ゼロの使い魔・2回目
 
第9話(前編)
 
 才人にとって地獄のような一週間が過ぎた。
 
 山のように溜まった書類。
 
 才人をフォローする為エレオノールが率先して助けてくれたものの、――否、彼女が率先して助けてくれたからこそ、才人は地獄を見ることになった。
 
 何の予備知識も無い才人に、スパルタで統治学を叩き込む。それも練習とかのレベルではなく、それがそのまま領民の生活に直結してくるのだ。
 
 下手な事は出来ないので、才人も必死になって覚えた。
 
 その結果、大量の書類は僅か一週間で全て姿を消すこととなり、晴れて才人は自由の身になれたと思いきや、まだまだ彼にはやらねばならない事がある。
 
 領地内に現れる質の悪い盗賊や幻獣、異種族の駆逐だ。
 
 本来ならば、領主が国に申請して魔法衛士隊などに出張ってもらうのだが、戦後処理のゴタゴタを未だに引きずっているアルビオンの衛士隊に頼んだ所で、やって来るのが何時になるか分かったものではない。
 
 そもそもこの問題自体、半年も前に提起されていたものを、前の領主が放置していたようなものだ。
 
 これ以上待たせて、無闇に領民の怒りを買うのも得策ではあるまい。
 
 ……というわけで、才人達は現在彼の治める領地の中でも、林業を主工業とする村にやって来ていた。
 
 依頼は森に住み着いた翼人が悪さをするので退治して欲しいというものだ。
 
 ……翼人とは、ハルケギニアに生息する異種族の一つで背に翼を持ち人語を解する種族である。
 
 彼らは弓を好んで使い、先住魔法を操る。
 
「……つーかさ、人と話が出来るんなら、話し合ってみたらいいじゃねえか」
 
 というのが、この問題に対する才人の第一声である。
 
 まあ勿論それで済む問題であれば、わざわざ領主に直訴する事もない。
 
 そんなわけで、才人、ルイズ、ブリミル、エレオノール、カトレア、サティー、ナイ、シエスタという何時もの面々が訪れたわけだが、彼らの顔を見た村長はあからさまに戸惑いの表情を見せた。
 
 第一に、通常このような仕事に領主が直々に訪れるような事は普通しない。
 
 第二に、領主と呼ばれた人物が若すぎるという点。
 
 第三に、その領主がメイジでさえないという点。
 
 第四に、お付きが全て女性であるという事。
 
 胡散臭さ爆発の一向に、村長が……、否、村人全員が白い目を向けるが、才人はそのような視線、気にするでもなく、
 
「……えーと、それで翼人が悪さをするって聞いたんですけども、どういう風に悪さをするんですか?」
 
 問い掛ける才人に対し、村長は恐縮しながらも、
 
「そ、その前に申し訳ありませんが、本当に領主様なんでございましょうか?」
 
 と、問い返された。
 
 傍らにいたルイズは、憮然としながら才人の脇を肘でつつき、
 
「ほら、だからマントくらい羽織れって言ったじゃない」
 
「いや、森の中だろ? マント破いたら嫌だし……」
 
 そう告げる才人に、荷物からマントを取り出したサティーが恭しくそれを差し出す。
 
 信用されないことには話が進まないと判断した才人は、サティーに礼を述べてマントを受け取ると、それを身に着けた。
 
 才人の身に纏うマントの質が上物であることから、彼がかなり高位の爵位持ちであると判断した村長以下村人達は一斉に平伏した。
 
 更にはそれに被せるようにエレオノールが声を挙げる。
 
「このお方こそ、新しくこの地を統べることになった領主、ヒラガ・サイト公爵様です。
 
 サイト様の名とお顔をしかと頭に刻み、二度と無礼の無きようにしなさい」
 
「は、ははぁー」
 
 もはや、地面に頭を擦り付ける程に低身姿勢をとる村民達。
 
「いやいやいやいや、そんな畏まらなくてもいいから、頭上げてくださいって。
 
 エレオノールさんも、そんなに目くじらたてないで……」
 
 と才人が執り成し、なんとか村民達から話しを聞き出す事に成功した。
 
 それによると、どうやら村の外れにライカ欅の森に、翼人が住み着いたとの事らしい。
 
 ライカ欅は、質の良い家具などを作るのに用いられる為、この村の生命線とも言える特産物だ。
 
 他にもライカ欅の生えている場所はあるが、翼人の住み着いている場所の木々は特に立派なライカ欅が群生しているので、村人達としては何としても、この一帯のライカ欅を切り倒して収入に変え、戦争により疲弊した村を潤そうと必死だった。
 
 今のところ怪我人は出ていないが、木に近づくと翼人が現れ、先住の魔法で攻撃してくるとの事で、近づくに近づけない状況らしい。
 
 話を聞いた才人は、早速仕事に取りかかると告げて、マントを脱いでシエスタに手渡し一人で森に入って行こうとするのを、ルイズが引き留めた。
 
「ちょっと、あんた一人で行ってどうしようっていうのよ?」
 
「どうしようって? ……話し合い?」
 
 気楽に答える才人に、ルイズは盛大な溜息を吐き出すと、
 
「……あんた、翼人がどんな奴らなのか全然分かってないでしょ!?」
 
「分かってるつもりだけどな。……大体言葉が通じるんだろ? なら、話し合いでなんとかなるんじゃないか?」
 
「なんであんたはそう、何時も楽観的なの!?」
 
「いや、……でもな、水の精霊の時もエルフの時も話し合いでどうにかなったし」
 
 才人の言葉を聞いた村民達が、ざわめき始める。
 
 なにしろ水の精霊やエルフといえば、翼人などとは比べ者にならない程に強力で、凶暴だと伝え聞いているからだ。
 
 余りにも楽天的な才人の言葉に、ブリミルも忠告せざるをえない。
 
「……でもね、ちょっとは用心しときなさいよ? 水の精霊の時は相手の気紛れみたいなものよ。エルフの時は……、あんたの世間知らずが功を奏してエルフの統領に知らず知らずの間にフラグ立ててただけだし」
 
