ゼロの使い魔・2回目
 
第6話(後編)
 
 急いで魔法学院に戻った才人は、ルイズの部屋に帰ると、予定の打ち合わせを始め、何時でも出発出来るようにと、荷造りを始める。
 
 と言っても荷物など武器と着替え程度しかない才人は、ものの10分程で準備が終わってしまい、その後でルイズの準備を手伝わされた。
 
「えーとだな、サティー」
 
「はい。何でしょう? サイト様」
 
「うん。俺達が出かけた後はさ、この学校とシエスタ達を守ってやってもらえないか?」
 
 その言葉に、ルイズは訝しげに眉を顰める。
 
「ねえ、男子生徒や男子教職員が殆ど出払ってる学院なんか狙ってきたりするの?」
 
「ああ、多分来ると思う。貴族の子供を人質に取るとなるとかなり有利に戦争を進めることが出来るからな」
 
 才人の脳裏に過ぎるのは、戦場から帰還した際に聞かされた魔法学院襲撃とコルベールの死亡。
 
 実際は、キュルケの機転によりコルベールは生きていたが、まともな戦力がキュルケとタバサ、コルベールだけでは不利な事実に変わりはない。
 
 才人はサティーに視線を向けると、
 
「お前が学院を護ってくれるなら、俺は戦争の方に集中出来るからな」
 
 サティーは暫く思案した後、才人に一礼すると、
 
「了承いたしました。……それがサイト様のお望みならば、必ずや成し遂げてご覧に入れましょう」
 
 と告げ、戦闘に備えて自らの装備を確認する。
 
 才人は続いて、ナイの頭に手を添えると、
 
「ナイもお留守番な?」
 
「……おとーさん、ナイとお別れ?」
 
 泣きそうな顔で、才人にしがみついてくる。
 
 才人はそのまま優しくナイの頭を撫でてやると、
 
「大丈夫だ。戦争が終わったら、すぐに帰ってくるよ」
 
 優しい笑みを浮かべて告げた。
 
 暫くはぐずっていたナイだが、やがて涙を拭うと小さく頷き、
 
「……約束」
 
 言って小指を差し出す。
 
「……何それ?」
 
 問うルイズに対し、才人はナイと小指を絡めながら、
 
「俺の国の約束の時の儀式……みたいなもんかな?」
 
 言って小さく手を上下させながら、
 
「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ーます。指切った♪」
 
 それを聞いたルイズが、不思議そうな顔で才人に問いかける。
 
「変わった歌ね? どんな意味があるの?」
 
「ああ、約束破ったら、針千本飲ませるっていう意味」
 
「何よそれ!? 死んじゃうじゃない!!」
 
 必死な顔で告げるルイズに対し、才人は笑みのままで、
 
「だから、約束を破らなけりゃ良いんだよ」
 
「……それはそうだけど」
 
 尚も不満そうに渋るルイズ。才人は軽く溜息を吐き出すと、
 
「大丈夫だって」
 
 そう告げて部屋を出ていく。
 
「……何処行くの?」
 
「ジルフェん所。……あいつにも頼んどかないとな」
 
 手を振り、才人は馬小屋へと足を向けた。
 
 
 
 
 馬小屋でジルフェに学院のことを頼んだ才人は、続いてコルベールの研究室へ向かう。
 
 今までの礼と、学院を賊が襲う可能性がある為にその警告をしに、だ。
 
 そこで才人はコルベールに話を聞いた。
 
 火の系統の使い手であるにもかかわらず、火が司るのが破壊だけでは寂しいと告げ、その力を何か人の役に立つことに使いたいと語る。
 
 そして、異世界から来たと告げた才人に、自分も彼の世界に連れていって欲しいと。
 
 才人の世界で走る自動車や飛行機を実際に、その目で見てみたいと告げ。その為にも絶対に生きて帰ってくれと。どんなにみっともなくとも、卑怯者と罵られようとも、絶対に生きて帰ってこいと語る。
 
