殺意を抱いて計画を立てそれを実行した後で後悔しなければその人は確信犯です。自分の信念に基づいた殺人なので、殺人は正しかったと信じており、やるべきではなかったと、後悔することがありません。
加害者の小学生の場合、殺人を思い立ってから四日間で実行に移しています。何かにとりつかれていたかのように四日間が通り過ぎ、気がつけば殺人を犯していたという現実が目の前にある。理性を追いやる怒りという原始の指令によって殺人に及んだもののようです。
四日間もその怒りが発散されることなく温存され殺人が実行されたことになります。ネットは掲示板やチャットに限らず、一方通行のホームページでさえ、一対一のコミュニケーションツールだと個人的には考えています。つまり、間に入って混乱を収めてくれるような人が入りにくいツールです。
面談の内容が少しずつニュースで伝えられています。しかし普通は、「重い」とか「ぶりっこ」と言われても、殺人にまでは進展しません。女児自身も周辺も、殺人の正当性を探しているかのようです。彼女が最も恐れているのは、自らの内面に潜む悪魔と向き合うことかも知れません。
実際は、誰の心の中にも悪魔が棲んでいる、と私は考えていますが、そんな気味が悪いものが居るなんて認めたくもないだろうし、知らない振りをして日々の生活を送っているのが普通だと思います。しかしそれでも、内面の悪魔が顔を出さないようにするために年齢と共に知恵を身につけてゆくのが普通です。
世の紳士淑女の皆さんは、内面の悪魔を退治した人たちではなく、少しの時間だけおとなしくさせることに成功している人たちだと思います。別の言い方をすれば、自らの中に棲む猛獣をおとなしくさせるための、猛獣使いの技を身につけた人たちです。
加害者の女児は大悪党なのかというと、もちろんそうではなく、親鸞聖人がかつて語ったように、業縁によるものだと思います。つまり、悪人だけが殺人を犯すわけでもなければ、善人だけが善をなすわけでもない。縁があって善を行ったり悪を行ったリする、ということです。
かつて麻薬が薬として使用されていた頃、その害が知られるようになってから、使用が制限されるようになったように、ネットも正しく使うための常識が、しかも我々がまだ気がついていないような常識が、あるのかも知れません。それは怒りを純粋培養させないようにするための新しい”常識”なのではないか、という気がしています。
-2004/6/5
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