 ……エルフ相手に、なにやってんだ? あんた。
 
 という白い視線が才人に注がれる。
 
「……いや、まあ、何だ? 成り行き?」
 
 そんな才人を無視して、ブリミルは村人に向け、
 
「それで、その翼人って何人くらい居るの?」
 
「へ、へえ……、それが不明でやして」
 
「……不明?」
 
「へい、随分と用心深い奴でして、なかなか姿を見せねえんです」
 
「……それ、本当に翼人なの?」
 
 ブリミルが疑いの声を挙げるが、村人は慌てて反論し、
 
「へ、へい。間違いありやせん。あっしははっきりと奴の羽根を見たんでさあ。あんなでけえ羽根持ってる鳥なんぞ、翼人以外にいやしねえだ!」
 
「……その時、見た羽根って一人分だけなの?」
 
「いえ、一カ所に纏まっていたようでやしたが、少なくても二人分はありやした」
 
 通常、翼人とは群で暮らすものだ。見えたのが二人分だからといって、それで相手が二人と決めつけるのは早計だろう。
 
「まあ、実際に会ってみないと、詳しいこととかは分からないからなあ」
 
 言って、森へ向かおうとする才人に、
 
「わ、わたしも行くわよ!」
 
 ルイズも同行を申し出てきた。
 
 続いて、ブリミル、エレオノール、カトレア、サティー、ナイと同行を申し出てくるのを才人は断り、
 
「……余り大勢で行っても、相手を警戒させるだけだしな。そうなったら、話し合いどころじゃないし」
 
「……あんた、あくまでも話し合いに拘るのね」
 
 半ば呆れた口調で告げるブリミルに対し、才人は苦笑を浮かべると、
 
「だから俺は平和主義者だって」
 
 だが、一人で行くのは流石に危険と判断したブリミルの口利きでルイズを同伴させることになった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翼人の住むライカ欅へと進む道中、ルイズが心配そうに才人へ話し掛ける。
 
