国旗や国歌についての想いは人によって様々だと思います。そうした個人の思想や信条はだれも侵してはならないと憲法にも謳われているようにこのコラムは編者と意見が異なる人を非難しようとしているわけではなく、ただ自分自身のなかにある日本人の心理を書いていることを先にお断りしておきます。
家庭の中では名字でお互いを呼ぶことがないように国歌や国旗も他国があるからこそ意識されるものだと思います。日本人が国旗掲揚や国歌斉唱で目を潤ませるのはオリンピックやサッカーなどの国際大会の場です。共にくやしがり、共に感激してテレビ放送は驚異的な視聴率を記録します。
ところが学校、企業などの団体の行事での国旗掲揚や国歌斉唱ではあまり盛り上がることはありません。そうした一見バラバラにも見えるまとまりの無さが多様性を認める民主主義の良い所だろうと思います。
戦後信じられないほどの復興を遂げこれでも経済的に反映しているとは言いながら、第二次大戦が敗戦に終わり、さらに内外に大きな被害をもたらした事は事実です。その負の記憶が関連するあらゆるものに重くのしかかっています。過去の思い出したくない屈辱的記憶を思い起こさせるのが国歌であり国旗であると考えます。そして集団の場で登場する国旗や国歌はかつての集団主義さえも想起させ、すなおに敬意を払うのが難しい理由はここにあるのかもしれません。
問題なのは自国の国旗や国歌に敬意を払えない人は他国のものにもまた敬意を払うことが難しいということです。少なくとも言えることは日本とは事情が違い国旗や国歌を大事にしている国が多いということでしょうか。米国の場合は様々な民族が星条旗の下に団結していると聞きます。まるで米国の国旗は出来の良い息子で日本のそれは出来の悪い息子のようにも思えます。気持ちの上ではもてあましぎみでもどちらも大事な息子であることには変わりはありません。
-2001/4/7
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