2002年1月13日放送のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で最近の田中康夫長野県知事の動きが取り上げられていました。昨年の12月jに知事より発表された「県政改革ビジョン」によってさらに県職員や県議会の反発が強くなっているようです。
この「県政改革ビジョン」はなぜ反発をまねいているのでしょうか?改革のポイントは「
改革の基本理念」にあり、以下の4項目になるようです。
- 県民の意欲を生かし多様な公的活動を支える県政へ
- 現場を重視しディテールから変革する県政へ
- 成果を重視し「顧客」満足度を向上させる県政へ
- スピーディーに行動し日本の変革をリードする県政へ
この基本理念のベースになっているのが県民をお客さんととらえる考え方です。民間企業にとっては生き残りのための常識とも言えますが、意識を変えることは容易ではありません。その難しさが反発になってはね返ってくることになります。番組でも取り上げていましたが、なぜ意識を変えたくないのでしょうか?
- 民間企業はつぶれても地方自治体はつぶれないから
自治体が破産しても無くなることはないようですが、財政再建団体に転落するという憂き目にあうことになります。その憂き目とは自分たちで治めるという権利が奪われ、スポンサーである国の管理下におかれることになります。コストを下げなければいけなくなるため、、ゴミ収集、給食、介護などいろいろな行政サービスが民営化される可能性があります。そこで働いている職員は職を失うことはなくても、民間人として働くというケース(職員数の削減)は出てくると思います。
この財政再建団体にならないように腐心している都道府県はネットで探しただけでも大阪府、岡山県、神奈川県、東京都、などがすぐに見つかります。長野県の財政状況はどうなっているのでしょうか?県財政の状況によれば平成12年度の起債制限比率は16.4%で全国ワースト二位であり、平成15年度には財政再建団体に転落するおそれがあるとされています。
起債制限比率の意味の詳細は参考リンクにありますが、単純化すると自治体の財政規模に対して借金の元金と金利を合わせた返済金の比率と考えることができます。予算の16.4%が借金であるという意味ではなく、予算のなかで借金返済のために使われている比率ということになります。これが20%を越えるとこれ以上借金をすることに対して制限が加えられるようになります。
長野県がつぶれて無くなることはないですが、1、2年のうちに財政再建団体に転落する可能性はあるようです。
- 県民のニーズに応えていたら烏合の衆になるから
県民と呼ばれる一般庶民は長野県に限らずその昔、文字も読めないような人が多かったのですが、最近は様子が変わってきました。県職員の県民に対する考え方はかつての西洋人の東洋人に対する考え方に似ているように思います。当時の西洋人は「東洋人は好色で怠惰で、国を治める知恵もなく、肉体的にも劣っている。」従って自分たちが教え導かなければいけないというのが大義名分になって植民地支配が進められたと言われています。
文字も知らなければ情報も集まらず、従って判断を誤ることも多いということになります。今は文字を読めない人は殆どいなくなり、県政に関わる情報もネットの普及で長野県民でもない編者でさえ知ることが出来る時代になっています。烏合の衆は情報を得られなかった昔の話ではないかと思います。
”顧客満足(以下CS【customer satisfaction】)”という考え方を持ち込もうとしても誇り高き県職員の意識を変えることはかなり難しいと思います。これまで県政を担ってきたというプライドもあるだろうし、第一どうしたらよいのか分からないはずです。
それでも行政サービスに限らず民間の医療サービスもこのCSを重視する方向へ向かうのは時代の流れだろうと思います。それは何故かと言えば、目的がはっきりすることによって無駄を減らす効率化も合わせて進めることができると思うからです。
意識を大きく変えるための痛い方法の一つにはショック療法があります。県職員や県議員にとってそれは財政再建団体への転落、選挙での落選などがあります。
それでも田中知事の進め方に問題は無いのでしょうか?番組の中で知事と県職員との話し合いの中で”弁証法的アプローチ”という言葉が出てきたように思います。言葉は理解してもらうために使うものなので、その理解に役立っているのか疑問に思いました。実は編者も弁証法的アプローチという言葉が何を意味しているのかピンときません。
悔しいのでその意味を調べてみました。
”一度は正しいと信じながら、それを否定するものに気づき、両者の対立を越えるステップに進む”というのがヘーゲル【Georg
Wilhelm Friedrich Hegel(1770-1831)】による弁証法的な運動なのだそうです。これを長野県政に当てはめると
- 弁証法的アプローチその1
県職員であるなら誇り高い県職員でありたいと願うはずです。それでその誇り高き特権意識を持てる職員になれたとします。ところが、県民がいなければ県職員は存在意義がないということに気がつきます。住民の存在しないところに自治は必要ないからです。
県民が自分たちの存在のために必要なら、県民は大事な存在だということになります。大事な存在なら大切に扱う必要が出てきます。大事に扱うとは県民の声を聞き、その声を行政サービスに活かすことです。
そこで県民の声を聞いてそれを行政に活かす能力を持つことが誇りある県職員になることだというステップに進むことになります。
- 弁証法的アプローチその2
県職員から県知事を選ぶことが正しいことだと信じてそうした知事が選ばれ続けてきました。ところがそれを否定する田中康夫候補当選という事実に気づきます。
そこでこれまでの県政を続けたいと考える県職員と県民の支持を得て当選した県知事の間で対立がはじまることになります。そこでその対立を越えるために県民を顧客ととらえ顧客(県民)の満足度を増すという基本理念を知事が発表します。
ところが、対立はいよいよ激しくなっています。アプローチが前に進んでいるように見えないのは理念が間違っているためでしょうか?どうもそのようには思えません。
それなら知事の進め方に問題があるという事なのでしょうか?対立を越えない限り、弁証法的アプローチは今後も続くことになります。
(記述の誤りに気づいた方は
Mailにてご連絡頂ければ幸いです。)
-2001/1/13
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