深層心理関連コラム
《本文を含め関連コラムを集めたトピックスページです。更新は不定期です》

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それは『あらやしき』のせいか?

 たとえば生まれてから死ぬまでの80年間、目の前の景色を五分おきに写真に撮ったとしましょう。すると写真の枚数は1000万枚くらいになりますが、こんな膨大な情報を脳は蓄えているらしいのです。(*1)

 役に立つとは思えないようなものまで、どうして蓄えておく必要があるのでしょうか?それは、まさかのときに使うためだそうです。いつ役に立つのか解らないものまで、ついつい蓄えてしまうのは、どうも本能のしわざのようです。何を集めるかは人によってちがいますが・・・。

 せっせと蓄えた記憶は心の奥底にあって、我々の行動に影響を与えるわけですが、フロイトがいわゆる無意識の世界について語り始めるはるか以前に、仏教の世界では阿頼耶識(あらやしき)という言葉が使われていたようです。阿頼耶はサンスクリット語の発音に漢字をあてたもので、蓄える、今風に言うと、ストレージ、という意味があるようです。

 あらや識はあらゆる意識の根元になっていて、過去の自分の経験だけではなく、自分が生まれる以前の記憶まで持っていて、それが明に暗に個人に働きかけている、とされています。

 先祖の因縁とか輪廻(りんね)という話にもつながりそうですが、この因縁説は当時の、そして今も残っているインドの身分制度を正当化するために利用された、とも言われています。現在でも相変わらずインドでは貧富の差が大きいようですが、貧しくとも正しく生きれば、生まれ変わったときに幸せになれる、と教えるわけです。これに従う人が多ければ、不満があっても反乱は起こりにくくなります。

 このへんに不条理を感じますが、自分の知らない心の奥底のところから、いつの間にか意識に向かって指令が出されていて、それが自分の気分を動かし、結果として行動を決めている、というのは何となく解ります。

 つまり、たとえばこの前ついカッとなって喧嘩してしまったのも、あるいはマンションにろう城してしまったのも、何年も前に、年金に加入していなかったのも、危険と知りつつリコール隠しをしてしまったのも、すべてあらや識のせい、と言えなくもありません。

 もちろん、性格が良かったり悪かったりするのもあらや識のせいです。まるで悪魔のような気分が、いつの間にか心の奥底から湧いて出て、ついつい意地悪な言葉を発してしまうのも、あらや識のせい、です。

 あらゆる問題の99パーセントは、あらや識のせいだと主張することも可能ですが、残念ながらあらや識は、心の底に隠れているため、責任を取ってくれません。責任をとるのは残りの1パーセントの責任しかないはずの自分自身です。人に迷惑を掛けたのに謝ろうともしない人がいるのはこのためではないでしょうか?”自分は好きでこんな性格に生まれたんじゃない”という心の中の叫びが聞こえてきそうです。

 この厄介なあらや識とどうつきあうか、
 それは見えざる自分との闘いです。


-2004/5/20



気分転換とは何か?

 気分が爽快なので、ここで気分転換して不快な気分にしよう、などと考える人の話は聞いたことがありません。となれば、気分転換とは不快な気分を爽快な気分に転換することを意図した行為だと言えそうです。それでも、気分転換の方法が人によって、そして同じ人でも日によって違うのはどうしてなのでしょうか?

 不快な気分を避けるために気分転換を試みるわけですから、不快な現状から遠ざかるために、まず今いる物理的な場所から遠ざかるという方法がとられるのが普通です。何となくもやもやするから、外に出て虫干しをする、というケースがこれにあたりそうです。

 ところが、”外に出てもすっきりしない。どうも、これだけでは嫌な存在から遠ざかることにはなっていないらしい。” と気がついたとき気になるのは、”遠ざかるべき嫌な存在とは、もしかしたら自分自身なのかもしれない”、ということです。

 たしかに、それであれば、どんな遠くに出かけても、嫌な存在から遠ざかることはできません。それじゃあ絶望的じゃないか、ということになりそうですが、そうではないようです。

 遠ざかって保つべきは物理的な距離ではなく、心理的な距離ですから、自分自身を振り返る暇もないくらいに忙しく働くことで気分転換をする、という方法もあります。となれば、「忙しい、忙しい」と顔をほころばせながら働いている人は自分のことが嫌いなのでしょうか?