 才人はコルベールの言葉に力強く頷き、
 
「勿論です。……俺、貴族の連中が言ってるような名誉とかに拘って死ぬくらいなら、逃げ出してでも生き残る方を選択します」
 
 前回からの流れの中で、多少は名誉や家名というものについて貴族がどう考えているかは分かってきてはいるが、それでも才人としてはそんなものよりは、自分や仲間達の命の方が万倍大切であるという考え方には変わりはない。
 
 コルベールも才人の考え方に同意し僅かな沈黙の後、口を開きかけ、それでも暫し逡巡してから、決意したように語り始める。
 
「その……、何だ、君。
 
 ……つまらない話になるが、少し聞いてもらえないかね?」
 
 と前置きし、
 
「……かつてわたしは罪を犯した。
 
 大きすぎる罪だ。
 
 騙されたとはいえ、女性も子供も全てを焼き殺した。
 
 大きすぎて、決して許される事のない罪だ。
 
 その罪を贖う為に研究に勤しんできたのだが……、最近、思うようになったことがある。
 
 それはだな、……どのような発明をしても、罪は贖えないということだ。
 
 どれほど、人の役にたつような発明をしても、……わたしの罪は決して赦されることはない」
 
 コルベールは才人の肩に手を置き、真摯な眼差しで彼を見つめ告げる。
 
「だから、君には一つ約束してほしい。
 
 ……人の死に慣れるな。
 
 それを当たり前だと思うな。
 
 思った瞬間、何かが壊れる。
 
 わたしは君に、わたしのようになってほしくはない。
 
 だから重ねて申し上げる。
 
 戦に慣れるな。
 
 殺し合いに慣れるな。
 
 人の死に慣れるな。
 
 ……これだけは、どうか約束して欲しい」
 
 コルベールの言葉に、才人は頷き自らの手を差し出す。
 
「……この手は、今まで何人もの命を奪っています」
 
 殺したくは無かったが、主人を、仲間達を護る為に幾人と殺した。
 
 かつての世界で宝探しの時の亜人、タルブ上空での戦いの際は竜諸共兵達にも死人が出ているだろう。
 
 どのような理由があろうとも、殺しは殺し、決して褒められるような行為ではない。
 
「後悔はしています。……今でも夢に見ることもあります。でも、大事な人を護る為なら……、例え間違っていても、それをやり通そうと決めました」
 
 伝説の使い魔といえど出来ないこともある。
 
 ……それはアルビオンへウェールズ救出に向かった際に、叩きつけられた現実だ。
 
 殺さずを掲げて、仲間が死ぬようなことになれば、才人はきっと自分が許せない。
 
「だから先生の言うとおり、殺すという行為に慣れるつもりはありませんけれど……」
 
 差し出した手で拳を握る。
 
「大事な人を護る為に、剣を振るうことに躊躇いはありません」
 
 言い切った。
 
「……強いな君は」
 
 そう告げるコルベールに才人は首を振り、
 
「そんな……、全然強くないですよ。
 
 それに、俺は信じています……。
 
 確かに先生の言った通り、今は犯した罪を誰も赦してくれないかもしれない。
 
 それでも、何か償う方法がある筈だって! 先生なら、それが出来ると信じています!! だから、俺と約束して下さい!」
 
 一息、
 
「……絶対に死なないと! 例え先生の前に、復讐者が現れたとしても、罪の意識から、安易に死を望まないで下さい。
 
 それは救いなんかじゃない。そんなことをしたって先生も相手も救われやしない!」
 
 コルベールだけではなく、アニエスのことも思っての言葉だ。
 
 復讐を成し遂げた後のアニエスは、どこかその感情を持て余しているように見えた。
 
 才人の言葉を聞いたコルベールは、しっかり頷くと、首から下げた鍵を使って、机の引き出しを開け、そこから小さな箱を取り出す。
 
「……これは、わたしの罪の証ともいうべき物だが。
 
 どうか受け取ってもらえないだろうか?」
 
 きょとんとした顔で、コルベールを見つめる才人に対し、コルベール本人は、苦笑を浮かべ、
 
「いや、君にわたしの罪を継いでほしいと言っているわけではない。
 
 罪はわたしが償う。
 
 ……君に継いでほしいのは、わたしの意思だ」
 
 笑い、
 
「君の言葉を聞いて確信した。……君ならば大丈夫だ。
 
 だからこそ、わたしは、罪を背負う為に生きるのではなく、罪を償う為に生きていこうと思う」
 
 才人は力強く頷くと、その小箱を受け取った。
 
 
 
