長野県を信州に変えることを検討していることが、新年早々田中知事の口から出て話題になっているようですので、日頃から自分の都道府県名に異論のある人たちと共に、今日は県名について考えてみたいと思います。
長野県という名前は長野市が先にあって、市名を県名にしたという経緯があるだけではなく、どういう訳か、長野県全域を指していた旧国名の信濃の国の信濃あるいは別名の信州ではなく、長野県になってしまったようです。
どうも、江戸時代の藩名から明治以降の都道府県名に変えるにあたっては、地元の意見よりは、新政府の意向がかなりものを言っていたようです。
廃藩置県で最初に藩の名前を県名に変えた頃は300を越える県があったそうですが、その後統合されていったようです。その過程で、新政府に協力的な地域は藩の名前を、そうではなくて新政府と戦った藩は似てもにつかない名前に変えられてしまったとのことです。
廃藩置県は税金も兵隊も中央に集中させ、日本という国のくくりを際だたせて国全体を強くするためだったわけですから、その方向に向いていた、たとえば、薩摩や長州は一度それぞれ鹿児島藩と山口藩に変わり、その藩名がそのまま県名になったとのことです。
一方、米沢藩は山形に、伊達藩は宮城県にという具合に、新政府に反抗した藩は一部の地域の名前をとってつけられたりしてしまいました。
今は明治時代とは異なり、中央から地方に分散してゆく時代なので、中央から道州制の州名をありがたがって戴くようなまねだけはしたくないものです。それぞれが名前をあげてもめてみるのが良いのです。
県名を変えて欲しいと考えている県民は多いのではないでしょうか?ちなみに小田原藩は一度足柄県に改名させられた上に、その後神奈川県に統合されました。
もしかしたら、新しい都道府州県名を主張してゆくうちに、地域がどんどん狭くなってしまうのかもしれませんが、それもご愛敬で、もめた分だけ他に先んじたことになる、のだと思います。
-2004/1/6
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