 そういうことじゃないようです。どこからも文句が出ないような健康な人でも、退屈そのもの、が最大の不幸らしいのです。そしてその退屈から逃れてせわしげに動き回れる無我夢中の時間を、わけもなく幸せな瞬間だと感じるようなのです。

 それはなぜなのか?DNAのたくらみなのか、それとも一度も会ったことがない神と呼ばれる絶対的な存在の仕業なのか?ともかく、気分転換の試みはそのようなカタルシスをつかみとるためのもがきなのかも知れません。

-2003/10/17


潜在意識と天才の関係

 最近潜在意識に関する本を読んだり、あるいはネットで調べたりしているうちに、かねてから不思議に思っていた”天才はなぜ天才と呼ばれるようになったのか”という疑問について何となく感じたことがあったので、忘れてしまわないうちにまとめて置こうかということで書いているのがこのコラムです。

 すでに別のコラムで書いたかも知れませんが、小さい頃は天才に憧れました。天才であることによって得られる名声や充実感を想像してそんな人になってみたいと考えていた時期があったわけです。

 ところが天才と呼ばれた人々の人生を知るに従い、あまりうらやましいとも思えなくなったのも事実です。天才でありたいと願うのは、それが自分が幸福になるための近道だと考えたからですが、天才達の生涯はあまり幸福だったとも思えません。発明王のエジソン【Thomas Alva Edison(1847-1931)】は特許出願で裁判に明け暮れ、ベートーベン【Ludwig van Beethoven(1770-1827)】は聴力を失います。女性の裸体を描いて傑作を残したルノアール【Pierre-Auguste Renoir(1841-1919)】も不満を多く抱えていたようです。

 脳生理学の専門家は生まれたばかりの脳は凡人も天才も同じだと言います。一方、天才であるということと知能が高いことは必ずしも一致しないと言います。知能が高いだけでは秀才にはなれても天才にはなれないということになります。

 このサイトでよく登場するフロイトは芸術や文化の分野で発揮される優れた才能は潜在意識から生まれるのではないかとも言っています。また心理学では社会的に認められない衝動や欲求を満たすために、高度な芸術や宗教活動など、より価値の高いものに置き換えることを”昇華”と呼んでいるようです。これは自分という人間が精神的な落ち着きを得るための防衛機制のひとつなのだそうです。

 最初は誰もが同じく真っ白な脳にその人独自の経験や刺激が蓄えられて自分でも気がつかない潜在意識の世界が出来上がってゆきます。できるだけ自分の希望に添うような生き方をするためには自分の脳を育てる必要があるという人もいます。しかし、潜在意識の世界は意識出来る世界より遙かに広いため、ある日ある時、まるで神の啓示でも受けたかのように、あるいは自分以外の誰かが筆を走らせて絵を描くような経験をすることが天才の始まりかも知れません。

 誰一人として同じ潜在意識を持っている人はいないということは、いつ何時そんなひらめきが訪れるとも限らないということでもあります。しかし、そのひらめきを何らかの形で表現する手段をスキルとして磨いておく必要があることと、そして幸せであるためには必ずしも天才になる必要はないという点が肝心なのかも知れません。

 -2001/11/19



潜在意識とは何か?

 人の気持ちはもちろん、自分の気持ちさえ良く理解できないときがあります。好きな人に嫌いと言ってみたり、欲しいのに欲しくないと言ってみたり、あまのじゃく、ひねくれ者、世捨て人、極悪人への道。きちんと生きてゆこうと考えているはずなのに、自分の行動が理解できないときがあります。

 自分の行動や考え方は自分が気がついている部分だけは理解できるのですが、それ以外はどうなっているのかよく分かりません。人は自分では気がつかない9割の潜在意識によって動かされていると良く言われています。

 昔の人はどう考えていたのでしょうか?人には3タイプがあり、欲望のままに生きる人、名声を求めて生きる人、そして神に近づきたいと考える人。その3タイプ目を望んだギリシャの哲学者アリストテレス【紀元前384-322】も潜在意識の存在にはついては気がついていたようです。そしてその意識が現れる夢の意味を説いたようですが、その後、夢とは荒唐無稽なものという考え方が主流になってしまったようです。

 それから約1000年後、日本が江戸時代の長い鎖国の時期を終わり、明治時代に入った頃、ユダヤ人でオーストリアの精神科医フロイト【Sigmund Freud(1856-1939)】は神経症の患者を診ていました。「精神分析入門」や「夢判断」のなかで、無意識(=潜在意識)の世界はすべての人間に対して共通だとという考え方が書かれています。

 催眠術をかけると意のままに人を動かすことが出来るとは良く言われることですが、フロイトの時代にも催眠療法が存在していて、フロイトもその療法を学んでヒステリーの患者に応用し、その原因が心的外傷にあると主張しました。もちろん、その時代にはそんな言葉は存在しなかったためフロイトが初めて”心的外傷”と呼んだということになります。

 自分では知ることが出来ないとされてきた潜在意識も、特別の状態を作ればその意識を表に出すことが可能になるようです。意識も何重かに分かれていて、自分が気づいて意識、忘れようと少しは気づいている意識、まったく自分ででは気がつかない潜在意識と分けたときにその意識は脳の働きの中でどのような仕組みになっているのかということについてはまだはっきりと分かっていないようです。

