今年は西暦2004年ですが、これは同時にイエスキリストの生誕2004年をも意味していました。そしてご存じのようにクリスマスはこの生誕を記念した行事です。ところが実際に生まれたのはその4年前くらいらしい、と曖昧なだけではなく、『イエス』の存在そのものがでっちあげではないか、と言う人もいます。実際存在したのでしょうか?また、なぜそうした疑問が生まれるのでしょうか?
イエスの誕生と死にはいくつかの謎があります。まずイエスが処女の母親マリアから生まれたという点が不可思議です。ご存じのように処女のままでは妊娠しません。マリアを神聖化するために後に処女性が強調されたようです。しかし処女ではなかった場合でも父親がマリアの夫ヨセフであるとは限らないようです。つまり誰の子だかわからない、というわけです。生まれた場所もパレスチナのベツレヘムなのかナザレなのかはっきりしません。
誕生した年も日も不明です。12月の25日のクリスマスは、すでに行われていた冬至の祭りについでにやるように合わせたとされています。
次にイエスの死についてですが、イエスの墓はあっても死体は無いそうです。これについては、イエスは罪を背負って処刑された後復活し、”神”になったため死体が存在しない、と説明されています。伝説めいた話であるにもかかわらずイエスを救世主と信じるキリスト教が急速に広まったのはどうしてなのでしょうか?
当時のユダヤ人はローマ帝国に支配されていて、帝国に反感を持っていたことやユダヤ教が、形式にばかりこだわり、そうした反感に応えてくれなかったことから、救世主の到来を待望していました。そこへイエスが現れたわけです。いや大多数の人は、現れたという話を聞いただけなのだと思います。
イエスが聖書で語られているような人物そのままであったかどうかはともかく、イエスをキリスト(救世主)として認めた人がキリスト教徒に、認めなかった人がユダヤ教徒として残ったようです。
その後キリスト教徒はローマ帝国に迫害されることになりますが、それでもキリスト教の勢いは衰えず広まり続けついにローマ帝国はキリスト教を公認することになります。しかし皮肉なことに、公認された後教会に強大な利権が生まれ中世には堕落し、信徒の期待に応えられなくなります。
ユダヤ教が堕落して信徒の期待に応えられなくなってきたときイエスが現れキリスト教が生まれ、中世にキリスト教が腐敗したときにはルターが宗教改革を起こしプロテスタントが生まれました。
世の中には信ずることのために集まる人と、権力にすがるために集まる人の二種類の人間がいるようです。
最近のアメリカでは、クリスマスシーズン(*1)を、宗教色を弱めるためにわざわざホリデーシーズンと言い換えて呼んでいるようです。なぜこのように呼ぶようになってきたのでしょうか?
アメリカ合衆国は宗教的な迫害から逃れて新大陸にやってきたピューリタンによって創られた”自由の国”である、との誇りが米国民にはあるわけですが、一方では、アメリカは,ヨーロッパであぶれた失業者や犯罪者や売春婦や結婚できずに売れ残った女たちが新大陸に渡って創った国、と言う人もいます。
アメリカが自国を誇らしげに語るためには、アメリカは自由の国でなければならず、宗教色の濃いクリスマスという言葉や行事を異教徒に押しつけてはならない、と考えているようです。
クリスマスという言葉が消えイエスの名が語られなくなることが、逆にイエスの教えや存在を証明することになる、と考えているキリスト教徒がいるのかもしれません。
-2004/12/19
(*1) アメリカの小売店で、年間売り上げの4割を売り上げるとされている11月から翌年1月までの期間。
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