オリンピック選手の派遣や選考基準は解りにくいと思うのですが、どうしてなのでしょうか?オリンピックに限らずやり方が解りにくい場合は、関係者の利益を守りその身分を保障するため、という例が多いと聞いています。
たとえば、法律用語。明治時代はわざわざカタカナで書いて読みにくくし、一般国民が読む気がなくなるような文体にして司法関係者の身分を守ったと聞いています。法律に関わる人たちは難しいことをやっている立派な人たちだ、と思わせなければ国民が従わず、国づくりもうまくゆかない、と考えたらしいのです。
その司法関係者が、曖昧なルールは悪いルールだ、と語ったのを覚えています。曖昧な分だけ、勝手なことをする人たちが増えてくるからです。曖昧であるために逸脱を許してしまい、結果的に悪の道に誘ってしまうルールは良くない、ということのようです。
今回、分裂したテコンドー団体が統一することが選手派遣の条件、と決めたのはJOCのようです。その期限が3月31日でした。そして結果は分裂したままでした。JOCがこうした条件を決めたのは、両団体の存在意義を確かめるためだったのではないかと考えています。
シドニー五輪の頃からもめていたということなので、この二つの団体が統一するのは、イスラム教のシーア派とスンニ派が統一するぐらい困難なのかも知れません。分裂の理由はともかく一度分裂してしまうと、感情的なもつれも手伝ってよりを戻すのはきわめて困難だからです。
このためにJOCは26日、団体が統一しないのなら、テコンドー団体が存在しない、と見なして選手を個人資格でオリンピックに派遣する、という選択肢を残していたようです。もちろん団体は存在するのですが、格技やオリンピックの発展のために望ましい団体が存在しない、という解釈です。
分裂はそれぞれが生き残りをかけてやることでしょうが、その判断が正しかったのかどうかは結果を待たねば分からないものです。今回の騒ぎで、テコンドーに関心を持つ人が増えるとすれば、二つの団体に存在意志は無い、とも言えなくなります。
-2004/4/1
記事関連のお知らせ
当サイトは全ページリンク・フリーです。連絡も要りません。
Copyright(C) 2000-2007 xSUNx(サン) all rights reserved.