 
 コルベールの部屋を辞退した才人が次に向かった先は、裏庭のベンチだ。
 
 そこで呼び出されていたシエスタと落ち合う。
 
 シエスタは才人の姿を確認すると、ベンチから立ち上がり彼に抱き付いた。
 
「し、シエスタ!?」
 
 慌てふためく才人に対して、シエスタは彼の身体をしっかりと抱き締め、押し殺したような声で告げる。 
 
「……戦争、行くんですよね」
 
「うん」
 
「……わたし、本当は反対です。人が一杯死ぬ戦になります。
 
 才人さんには、そんな所に行ってほしくありません」
 
 胸に顔を埋めて、決して才人の方を見ないようにして告げるシエスタの頭を優しく撫で、
 
「……俺も戦争は嫌いだよ。
 
 貴族の人達は、名誉だ何だって言ってるけど、この戦の裏に隠れてるのは、そんなもんじゃないんだ」
 
 この戦争は一人の男が楽しむ為のゲームだ。
 
 クロムウェルもウェールズもアンリエッタも、そいつが楽しむ為に手の上で踊らされているのに過ぎない。
 
 あの時、そう語ったジョゼフの顔を才人は忘れない。
 
「終わらせなきゃならない。これ以上、虚無の犠牲者を増やさない為にも……」
 
 シエスタは才人の背中に回す腕に力を入れる。
 
「……わたし、馬鹿だからサイトさんの考えとかは、良く分かりませんけども、……死んじゃ嫌です。
 
 絶対、生きて帰って来て下さい」
 
「うん、約束する」
 
 言って、才人は小指を差し出す。
 
 曾祖父から教わっていたのだろうか? それだけでシエスタは才人のやりたいことを理解すると、才人の小指に自分の小指を絡め、
 
「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ーます。指切った」
 
 約束を交わした己の小指を見つめ、
 
「……約束ですよ?」
 
 言って、頷いた才人の一瞬の隙をついて唇を奪い、踵を返してそのまま去っていった。
 
 残された才人は、ただその場に呆然と立ち尽くし、未だシエスタの感触が残る唇にそっと手を添える。
 
“ふむ、なかなか面白いものを見せて貰ったぞサイト君”
 
 突如掛けられた声に慌てて才人が振り返ると、そこに居たのは毒々しい色のカエル。
 
 モンモランシーの使い魔のロビンがいた。
 
 ロビンはしたり顔で頷き、
 
“いや、なかなかに大胆なお嬢さんだね?”
 
「……何が言いたい?」
 
“ははは、なに知れたことだ。……このことをヴァリエール嬢にバラされたくなければ、次回の使い魔議会において……、みなまで言わずとも分かっているね?”
 
 才人は二度頷くと、
 
「いいか? ロビン。三つほど言いたい事がある」
 
“なんだね? 言ってみたまえ”
 
 才人は指を一本立て、
 
「一つ目、ルイズはカエルが苦手だから、お前の話をマトモに聞かない事」
 
 二本目の指を立て、
 
「二つ目、ルイズはお前の言葉を理解出来ない事」
 
 最後に三本目の指を立て、
 
「三つ目、ここでお前を始末すれば、全てが丸く収まる事」
 
 才人が無表情のままで腰のダガーを引き抜くのを見たロビンは慌てて、
 
“ははは、なに軽いジョークだよサイト君! そう本気にするとは大人気ないね!! そうだ君に良い物をあげよう”
 
 言って、口から香水の瓶を吐き出し、
 
“魔法の眠り薬だ。これで、今回は手打ちにしようじゃないか!?”
 