「ねえ、もし相手が話し合いに応じてくれなかったら、どうするの?」
 
 問われた才人は暫し考え、
 
「まあ、実力行使って事になるだろうけども、……相手の戦力も不明だし、取り敢えずは全力で逃げる。――その後で、ブリミル達と合流して力業でぶっ飛ばす。
 
 話し聞いてもらうのは、それからでも良いさ」
 
「……いい加減ね」
 
 だが、裏を返せば相手を殺すつもりは無いということだ。
 
 何時も通りの才人の優しさに安堵したルイズを、才人が手で制しつつ最大限の警戒を見せて声を張り上げる。
 
「えーと、……俺は、この辺の土地を治めることになった平賀・才人っていうんだけど、ちょっと話しを聞いてもらいたいんで姿を見せてくれ!」
 
 だが、気配はするものの相手は一向に姿を見せようとはしない。
 
「帰れ!!」
 
 ただ一言、声による警告だけが響いた。
 
 声の感じからすると、威嚇する為に粗雑な言葉使いではあるが、年若い女のものだ。
 
「じゃあ、別に姿を見せなくてもいいから、話し合いだけでもしてくれ」
 
「断る! 十秒待つ、とっとと失せろ!!」
 
 才人は視線でルイズを下がらせると、ポケットから軽手甲を取り出して装着し、ガンダールヴのルーンを発動させて、どのような事態にも対処出来るように備える。
 
 そして、きっかりと十秒経った直後、朗々と流れるような詠唱が森の中に流れた。
 
「枯れし葉は契約に基づき水に代わる“力”を得て刃と化す」
 
 先住の魔法だ。
 
 才人は背中のデルフリンガーを引き抜き、戦闘態勢へと移行する。
 
 足下の落ち葉が舞い上がり、一枚一枚がナイフのように硬質化して才人を狙って飛来する。
 
 数十にも及ぶ葉の刃を、人外の速度で剣を振るって全てを叩き落とす才人。
 
 だが、才人はその攻撃に違和感を感じる。
 
 ……取り敢えず、全ての攻撃を切り払ってみたものの、
 
「――動かなかったら、当たらなかったな」
 
 あくまで牽制……、もしくは脅しの為の攻撃。
 
 そんな中、若干焦ったような声色で、声の主が次の呪文を唱え始める。
 
「我らが契約したる枝はしなり伸びて我らに仇なす輩の自由を奪わん」
 
 詠唱の通り、周囲の木々の枝が伸びて才人を捕らえようとするが、才人はデルフリンガーを地面に突き付けて、魔法の効果を一気に霧散させる。
 
「暫く、押し留めといてくれ」
 
「久々だってのに、人使い荒いぜ相棒……」
 
「……お前、人じゃねえだろうが」
 
 締まらないやり取りを繰り返しながらも、才人は周囲に視線を走らせて敵の位置を探ろうとする。
 
「サイトッ!?」
 
 そんな中、才人よりも先に翼人を発見したルイズが指差す先、木の幹に隠れるように二枚の白い翼が覗いていた。
 
「……頭隠して尻隠さずかよ」
 
 呟きながらも跳躍。手近な枝に飛び乗りつつ移動を重ね、相手の反応よりも早く間合いの中に入り込む。
 
 翼人が手にした弓を引き絞って狙いを才人に定めるが、矢を放つ前に躊躇い、照準を顔から肩口に変えて放つが、才人は身体を捻ってそれを回避する。
 
 懐に入り込んだ才人は、翼人の手を取り更に口を塞いで魔法と弓、双方の攻撃を封じるが……、
 
「こ、……子供?」
 
 両手の自由を封じた相手が翼人の子供だと知り、思わず拍子抜けして口を押さえた手を離してしまった。
 
「クソッ!? 放せ! 放せって言ってんだろ!」
 
 まあ、この至近距離ならば、魔法を使うと自滅の可能性もある為に使用しないだろうと思い、空いた手は拘束にまわす。
 
 取り敢えず、捕まえはしたものの、これからどうしたものかと対処に困っていると、下からルイズの心配そうな声が聞こえてきた。
 
「サイト、大丈夫!?」
 
「ん……、ああ」
 
 取り敢えず、少女を抱えて地面に降りる才人。
 
 才人の手の内の少女を見たルイズは目をしばたかせ、
 
「……誰それ?」
 
「事件の犯人」
 
「誰が犯人だ馬鹿野郎! 人の住処、無断で取り壊そうっていう方が悪いに決まってんだろうが!」
 
 自由な足を動かして、何とか才人の拘束から逃れようとするが、ガンダールヴの力を発揮している才人から、少女の非力で抜け出せよう筈もない。
 
 少女の口の悪さに辟易するルイズに対し、才人は少女から手を離して向き合うと、
 
「なあ、お前一人なのか?」
 
「ああ!? そうに決まってんだろ?」
 
「親とかは?」
 
 少女はやさぐれた目つきで才人を睨み、
 
「親ぁ!? そんなもん居ねえよ! あたしは忌み子だからって、物心着いた頃に捨てられてから一人で生きてきたんだ!」
 
「……忌み子?」
 
「あん? なんも知らねえんだな、あんた」
 
 言って、才人に背中を見せるように振り返り、
 
「ほら、羽根が四枚あるだろ?」
 
「ああ」
 
「それが忌み子の証だってよ」
 
「……何で?」
 
 意味が分からないという風に、小首を傾げる才人に説明するようにルイズが口を開いた。
 
「普通、翼人の羽根は二枚翼なのよ。……それが、この子には四枚もあるから忌避されたんだと思う」
 
「……変な奴らだな」
 
「……変なのは、あんただよ」
 
 そう言われても、才人としてはまるで実感がわかない。
 
「俺の世界じゃ、天使は羽根が多い方が偉いんだぞ?」
 
「……天使?」
 
 どう説明したもんかと才人は頭を掻きながら、
 
「えーと、なんだ……、神様の使いでな。背中に羽根生えてて頭に輪っかがある」
 
 そう告げると、ルイズと翼人の少女は揃って眉を顰め妙な顔をした。
 
「……多分、お前らの想像してるような生物とは違うぞ?」
 
 断りを入れ、
 
「さて、それじゃあ、えーと……」
 
「あん? 名前か?」
 
「ああ」
 
 翼人の少女はそっぽ向き、面白くなさそうに、
 
「エールだよ」
 
「んじゃエール。――お前、俺の家に来るつもりはないか?」
 
「はぁ?」
 
 余りにも突飛な予想外の言葉に、頭大丈夫か? こいつという眼差しを才人に送るエール。
 
 それはルイズも同じだったらしく、
 
「あんたね……、さっき殺されかけたのよ? 本気でそんな危険な子引き取るつもりなの!?」
 
 抗議の声を挙げるルイズに対し、才人は苦笑を浮かべると、
 
「大丈夫だって」
 
 言って、エールの頭を撫で、
 
「最初の魔法だって、弓の一撃だって、こいつ急所は外すつもりだったしな」
 
 エールは、頭に置かれた才人の手を振り払い、
 
「ふざけんなバカ! 誰が人間の施しなんか受けるか!?」
 
「そう言ってもな、……お前、ここ追われたら行くとこ無いだろ?」
 
「お前らを倒せば良いだけの話しじゃねーか!」
 
 気丈にも才人に弓を向けるエールに対し、才人は苦笑を浮かべると、
 
「やめとけって、……俺達で駄目なら、今度は王軍が出てくるぞ? いくらなんでも、数の暴力には勝てねえだろ?
 