 潜在意識が人の意識の9割を占めているのなら、その潜在意識を知ったり、あるいはその意識に直接呼びかけることによって個人の能力は10倍にふくれあがることが考えられます。潜在意識を知ることはこれまでの個人の経験によって蓄えられてきた過去を覗くことであり自分を知ることでもあるようです。

 潜在意識に語りかけることは、意識している自分に語りかけるより10倍の効果があると考えることも出来ます。この語りかけはセラピーに応用されています。専門家は薬を使ったり、催眠療法など様々な方法を使っていますが、日常生活の中では個人の意志で無意識の世界に語りかける方法もあるようです。そこでのキーワードはどうもイメージとリラックスであるようです。

-2001/11/18



イメージの世界2001/11/16)

君がもし、絵がうまくてそれが楽しいのなら
その絵を見て喜んでいる人の姿を想像すればいい
自分のアトリエを持って個人美術館を開き
訪れる人々それぞれが深い笑みを浮かべている姿を想像すればいい

君がもし、自分には何も出来ないと思いながらも
少しは誰かの役に立ちたいと思うなら
ちょっと無理かも知れないが自分の得意なところを探し出して
それをさらに磨いてちょっと有名になって
自分としては上出来だと思えるような将来を想像すればいい

君がもし、子供の将来に不安を抱いているのなら
まずその子供が大きくなって笑っている姿を想像し
そのあとそれを取り巻く周りの景色を想像すればいい
その周りの景色を整えるのが自分の仕事だと思えばいい

君がもし、もう十分に人の役に立っているのに、それに気がつかず
なんとなく充実感を感じられないのなら
もしかしたら、少しばかりの努力ではそれを達成できないのかも知れない
それでもうまく行ったときの自分の姿を想像すればいい

それでもどんなに頑張っても
ちっとも思い通りにならなくて

いくらイメージを思い描いても
何だか少しも実現しないような気がするのなら
そのイメージに少しばかり手を加えて、ちょっとだけ手伝ってあげるから
そのイメージをふくらませた方がいい
そのために自分はいるのだと思う

なにしろ自分はそんなことをイメージしているし
イメージは人の力を10倍にふくらませてくれるらしいから


-2001/11/16



目から鱗が落ちるとき

 自分が日頃感じていることを誰か別の発言力のある人が新聞やラジオやテレビで言ってくれると「我が意を得たり」と嬉しくなるものです。このことを溜飲が下がるとも言います。これはそう言ってくれる人がいてくれることで、日頃の不満をぶつけることが出来てすっきりすることになるからです。これは共感者を発見するという意味であり、理解者の存在を知ってホッとすることを意味すると考えることができます。異性で言えば相性の合う人を見つけたことに似ています。
 
 ところが目から鱗を落とすためにはそれだけでは不十分です。今まで嫌で仕方がなかった異性の意外な面を発見してすっかり惚れ込んでしまうような衝撃が必要です。

 特に目から鱗を落とすためには自分が何らかの形で視界不良になっている必要があります。何をどうしたらよいのか分からなくなって、出口が見つからなくなって、迷いに迷っているときに答えを与えてくれる人がいると、すっかり夢中になってしまいそうです。視界不良で先へ進めないときに案内人になってくれる人や、迷っているときに出口の方向を示してくれる人が見つかったときに感じる感激はどうして起きるのでしょうか?

 それは先の見えない道にショートカットを作るように、そんな思考回路が脳の中の神経細胞の間に出来上がるためではないかと考えています。新たな思考回路の誕生は意識の外にありながら、その喜びを隠しきれずに意識の上に現れてきて、目から鱗が落ちたような爽快感を味わうのではないかと想像しています。

 細胞のくせに分裂して増えることのない神経細胞は脳の中に嫌と言うほど存在するのに、その多くは使われていないそうです。しかも、その細胞はタコよりも遙かに多い100から10万という”シナプス”という名の足を持っていて、別の神経細胞へ連絡することが出来ます。その多くが使われていないと言うことは、多くの連絡網が使われて居ないことを意味します。

 もしかしたら役に立つことを知っている人が隣にいるのかもしれません。しかし、連絡網がなければ知ることができないように、思考回路が出来なければそれに気がつくこともありません。嫌なものとか関心が無いとか考えていたために存在していた壁に穴が開いて連絡網の拡充がおこり、それがつまり、使われていないシナプスを利用することを意味するのではないかと考えています。

 そのシナプスの使われ方の組み合わせは人類全体の人口より多く存在するために、自分独自の鱗の落とし方があるのだろうと思います。そのすべてを理解することが出来ないくらいに多く用意されているからこそ、無限の可能性と呼ぶのだろうと考えています。

 -2001/11/8

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