男としては悔しい話です。優れた頭脳が海外へ流出しているのは知っていましたが、”いい女”である大和撫子まで海外流出が続いているとは・・・。その大和撫子の流出をくい止めるべき世の男性達はどうしているのかと言えば・・・。これがアジアの女性達に夢中で花嫁を求めていたりするのです。日本はどうなっているのでしょうか?この件に関し生物学的、文化人類学的考察を試みたいと思います。
世に男と女が存在するのは、有性生殖によって次の世を担う子孫に多様性をもたらし、予期せぬ不幸の時代にもしぶとく生き残るためだとされています。種を蒔くだけのオスは如何に自分が種を蒔くに値するかを示すため、そしてメスを引きつけるために自分を飾って自己を主張します。孔雀(くじゃく)がその良い例ですが、そこで女性に求められるのはオスを見分けるための確かな審美眼です。
高等教育を受けた女性達がなんとか日本の企業に就職したとき、彼女たちのスキルは十分にその企業で活かされているのでしょうか?学生時代に留学しても、そこで得た語学力を活かす仕事に就けないのが実情です。そんな会社で男達から聞こえてくる声は”この不況で働けるだけまし”という、いかにも後ろ向きな意見です。
そんな日本の企業で見え隠れする孔雀の羽に魅力を感じなくなるのは当然で、審美眼を持ち、しがらみのない女性ほど日本企業を去ろうとするのは生物学的摂理とも言えます。
女性達が海外へその活路を求めるのは、日本がかつて持っていた風景をその”海外”に見いだしたためだとも言われています。その失ったものとはいったい何なのでしょうか?大和撫子が日本を去るのは寂しい話ですが、それが審美眼を持っているからだとすれば、それは日本が誇るべき大和撫子であるとも言えます。
-2002/6/24
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