 それに、俺達ならお前に余所に移ってもらうだけで済むけども、王軍が出てきたら確実に殺されるぞ」
 
 才人の言うことにも一理ある。
 
 流石に軍隊には勝てる気はしないし、それに下手に手こずらせれば、森ごと焼き払われかねない。
 
 事実を突き付けられたエールは舌打ちし、渋々といった風体で、
 
「しょうがねえから、言うこと聞いてやるよ。
 
 でも、住む所が見つかったら、すぐに出ていくからな!」
 
「ああ、そうしてくれ」
 
 才人もエールの条件を了承し、
 
「じゃあ、ルイズ。俺、こいつの荷物取りに行ってくるから、村に戻って解決したって伝えてきてくれるか?」
 
 才人の言葉に、ルイズは溜息を吐きながら、
 
「……仕方ないわね。お姉さまには、あんたから事情を説明しなさいよ?」
 
 ルイズがそう告げると、才人は一瞬頬を歪ませ、
 
「……出来ればお前から伝えといてほしいなあ」
 
「絶対イヤ」
 
 そっけなく答え、踵を返して村へ向かって走っていった。
 
 才人は待ち受けるであろうエレオノールの小言に溜息を吐きつつ、
 
「じゃあ、お前の家に案内してくれ」
 
「あん? 何しに来るんだよ?」
 
「何って、……引っ越しだよ。着替えとか荷物とかあるだろ?」
 
 才人がそう告げると、エールは面白くなさそうに踵を返して彼女の家へ向かった。
 
 五分も歩かない内に到着した一際大きなライカ欅の上、見るからに見窄らしい小屋が建っていた。
 
 エールが自分で建てたのだろう小屋へ、エールは自前の翼を使って飛び、才人は枝を飛び移って入室を果たす。
 
 鞄などといった上等な物は無いため大きめの布……、ぶっちゃけ寝るために使っていたシーツだが、それに替えの服と何やら丸めた長い布を入れていく。
 
 服自体が一枚布の簡素な代物であるが、その服の隣に置かれている長布が何なのか気になった才人はそれを手に取り、
 
「……何だこれ?」
 
 小首を傾げて問うてみると、エールの右ストレートが才人の顔面を撃ち抜いた。
 
「って、何しやがる!?」
 
 才人が抗議の声を挙げると、エールは真っ赤な顔で才人を睨み付け、
 
「うっさいバカ!! 女の子の下着広げんな! この変態!!」
 
 言われてみれば、翼人にゴムの概念などありそうにないため、貴族の履くようなショーツは所有していないであろうし、かといって平民の女性が身に着けるようなドロワーズのような下履きでは一枚布を纏っただけの格好では下着が丸見えになってしまう。
 
 ……だからって、フンドシはないだろう。
 
 エールの攻撃を甘んじて受けながら、そんな事を思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何とか落ち着いたエールを連れて、才人が村に戻ってくると、彼を出迎えたルイズは呆れた声で、
 
「ホラ見なさい、そうとう暴れたみたいじゃない」
 
 身体中を青痣と引っ掻き傷だらけにした才人を見て、そう告げる。
 
 対する才人は疲れた表情で、
 
「いやあ、これは俺が悪かったからなあ」
 
 と答え、救急箱を持ってやって来たシエスタの治療を素直に受けた。
 
「それで、どうだったの?」
 
「ああ見ての通り、無事任務完了」
 
 問うブリミルにそう答えるが、ブリミルは呆れた眼差しで才人を見つめ、
 
「違うわよ。――暴走の声は聞こえた?」
 
 言われて思い出し、考えてみる。
 
「……そう言えば、聞こえなかったな」
 
「そう……、ルーンの発動が暴走の鍵じゃないとしたら何なのかしらね」
 
 少なくとも他の虚無の使い魔との接触が発動キーであることは間違い無いのだが、それ以外でも暴走のスイッチは入るらしい。
 
「それが何なのか分からないと、危なすぎて実戦に投入出来ないわよ」
 
「つーか、そんな危険があるならルイズの同行を許可するなよ……」
 
 若干、恨みがましく告げる才人に対し、ブリミルは肩を竦めると、
 
「だって、あんたルイズが傍にいたら意地でも暴走押さえようとするでしょ?」
 
 絶対の信頼と若干の嫉妬を込めた眼差しで才人を見つめる。
 
 溜息を吐きながらブリミルの言葉に頷き、治療を終えた才人は立ち上がってエールを呼び寄せ、
 
「えーと、今度家で預かる事になった翼人のエールだ。
 
 ほら、挨拶しろ」
 
「ふん、馴れ合うつもりはねーからな、……そこんとこ勘違いすんなよ」
 
 捻た態度を取るエールに苦笑いを浮かべ、才人は彼女の頭を押し付けて強引に頭を下げさせる。
 
「まあ、そんな事なんで、よろしく」
 
 と、愛想笑いを浮かべながら告げた。
 
 すると、それまでカトレアの陰に隠れるようにして様子を伺っていたナイが恐る恐る顔を出し、エールを観察し始める。
 
 それに気付いた才人はナイを呼び寄せると、
 
「今日から、エールがナイの姉ちゃんだ。一杯遊んでもらえよ」
 
 言ってナイの頭を、やや乱暴に撫でてやる。
 
 目を細めて気持ちよさそうに頷くナイに対し、エールは聞いてねえと抗議の声を挙げ、
 
「何だそりゃ!? あたしに子守させるつもりかよ!」
 
 エールの抗議の声を無視して、才人は撤収の作業に入る。
 
「おい、聞けよバカ!」
 
 宴の準備をしてくれていた村人達に詫びを入れ、撤収を始める才人にルイズが文句を言うが、
 
「ほら、エールが一緒に居ると村の人達も色々と気まずいだろ?」
 
 そう言われて納得し、素直に引き下がるルイズ。
 
 ついでに言えば、才人の目的の一つに店の出ている内に町に到着して、エールの服等を買い揃えたいというのもあった。
 
 ――だが、そんな才人の思惑も知らず、
 
「…………」
 
「――何ジロジロ見てんだよ?」
 
 エールに睨まれながら告げられ、気の毒なほど怯えるナイ。
 
 その態度が尚更気に入らなかったらしく、エールはナイの傍に歩み寄ると、
 
「言いたい事があるんならハッキリと言えよ!」
 
「…………」
 
 そう強気で押されると、弱気なナイとしては尚のこと引いてしまう。
 
 エールは舌打ちして、ナイの元を離れようとして、彼女の耳と尻尾が飾り物でないことに気付いた。
 
「……なあ何でお前、耳とか尻尾とか生えてんだよ?」
 
 問われたナイはそれには答えず、恐る恐るエールの羽根に手を伸ばし、
 
「……どうして羽根、生えてるの?」
 
 ――答えられない。
 
 否、それこそが先程の質問に対する答えなのだろう。
 
 エールは本日何度目かになる舌打ちをすると、ナイに手を差し伸べ、
 
「ほらよ、……行こうぜ」
 
 照れの為、そっぽを向いているが、差し伸べた手を下げるつもりはない。
 
 ナイはその手を暫く見つめた後で手を伸ばし、
 
「……うん、お姉ちゃん」
 
 ……お姉ちゃん? ……あたしが?
 