 そう言い残して、素早くその場から去っていった。
 
「……ちょっと、脅し過ぎたかな?」
 
 少し反省しながら足下に置かれた小瓶を取り、それを懐に収めた。
 
 
 
 翌月、遂に参戦準備が整ったとの知らせを受けたルイズが才人と共に早朝から出発の準備をしている。
 
 零戦に乗り込む才人の胸元には二つの指輪、……ウェールズから受け取った風のルビーと、昨日コルベールから受け取った火のルビーの二つが通された細い鎖と、先日シエスタから貰ったマフラー。
 
 そして、もう一つシエスタから貰った、彼女の曾祖父の形見であるゴーグルが掛けられていた。
 
 才人は見送りに現れたキュルケ達やコルベール、シエスタを始めとした厨房の皆に手を振ると、ルイズと共に零戦に乗り込みエンジンを始動させ魔法学院を飛び立った。
 
 
 
 
 その後、事前に聞いていた方向へ2時間ほど飛び、連合軍艦隊と合流する。
 
 無事、着艦を果たした才人とルイズは、将校にルイズ達の使う部屋へと案内されて、そこに荷物を置いた後、総司令部に案内された。
 
「アルビオン侵攻軍総司令部にようこそ、ミス・虚無(ゼロ)」
 
 そう告げる将軍を前にして、才人は眉を顰める。
 
 以前、総司令官を務めていた将軍は、40過ぎの男だった筈だが、今回ルイズ達に声を掛けたのは、仮面で顔の半分を隠した20代の若い青年だったのだ。
 
「総司令官のウインドだ。アンリエッタ陛下から、直々に連合軍の指揮を任されてね」
 
 言って、仮面の下でウインクする。
 
 そこに込められた親しみに気付いた才人が、ウインドの正体を見抜いた。
 
 才人は気軽に挨拶すると、
 
「ゲルマニアの方では、良くしてもらえました?」
 
「ああ、格別な対応だったよ。戦争が終わったら、彼女達にも礼を言わせてもらわねばならないね」
 
「そりゃ、なにより」
 
 笑いながら語り合う二人に訝しげな視線が向けられ、それを代表するようにルイズが肘で才人を突つき、
 
「……知り合い?」
 
 と尋ねるが、才人は後でな、と言ったきり彼の正体を教えてくれない。
 
 実は、他の将校達も、このウインドと名乗る総司令官に関しての情報が一切無いのだ。
 
 突如、アンリエッタの口添えで総司令官に抜擢された存在。
 
 経歴は疎か、どこの国の者なのかも分からない謎の総司令。そして、その彼と顔見知りである平民の使い魔。
 
 謎は深まるばかりである。
 
 
 
 
 そして始まった軍議において、二つの議題が取り立たされた。
 
 一つは、未だ有力な敵空軍艦隊。もう一つは、上陸地点の選定。
 
「強襲で兵を消耗したら、ロンディニウムの城をおとすことは叶いません」
 
 そう告げる参謀長に対し、総司令官は躊躇せずに才人に意見を求めた。
 
 その事で、議場の喧噪が一気に膨らむ。
 
「ウインド殿! 如何に総司令官といえど、我らの意見を聞く前に、どこの馬の骨とも知らぬ平民に意見を仰ぐとは何事か!?」
 
 憤りの声を挙げる将校に対し、ウインドは落ち着いた声で、
 
「彼は、かのラ・ヴァリエール公爵より一個軍団を預かっておられるのですよ? この場にて発言する権利は十二分にある。
 
 そして、彼ならば通常では思いつかぬ方法で、敵を出し抜く事が出来ると信じています」
 
 その言葉に、場が静寂に包まれる。
 
 ラ・ヴァリエール公爵と言えば、トリステインにおいては幾多の戦歴を残した英傑であり、ゲルマニアにとっても国境を接する領地を持つため目の上のたんこぶ的存在として有名であった。
 
