その日に私が向かったのは駅前にある銀行。その二階にある窓口で、1ドル札で20枚ください、と若い行員にお願いしました。行員は奥の端末の前に座りレートを調べ、金庫からドルを出し、20ドルを持ってきてくれました。このサービスは両替業務をやっているところなら受け付けてくれるようです。
次に向かったのは、新宿と小田原・箱根間を結ぶ小田急線の相武台前駅です。この駅の北側の線路に平行して走る県道(行幸道路)を横断し、そのまま数分歩くと、ある施設のゲートにぶつかります。
普段は関係者以外立ち入り禁止ですがその日は施設の開放日。つまり、キャンプ座間が一般に開放される日でした。基地内には若干の桜が植えてあり、その日も
春のさくら祭りの最中でした。
中に入り坂道を下り左側に折れるとキャンプ座間の正面ゲートです。途中の道路脇には桜の木が植えてありその桜を眺めながら先へ進むと、ビールやジュースなどを売る店が出ています。このあたりは日本各地で行われるさくら祭りと変わりませんが、ここでは使える通貨にドルが加わります。円とドルの両方が使えるわけですが、円だとちょっと割高です。
その日は、ビール(バドワイザー350ml)が6本で900円程度。ドルで1本1ドルでした。日本のビールにかかる税金がいかに高いかがよく解ります。ジュースやコーラ類は1本50セント。私はそこで用意していた1ドル札を出してビールを買い、施設内の芝生に向かいました。芝生の上に座り、兵隊さんら(米陸軍楽隊)による生演奏を聴きながら、そして周囲の桜を眺めながら、ビールを飲むと言った具合です。
基地内にはコンパクトなアメリカがある、ということになりますが、ハンバーガーもフライドチキンもアメリカンテイストで、食べてみると日本の方が旨いことがよく解ります。日本の”食”を外から眺める意味でも、機会が有ればぜひお試しください。
このコンパクトなアメリカ「キャンプ座間」はなぜ存在するのでしょうか?座間市と相模原市の両市にまたがるこの基地には戦前陸軍士官学校があったそうです。卒業式には天皇陛下も出席されるため、突貫工事で天皇陛下の通り道として整備されたのが基地脇の県道(行幸道路)です。
この地は戦後になってアメリカ軍に接収されたわけですが、そもそも陸軍士官学校がここに移転してこなければキャンプ座間も無かったことになります。ここに移転してきた理由は、ここには平らな土地が広がっていたから、ということのようです。もしこのあたりが山ばっかりだったら、移転は無かったし基地も無かったと言えます。
基地として有用な土地は地域にとっても有用な土地であることを意味し、当然返して欲しい土地ということになります。
そんな基地を返還して欲しいと要求する場合、返還運動には二種類があるように思います。一つは地域と国防の共存に重きを置いた返還運動。もう一つはそれ以外の、あるいはより大きな目的のために行う返還運動です。
前者は騒音や基地周辺の混雑を避けるための一部返還などを求めるもので、全面返還という”名”より”実”をとろうとするものです。一方後者は全面返還を要求するので威勢は良いものの、基地側との接点がないため前進もせず、何の”実”もとれない、というものです。
特に全面返還を要求する場合、一部返還交渉を有利に進めるための運動なのか、それとも反対運動をするひとのための運動なのか、少なくとも誰のためにやっている運動なのかチェックする必要があるのかもしれません。
-2006/5/3
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