 頬が弛むのを自覚する。
 
 生まれて初めて姉妹の絆――。
 
 それは血の繋がりのない偽りのものかも知れないが、確かにエールの手の内にあった。
 
「しょ、しょうがねえな……、面倒見てやるから感謝しろよな!」
 
「……ん」
 
 才人を背に乗せ、その一連のやり取りを見続けていたジルフェは安堵の吐息を吐き出し、
 
“ふむ、……これにて一件落着”
 
「……どこの黄門様だ、お前は」
 
 疲れたような吐息を吐き出し、新たな仲間と共に才人達は村を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして、夕方前に辿り着いた町で……。
 
「やめろ、冷血女!!」
 
 全裸に剥かれた上で、大きなタライの中に押し込められサティーによって無理矢理頭からお湯をかけられ抗議の声を挙げるエールの姿があった。
 
「別に実害は無いものであると判断します」
 
 と騒がしい一方で……、
 
「ナイちゃんは、素直よねー」
 
「……ん」
 
 エールと同じく全裸に剥かれ、頭の耳をペタリと伏せ両手で必死になって目を塞ぎ、シエスタによって頭からお湯をかけられるナイの姿があった。
 
「別に風呂なんか入らなくても死にゃあしねえよ!」
 
「駄目よエールちゃん。これから服買いに行くんだから、綺麗にしとかないと」
 
「何で、服買うのと風呂入るのが関係あんだよ?」
 
 あくまで不服そうに問うエールに対し、シエスタは言い聞かせるように、
 
「試着した時に服を汚しちゃ、お店の人に悪いでしょ?」
 
「……知らねえよ、そんなこと」
 
 拗ねてそっぽを向いてしまうエール。
 
 そんな宿屋の別の一室では……、
 
「……何で、わたしは行っちゃ駄目なのよ!?」
 
 抗議の声を挙げるルイズと、素知らぬ顔でそれを黙殺しつつ、
 
「じゃあ次は、虚無と通常の系統魔法の違いについてね」
 
 虚無の魔法について講義を続けるブリミル。
 
「って、聞いてよ!!」
 
 それでも食い下がるルイズを溜息一つであしらうと、
 
「我慢なさい。今日はナイと前々からの約束があるって言ってたんだから、お邪魔虫になるだけよ」
 
「うー……」
 
「そんな目で見ても駄目。……さあ、続きよ」
 
 言って、己の始祖の祈祷書を開く。
 
 ――そのページを見てルイズは息を呑んだ。
 
 表紙からして擦り切れてボロボロだったそれは、中のページに至っては所々に血痕が付着し、煤にまみれている項もある。
 
 その視線に気付いたブリミルは苦笑して、
 
「ああ、汚れててゴメンなさいね」
 
 ……笑って済ませられるレベルではない。この女(ひと)は、どんな戦いの人生を歩んできたのだろう?
 
 それを思いルイズは寒気を覚え、同時にその人生の中を占める才人との付き合いを想像してブリミルに嫉妬する。
 
「じゃあ、復習から……。
 
 虚無の魔法と他の系統魔法の違いは……」
 
 ブリミルの声が、何処か遠い所で話しているように感じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 身体を洗い終え、綺麗になったエールとナイを伴った才人は、仕立て屋を訪れていた。
 
