています。アルファベットの元になったとされるフェニキア文字は今から約3000年以上前に成立したそうです。表意文字と表音文字の違いがあるとは言え、殆ど同じような時期に始まったためにお互いがそれぞれの文字をもう一方の地域に伝えるには距離が離れすぎています。
文字が出来る前に話し言葉がありました。その話し言葉も、気の利いた誰かが先に喋り始めたに違いありません。すぐ傍に居た人が意志を伝える有効な手段と気づいてそのしゃべりを真似ていったのでしょう。もちろん、これがいつ頃なのか、文字が使われるまえなので記録はないことになります。喋ることに巧みな人の技を距離の離れた別の人々に伝える前に、おそらく、同じくしゃべりに巧みな人が別の地域にも現れたことが考えられます。
人類最初の家族の中にその喋り名人が居たとすれば、世界中は同じような言葉を使っていたに違いありません。でも、現実がそうではないということは、そんな名人が現れたのは遠く離れて暮らすようになってからのことだということになります。
しかし、これらの仮説は言葉を単純に意志を伝え合うためだけに用いた場合の話です。ハングル文字のようにすでに漢字が存在するのにその国の話し言葉に適した独自の文字が新たに発明されることもあります。ロシア文字はわざわざ別の国の人にわかりにくくするために、アルファベットをひっくり返したのだそうです。鹿児島弁が独特のイントネーションを持っているのは他の地域の人に何を喋っているのか分からないようにするためだという話を聞いたこともあります。かつての薩摩藩に限らず、仲間内にしか通じない言葉を好んで喋ることはよくあることですが、それが発達して方言にはなっても、言語として独立するまでにはなりません。
いろいろな言語が存在するのはその数の分だけ、喋ることや文字を使うことに卓越した才能を持った人物がその地域で生まれたからだということになりそうです。それぞれの言語はその才能ある人の知恵を受け継いでいるということになります。
これはつまり、バベルの塔の仮説を否定することになります。したがって、世界中の人達がコンピューター言語という共通の言語を使って、協力して進めている、たとえばDNAの解析のような行為は神の意志に逆らっているわけではないと言えることになります。
それとも、人間は別々の言葉を喋るようにして、人間全体がある一点に力を集中しない方がいいという事なのでしょうか?
-2002/3/25
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