 その公爵より一軍を預けられるということは、即ちラ・ヴァリエールの後継者候補と言っても過言ではない。
 
 ……実際の所、公爵としては、才人の実力は評価するが、娘との結婚を認めるつもりなど微塵も無いのだが、そんなことを知らぬ面々は、皆一様に押し黙ってしまった。
 
「……してサイト殿。何か妙案はありますか?」
 
 才人は照れて頭を掻きながら、
 
「……俺、もしかして過大評価されてます?」
 
「ぼくとしては、正当な評価だと思うがね。……君は自分の事を何時も過小評価過ぎる」
 
 才人はヤレヤレと溜息を吐き出すと、前回の出来事を思い出し、
 
「まあ、伝説って言っても所詮は人間ですからね、出来る事と出来ないことがありますから、出来ることをやらせてもらいます」
 
 感嘆の声が漏れる中、才人が告げる。
 
「俺とルイズで陽動を引き受けます。ロサイスではなく、ダータルネスに上陸するように敵を欺きますから、皆さんは艦隊の方をお願いします」
 
 たった二人で陽動を受け持つと宣言する才人の発言に、場がざわめきに包まれる中、ただ一人平然とした声で、総司令が口を開く。
 
 彼にしてみれば、この程度の非常識、才人達であるならば常識であるのだろうという考えだ。
 
「承知した。では、護衛に竜騎士中隊を付けよう」
 
 そう告げるウインドの言葉を才人は断った。
 
「護衛は要りません。その分を敵艦隊の攻撃に回して下さい」
 
「……しかし」
 
「大丈夫ですよ。俺には竜騎士は近づいてこれませんから」
 
 言って下手なウインクをしてみせる。
 
 その自信に溢れる才人の態度に、再び場が感嘆の声で包まれた。
 
 実際の所、才人が竜騎士の護衛を断ったのは、テファの持つ先住の力を宿した指輪を無駄に消費したくなかったからだ。
 
 あれはカトレアの病を治す可能性がある唯一のアイテムであり、自分が大怪我を負うのがほぼ確定している以上、他の負担を取り除く位しか指輪の消耗を防ぐ方法が思いつかなかった。
 
 部屋を出たルイズは、才人に向け、
 
「あんな約束してどうすんのよ?」
 
「大丈夫だって、虚無の魔法の中に都合の良い魔法があるから、それを使えば良いさ」
 
 ルイズは訝しげな眼差しで才人を睨み、
 
「……何であんたがそんな事知ってるのよ?」
 
 そう問い掛けてくる。
 
 それは予測済みの質問だ。だから才人は予め決めておいた答をルイズに告げた。
 
「この額のルーンはなミョズニトニルンって言って、別名、神の頭脳とまで言われた使い魔でだな、始祖ブリミルに助言をするほど知識を貯め込んでたそうだ。
 
 そのルーンが色々教えてくれてるんだよ」
 
 その説明で一応の納得を示したルイズだが、まだ疑問が残っている。
 
「ねえ、あのウインド総司令官と知り合いなの?」
 
 不安そうに尋ねる。
 
 なにせ良く考えてみたら、自分は未だに才人の事を詳しく知らないのだ。
 
 どこでどんな人生を送ってきたのか? 偶に才人の話で出てくる、彼の師匠や、知り合いの貴族との関係は?
 
 ウインド総司令との関係が、才人の過去に何かしらの繋がりがあるのかもしれないと予想するルイズだったが、その予想はあっさりと裏切られた。
 
 才人はルイズの耳元に顔を寄せると、
 
「あれな、……ウェールズ王子だ」
 
「嘘ッ!?」
 
 驚きの声を挙げるルイズに対し、才人は半眼で彼女を見つめたまま、
 
「……気付よ」
 
 呆れ顔の才人に、ルイズは頬を膨らませて、拗ねた表情で、
 
「あんな仮面付けてたら、普通気付かないわよ!?」
 
「いや、声で判断出来るだろ?」
 
「む――」
 
 そっぽを向いてしまったルイズに苦笑を浮かべていると、横から貴族の少年達に声を掛けられた。
 
「おい、お前」
 
 才人が視線を向け、問いかけると、リーダー格の少年が顎をしゃくって付いて来いと才人を促す。
 
 苦笑いを濃くした才人は、肩を竦めながらその後を追い、ルイズも才人とに追従する。
 
 そして、連れて来られたのは、零戦の係留された上艦板。
 
 彼らの内の一人が零戦を指し、
 
「これは、生き物か?」
 
 と問うてきた。
 
 才人が肩を竦めて、苦笑いを浮かべながら、飛行機について説明してやると、零戦が何なのか? で賭をしていた彼らは、それが生物でないと知りと落胆するものと驚喜するものに別れワイワイと騒ぎ出す。
 