 ちなみに、才人だけではハルケギニアの女の子の流行など分からないので、アドバイザーとしてシエスタ、荷物持ちにサティーも付いてきている。
 
「だからよ……、別に服なんかいらねえって言ったじゃねーか!?」
 
 抗議の声と共に試着室のカーテンが開かれ、半裸のエールが姿を現す。
 
 やはり彼女の背中の翼が邪魔で服が入らないようだ。
 
「仕立て直してもらう為に、わざわざ店まで来てるんだよ」
 
 溜息混じりに答え、シエスタを促してエールから服を脱がせてもらう。
 
 服の仕立て直しを店の人に頼み、二時間程で出来上がるというので店を出る。
 
「……さて、じゃあ今度は何処に行こうか?」
 
 問い掛けの先はナイだ。
 
 今日は彼女がアルビオンを去る際に約束した遊びに行くというものを果たしに来たものだ。
 
 とはいえ、もう時間も夕刻の為そうそう長い間遊んでもいられないし、なによりも地方の小さな町のため余り遊ぶ場所もない。
 
 このような場所での子供の娯楽といえば……、
 
「大道芸人とか、サーカスとかあれば良いんだけど。……そうそう都合良く」
 
 周囲を見渡すが、
 
「……居るわけないよなあ」
 
 頭を掻きながら、
 
「ナイは何して遊びたい?」
 
 問うてみるが返事はない。……何事かと思って彼女の視線を追っていくと、そこにはアクセサリーを扱う露天商が居た。
 
 興味深げに露天商を眺めるナイを引っ張って、店先までやってくる。
 
「へい、らっしゃい」
 
「何か欲しいものでもあんのか?」 
 
「……ん」
 
 そう答えるが、ナイにしてみればどれもが珍しい物で決めかねている。
 
 と、その横からエールが顔を出し、
 
「何だよコレ?」
 
 手を伸ばした先にあるのは羽根を模した銀細工のブローチだ。
 
「ん? 欲しいのか?」
 
「――別にいらねえよ」
 
 そっぽを向いて告げるエール。才人は素っ気ない態度で頷くと、エールからブローチを取り上げ、
 
「……あ」
 
「おっちゃん、これ」
 
「あいよ、1エキューね」
 
「たけぇ、ぼったくりかよ」
 
「バカ言っちゃいけねえよ旦那、ウチの商品は全部純銀製ですぜ」
 
「へえへえ」
 
 気のない返事を返しながらも、ポケットから1エキュー金貨を取り出して露天商に手渡す。
 
「へい、毎度」
 
「ほらよ……」
 
 受け取ったブローチをエールに手渡たそうとするが、エールはそれを受け取ろうとせず、
 
「いらねえよ、別に……」
 
「ほほう」
 
 才人は意地悪そうな笑みを浮かべると、
 
「いらぬと申すか貴様」
 
「……何処の出身だよ、お前」
 
 呆れた声を挙げるエールを無視、
 
「んじゃあ、貰い手の無いこのブローチは溶かして売っちまおう」
 
 ……捨てると言わない所が才人らしい。
 
 そんな彼に苦笑を浮かべるシエスタ。あからまさに彼の意図が見え見えだからだ。
 
 だが、それに対してエールは、
 
「なら、そうしろよ」
 
 そう言い残して、その場を去ろうとする。
 
「いやちょっと待て。……本当にいらねえのか?」
 
「……別に」
 
「うわ、可愛くねえコイツ!?」
 
「うるせぇ、バーカ! 何であたしがあんたに愛想振るわなきゃいけないんだよ!!」
 
「別に愛想振るえって言ってねえだろうが! 折角可愛いんだから、もうちょっと素直に行動しろって言ってんだよ!!」
 
 反論に備え、次の口論用の言葉を用意する才人の予想に反し、エールは真っ赤な顔でそっぽを向くと、
 
「ば、バッカじゃねーの、何が可愛いだよ」
 
 言って、才人からブローチを引ったくるように奪い。
 
「……しょーがねえから、貰っといてやるよ」
 
「……何なんだ急に?」
 
「――サイトさんは、もう少し自分の言動を自覚した方が良いと思いますけども?」
 
 シエスタにまでそう言われ、才人は首を捻ってから露天商というキーワードで何かを思い出し、
 
「そうだ! シエスタ!!」
 
「……何ですか?」
 
 才人はポケットから昔買ったものの、彼女に渡しそびれていたブレスレットを取り出すとシエスタに手渡し、
 
「……これ、貰ってもらえないかな?」
 
「……え?」
 
 戸惑いながらもそれを受け取り、
 
「あ、……あの」
 
「いや、ずっと前に買ったんだけどさ、渡しそびれちまって……」
 
 恥ずかしそうに告げる才人。
 
 シエスタは手の中のブレスレットを握りしめると、
 
「あ、ありがとうございます! わたし、宝物にしますから!」
 
「いや、そんなに大した物じゃないし……」
 
 むしろそれほど有り難がられると、かえって恐縮してしまう。
 
 そんな空気を払拭しようと、才人はナイに話題を振ろうとして、彼女が居ないことに気付く。
 
「って、ナイ! 何処に行った!?」
 
「ナイ様でしたら……」
 
 焦る才人を落ち着かせるように、何時も通りの冷静沈着な声色でサティーが告げる。
 
「あちらのショーウインドウを覗いておられますが」
 
 言われ、視線を向けると、確かにエールに連れられたナイがショーウインドウの中を興味深げに覗いていた。
 
 どうやら、今度はそちらに好奇心が移ったらしい。
 
 安堵の吐息を吐きながら才人は近づき、ショーウインドの中を覗いてみる。
 
 そこにあるのは着飾った人形だ。
 
 ……アクセサリーとかより、人形の方が喜ぶかもなあ。
 
「この人形でいいのか?」
 
 問い掛ける才人に対し、ナイは小さく頷く。
 
 才人は店に足を踏み入れ、店員に人形の購入を伝えて包装してもらい箱を持って店を出てナイにそれを手渡す。
 
「……ありがとう、おとーさん」
 
 満面の笑みを浮かべて告げるナイの頭を優しく撫でてやる才人。
 
「――才人様、そろそろエール様の服が仕上がるお時間かと」
 
 サティーの言葉に頷くと、皆を伴って仕立屋へと戻る。
 
 すると、既に服は仕上がってしたらしく店では店主が待ち構えていた。
 
