金持ちになろうと思って学者になる人はあまりいないようですが、経済学者と名が付く人なら、自分の働きによって国や地域を豊かにすることができれば、それはたしかな手応えを感じる仕事であるに違いありません。
アメリカに留学して経済学の博士号を取り、祖国へ帰って大学で教鞭を執っていたある人が、自分が教えている経済学が豊かになるための役に立っていないことに気が付きます。なぜ国も国民も貧しいままなのか、そんな思いに駆られて大学の外へ飛び出して貧しい村に出かけたら、ある女性に出会いました。
その女性は竹を編んで椅子を作っていました。一日中朝から晩まで竹を編んでも稼ぎは日本円に直すとたったの3円だと言います。驚いた彼が理由を聞くと、彼女はわずかな現金さえ持たないために高利貸しから金を借りて竹を買い、竹細工を作ってはそれを売り、借りた金を返すと残るのはたったの3円になるということでした。
そこでその女性に必要な資金を貸してみたところ、たちどころに利益を出しました。つまり、利益の多くは高利貸しに持って行かれていたというわけです。高利貸しではなく、もっと金利の低い銀行から金を借りられれば利益が出るようになるはずです。そうすれば貧しさからも抜け出せるはずだと考えた彼は、彼女に金を貸すように銀行と交渉しました。
ところが銀行は「あなたは分かっちゃいない。貧しい人に金を貸したら食われてしまって戻ってこない。そいつらはドアや窓まで食べてしまう連中だ。貸しても何も戻ってこない。だから金は貸さないんだ。」と言われます。
彼が学生を使ってその村で金を借りたい人を調べたところ、42人いました。彼は保証人になって銀行から金を借り、その42人に貸してみたら、貸した金はきちんと戻ってきました。「うまくゆくじゃないか、だから金を貸したらどうだい」と再び銀行に掛け合っても、「一つの村だけだからたまたまうまく行ったんだ」と言われます。彼は、「こんちくしょー」と思って、貸し出す村を増やし、実績を積み上げるのですが、いちいち銀行に頼むのも大変なので自分で銀行を作ることにしたそうです。
担保を持たない貧しい人達だけに貸し出すこの銀行はグラミン銀行と名付けられ、高い回収率(9割以上)で着実に実績をあげ、国中にある約6万の村の半分にあたる3万の村に支部が出来ました。現在では銀行の規模も大きくなり行員は約1万2千人にも及びます。
度重なる自然災害で国の経済は疲弊しているにもかかわらず、「政治家と言えば政権抗争に明け暮れる。約30年前の独立の頃の情熱はどこへ行ったのか?」そんな嘆きが聞こえてくる国、バングラデッシュのなかで、世界に誇れる銀行に成長しました。
マイクロ・クレジットとも呼ばれ、世界中に知られるようになったこの銀行が成功したのは”慈善事業”を行ったからではなく、資本家(高利貸し)に搾取され続けていた労働者(主に土地を持たない貧しい女性労働者)が本来受け取るべき報酬を高利貸しから取り戻すという”小さな経済革命”に成功したからだと言えます。
もともと質の高い労働力が存在していて、その人達が本来受け取るべき報酬を受け取れるような社会のシステムをグラミン銀行という経済学者が始めた一つの企業が作り上げたということになります。無担保とはいいながら、子供はいても土地を持たない働く女性達は、質の良い労働者であると同時に堅実な借り手です。
得た利益で彼女たちは家を建て、子供を大学に出し、さらに子供の結婚資金にしているようです。『おしん』も驚くこの働き者の女性達とグラミン銀行は価値の交換を伴う経済活動で結ばれていると言えます。
こうした本来の経済活動によって人を豊かに出来る銀行の仕事は、経済学者であり、グラミン銀行総裁となったムハッマド.ユ−ヌス【Muhammad
Yunus】博士にとっても、たしかな手応えを感じることができる仕事であるに違いありません。
-2002/9/28
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