座禅は、道元(どうげん)という名の、今から800年位前の昔のお坊さんが、中国の寺での修行法であった座禅を、帰国してから入門書を書いて紹介したとされています。なぜわざわざ貿易船に乗って海を渡り、中国にまで出かけたのでしょうか?
それはどうも、日本では解けそうもない疑問を解くためだったようです。人間のこころの中には仏が住んでいる、というのに、どうして修行が必要なのか、という問いです。
「ゆく河の流れは絶えずして、・・・」と世の無常を綴った『方丈記』を鴨長明が完成した年、道元は出家しようとして比叡山を目指しています。
当時の道元は13歳、かなりませていたことがわかります。しかし、親鸞聖人(しんらんしょうにん)はその31年前に9歳で出家、比叡山天台宗の僧になっています。3歳で父を、8歳で母を亡くした道元が、4歳で父を8歳で母を亡くして9歳で出家した親鸞の話を知らないはずはなく、混乱が続く鎌倉時代にあって、聡明な道元が出家しようと考えたのは当然だったかも知れません。
親鸞と道元と、さらには釈迦にまでさかのぼって考えたときの三者の共通点は、いずれもなろうと思えば時の政府の為政者に相当する地位になれる家に生まれていることです。志が高い人ほど、出家する時代だったのでしょうか?
道元は比叡山に上って僧になり時を経るにつれ、人間が本来仏だというのなら、なぜ修行が必要なのか、という疑問がわきあがっていたようです。聞いても誰も答えてくれる人が居なかったために、比叡山を降り、別の寺の僧にも尋ねたようですが、結果は同じでした。そこで、中国に渡るしかない、と決意したようです。
当時の日宋貿易船に乗って二ヶ月もかけて中国に渡り、やっとのことでめぐり合えた中国の寺では、悟りに至るための瞑想法として座禅が取り入れられていたそうです。もちろん、座禅は中国がオリジナルではなく、起源はインドのヨガで、釈迦が座禅によって悟りを開いたことから、仏教の修行法のひとつとして取り入れられ、中国に伝わったようです。
道元はその寺で、座禅を組んでの修行中に「禅は『身心脱落(しんじんだつらく)』なり」と聞いて悟りを開き、我を張ることを捨て『身心脱落』して仏になるために、禅の修業が必要である、と知って、長年の疑問が解けたのだそうです。
それにしても、つらい修行を我慢して続けるのなら、それは我(が)を張ることであって、自我を捨て去るという目標から遠のいてしまうため、身心脱落には遠く及びません。しびれを切らすような、たとえば正座のような座り方は瞑想には向かないことになります。やはり座禅が最適だと考え、しびれないように足の組み方まで詳しく紹介する本を書いたのかも知れません。
-2003/9/27
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