 才人は服を受け取ると、それをエールに手渡しサティーに着付けの手伝いを言い渡して試着室に押し込める。
 
「やめろ冷血女! 服くらい一人で着れらー!! わー!? 何でパンツまで脱がす必要だあるんだよ!」
 
「事故だと判断します。というか、何故通常の下着を嫌がるのですか?」
 
「あんな締まりの悪いもん、履いてられるか!?」
 
 そのやりとりを試着室の外で聞いていた才人は呆れた顔で、
 
「まあ確かに、フンドシは締まりは良いだろうけどなあ」
 
「聞き耳たててんな! この変態!!」
 
 カーテンの隙間から伸びた生足が、才人の股間を直撃した。
 
「お……、お前らは、何でそんなに俺の切ない所を……」
 
 蹲る才人を見下すように、真紅のワンピースを身に着けたエールが扱き下ろす。
 
「うっさいバカ! 変態! スケベ!」
 
 だが、そんな彼女の姿を見てシエスタ達が息を呑む。
 
 ボリュームのある赤髪を大きく二つのおさげにしたエールに、真紅のワンピースが良く映える。
 
 そして、その背から伸びる純白の四枚翼が彼女の可愛さを神秘的な領域にまで高めているのだ。
 
「うわぁ、エールちゃん可愛い過ぎ!!」
 
 思わず彼女に抱き付くシエスタ。
 
「……お姉ちゃん、かわいい」
 
 そして服の裾を摘みながら、微笑みを浮かべて告げるナイ。
 
 エールは照れてそっぽを向いてしまうが、その頬の赤さが彼女の気持ちの全てを物語っている。
 
 僅かに遅れて試着室から出てきたサティーは、エールとは対照的に、かなりくたびれた様子で、
 
「……サイト様、一つお願いがあるのですが」
 
「ん? 珍しいな、サティーがそんなこと言うなんて」
 
「申し訳ございません」
 
「いいよ。――俺に出来ることなら、何でも言ってくれ。サティーには色々と世話になってるからさ」
 
「……では」
 
 一息、
 
「エール様の教育係を、わたくしにお任せしては貰えないでしょうか?」
 
 機械の笑みを浮かべてそう告げた。
 
 その無機質な笑みに恐怖を感じた才人は、姿勢を正して必要以上に首を上下に振って頷き、
 
「どどどどどどぞう、お任せ致します」
 
 そう言って、心の中でエールに対して十字を切った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その後、約2週間に渡り領地内の問題を片づけ続けた才人達。
 
 ようやく時間に余裕が出来、遂にトリステインに帰る日がやって来た。
 
 使用人達に見送られ、やって来た時よりも多い人数でロサイスに向かう。
 
 途中、ティファニアの屋敷に立ち寄って合流し、これで全てのメンバーが揃った。
 
 そして二日かけて到着したロサイスで才人達を待ち構えていたのはアルビオン籍の巨大な軍艦だ。
 
 才人達がトリステインに帰ることを聞いたウェールズが、手配してくれた代物なのだが……。
 
「……アルビオンの軍艦って、全部潰したと思ったんだけどな」
 
 呆れた声で呟く才人に答えてくれたのは、彼を待ち構えていた軍人だった。
 
「それは戦争後にトリステインとアルビオンとの共同で新造された三隻の軍艦の内の一つでね、名をガンダールヴ。
 
 三隻の内でもっとも戦闘力の高い艦だ」
 
 近づき、気さくな態度からは一転して軍人らしい見事な敬礼をとり、
 
「わたしはサー・ヘンリー・ボーウッド。この艦の艦長を務めさせてもらうことになりました。
 
 よろしく頼みます、ヒラガ卿」
 
 そして、また笑みを浮かべて才人に手を差し伸べて握手を求める。
 
「あ、はい。よろしく」
 
 しっかりと手を握り返す才人。
 
 ボーウッドは笑みを浮かべて、
 
「このガンダールヴの他にも高速飛行に優れたヴィンダールヴ、500の竜を収容可能な巨大竜母艦ミョズニトニルン。
 
 全て、有事の際はヒラガ卿の指揮下に入るよう承っております」
 
「……なんだそりゃ!?」
 
「ね? 凄いでしょ」
 
 悪戯が成功した子供のように、無邪気な笑顔で告げるのはブリミルだ。
 
「……根回しって、これかよ?」
 
「ええ、いずれ絶対に必要になるもの」
 
 ……確かに、やがて来るガリアとの戦闘では必要になってくるだろう。
 
 一度ブリミルとティファニアによって潰されたとはいえ、その頃にはガリアの航空戦力もある程度は復帰している筈である。
 
 ……だからとはいえ、
 
「帰るだけなら、普通に定期船に乗れば良いだろうが……」
 
「進水式も兼ねてるらしいから、丁度良いんじゃない?」
 
「……そういう問題か?」
 
 軽く溜息を吐きながら肩を竦める才人。
 
 次の瞬間には気を取り直すと、ボーウッドに改めて一礼してから艦に乗り込んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ロサイスから、ラ・ロシェールに到着した才人達は、そこに待ち受けていたヴァリエール公爵家所有の竜籠に乗り換え、一路トリステイン魔法学院を目指す。
 
 どうやら事前にエレオノールが連絡を入れて、迎えに寄こしていたらしい。
 
 流石にジルフェを乗せるだけのスペースが無いため、歩いて帰ることになったのだがグリフォンの一人歩きなど物騒な事この上ない為、才人が一緒に付いていく事になった。
 
 その事に不満を述べるエレオノールとルイズだったが、才人もトリスタニアの方に用事があるというので渋々了承した。
 
 こうして久方振りの一人の時間を手に入れた才人は、トリスタニアを目指してジルフェを走らせる。
 
 ジルフェの脚ならば、一日もあればトリスタニアまで余裕で到着するのだが、そこはそれ。
 
 才人も女の子に囲まれる生活は決して嫌いではないが、偶には一人で羽根を伸ばしてみたい時もある。
 
 自分の背中に寝ころぶ才人を感じながら、
 
“……で、どうするのだ? サイト殿”
 
「まあ、のんびりと行こうぜ。そんなに急ぎな用事でも無いしな」
 
 駆け足程度の速度で走り始めるジルフェ。
 
 途中の町で一泊して、才人達がトリスタニアの街に到着したのは翌日の夕方近くだった。
 
 それでも普通の馬ならば丸々二日掛かる距離を、その半分の時間で走破しながらも息一つ切らしていないジルフェは、やはり並のグリフォンではない。
 
 感心しつつ、才人は目的地である武器屋の扉を開ける。
 
「いらっしゃーい」
 
 気のない返事と共に客を迎えてくれた店主の親父は、才人の顔を見ると途端に元気になり、
 
「我らが剣じゃねえか!? 生きてたのかい、あんた!」
 
「勝手に殺さないでくれよ、おっちゃん……」
 
「ははは、悪いなあ。なかなか顔見せねえもんだからよ、俺ぁ、てっきり死んだもんだとばかり」
 
「ゴメン、忙しくてさ、今日やっとこっちに着いたばかりなんだ」
 
「良いさな、気にすんなって我らが剣。それで今日は、どんな用事でい?」
 
 才人は表情を真剣なものに改め、カウンターに両手を着くと店主に向けて深々と頭を下げ、
 
「ゴメン! 折角おっちゃんがくれたメーネ折っちまった」
 
 一瞬、何を言われたか分からなかった店主だが、意味を理解すると苦笑を浮かべ、
 
「おいおい、つまんねえこと言ってんじゃねえぜ我らが剣。
 
 剣なんて物は、所詮は道具よ。――そりゃ、長く使ってりゃあ多少の愛着は沸くかも知れねえがな、だからって一々気にしてたら身体が持たねえよ」
 
「いや、……でも、折角貰ったのに」
 
「気にすんなって、言ってんだろうが。
 
 それよりも、……だ。どうよ? 何か手柄挙げたのか? ん?」
 
 興味津々の様子で問う店主。
 
 その様子に、才人は肩を竦めると、
 
「うん、まあ」
 
「ほう、で……? どんな賞よ? 勲章か? 褒美か?」
 
「いや、その……、アルビオンの貴族になっちゃった」
 
 照れたように告げる才人に対し、店主は目を見開くと、
 
「凄ぇじゃねえか、我らが剣! 平民から貴族だなんて、そうそうなれるもんじゃねえ! やあ、流石に俺が見込んだ男だ!」
 
「ははは……」
 
 店主は才人の背中をバンバン叩きながら、
 
「良し、今日はもう店じまいだ! 飲みに行くぞ我らが剣! 勿論、俺の奢りだぜ!!」
 
「いや、悪いって、メーネの詫びも込みで俺が奢るよ! お金も結構貰ったしさ」
 
 店を閉め、才人を連れて歩く店主と、どちらが奢るかで言い争う才人。
 
「謙虚な貴族様だな、お前は……。だが、そこが気に入ったぜ我らが剣!」
 
 才人にヘッドロックを極め、店へ引き連り込む。
 
 店は勿論、魅惑の妖精亭だ。
 
「いらっしゃいませー♪」
 
「あらん、サイトくん」
 
 駆け寄ってきた店長のスカロンがサイトを抱き締める。
 
「ぐあぁぁあぁ」
 
「嬉しいわあ、アルビオン戦で大活躍した英雄がウチのお店を尋ねてきてくれるなんて」
 
 メキメキと背骨の軋む音を聞きつつ、才人は引きつった苦笑いを浮かべて挨拶した。
 
「て、店長……、ギブ! ギブ!!」
 
 ……いや、挨拶とは言わないかもしれないが。
 
 そんな苦しむ才人を救ってくれたのは、ジェシカと魅惑の妖精亭の店員達だった。
 
 彼女達は集団で突入し、スカロンの手から才人を奪取して一番良い席の客を押しのけてそこに才人を座らせると全員で取り囲み、
 
「ルイズから聞いたよ! 七万のアルビオン兵、全滅させた上にお城まで落として敵の大将討ち取ったんだって!?」
 
「いや、やったのはブリミルだけど」
 
「まあまあ、良いから良いから。飲んで飲んで」
 
 ジョッキを渡され、それになみなみとワインを注がれる。
 
 そしてテーブルの上には注文もしていないのに、所狭しと料理が並べられいた。
 
「そうそう、公爵になったんだって? 凄いじゃない」
 
 ジェシカの言葉に、接客の女の子達を取られて不平を零していた客達が静まり返る。
 
 才人は驚いた顔でジェシカを見つめ、
 
「……何で知ってんだ?」
 
 対するジェシカはウインクを贈り、才人の耳元に顔を寄せて彼にだけ聞こえるような小声で、
 
「ウチもね、ゼロ機関なのさ」
 
「……へ?」
 
 更に驚く才人に、店員の女の子達が揃って彼にウインクする。
 
「さあさあ、みんな、他のお客さん達にもサービスを忘れないでね」
 
「ミ、マドモアゼル!」
 
 他の客達の元へ散っていく店員達の中、ジェシカに手を引かれて才人は彼女の部屋に引き込まれた。
 
「どういうことだよ? 魅惑の妖精亭がゼロ機関って?」
 
 尋ねる才人に対し、ジェシカは悪戯な笑みを浮かべると、
 
「何週間か前にブリミルさんがやって来てね、ウチをゼロ機関の情報収集部門に指定したのさ」
 
「……情報収集部門?」
 
「そう、酒場って所は色んな情報が流れてくるからね。中には他国から流れてくる傭兵とかもいるからさ」
 
 才人は盛大な溜息を吐き出し、
 
「……危険な事とかは、無いんだな?」
 
「無いと思うよ。精々噂話にチェック入れて報告するだけだから」
 
 軽い物言いではあるが、少しでも才人の役に立ちたいという思い。
 
 それは決して才人の事を想う他の少女達に劣るものではない。
 
「そっか……」
 
 続いて安堵の吐息を吐き、
 
「無茶だけはすんなよ」
 
「……心配してくれてんだ」
 
「当たり前じゃねえか」
 
 さも当然といった風に告げる才人。
 
 ジェシカは自然な微笑を浮かべて才人に寄り添い、
 
「……ありがと」
 
 才人の頬に触れるだけの口付けを贈った。