 そんな彼らを懐かしいものを見るような眼差しで見つめ、
 
 ……やっぱ、こいつらには、無理してほしくねーなあ。
 
 と思う才人だった。
 
 その後、竜騎士の少年達に煽られ風竜に跨った才人は、ヴィンダールヴの力を発揮して空を縦横無尽に飛び回る。
 
 専門家である自分達でさえ不可能な挙動を繰り広げる才人と風竜を見ていた竜騎士達は、言葉を失い、ただ呆然と空を見上げるのみ。
 
 否、少年達だけではない。その竜の飛翔に気付いた者達が皆一様に艦板で空を見上げ竜の飛行を見守っていた。
 
 そんな中、1匹の風竜が才人の方へ近づいてくる。否、正確には旗艦であるヴュセンタール号に着艦するつもりなのだろう。
 
 その風竜の背に乗った人物が誰なのかを悟った才人は、デモンストレーションとでも言いたげに、風竜を操って背後を取ろうとするが、相手も然る者、才人と同レベルの挙動を行い、付かず離れずのドッグファイトを繰り広げ、何時しか仕事の無い者達は皆、手に汗握りながらその光景を眺め、一部では賭けも成立するほどの賑わいを見せた。
 
 ……やがて、勝者不在のままで艦に降り立った二匹の風竜に、艦板上の兵士達が集まってくる。
 
 才人はもみくちゃにされながらも、もう一匹の風竜を操っていた少年の前に辿り着くと、まずは情報戦とばかりに気軽に挨拶した。
 
「よう、ヴィンダールヴ」
 
 対する少年は、笑みを浮かべると、
 
「ははは、人違いじゃないのかい?」
 
「ん? ああ、悪い、これ渾名だったな。
 
 ……たしか、ジュリオ・チェザーレだっけか?」
 
「ああ、久しぶりだね。ガンダールヴ? あれ? ミョズニトニルンだったかな? それとも今は君がヴィンダールヴかい?」
 
 数年ぶりに再開した旧友とでもいうように、二人は笑顔で握手を交わす。
 
 瞬間、才人の視界が闇に包まれた。
 
 暗闇の中、何が起きたのか分からず周囲を確認しようとする才人の脳裏に声が聞こえてくる。
 
“……殺せ”
 
「何だ?」
 
“……喰らえ”
 
「誰だ!?」
 
“……この世に同じ存在は二人と要らぬ。眼前の男を喰らいて、己が力となせ”
 
「……何を言って」
 
“さすれば、汝……”
 
 声はそこで途切れ、才人の視界も元に戻る。
 
 そして視線を前に移せば、手を握っているジェリオが青ざめた顔でこちらを見ていた。
 
 周囲では、二人ともさぞかし名のある竜騎士で、二人で若い時から切磋琢磨して腕を磨いてきたのだろうという推測が飛び交っていたのだが、喧噪も収まり皆一様に恐怖におののいた顔つきで才人の方を見つめている。
 
「……どうしたんだ? 皆」
 
「い、いや、何でもないんだ。気にしないでくれ。
 
 そ、それよりも、僕は到着の報告に行かないといけないからね。……そろそろ手を離してくれないかな?」
 
「ん? ああ、悪い」
 
 二人が別れ、周囲を囲っていた者達も才人と視線を会わさないように三々五々己の持ち場に帰っていった。
 
 
 
 
 周囲に人影が無くなると、ルイズが才人に恐る恐る声を掛けた。
 
「ね、ねえ、サイト……」
 
「ん? なんだよ?」
 
「……サイト、だよね?」
 
 そういう質問をされても困る。
 
 才人はどういう意味かをルイズに問い質すと、彼女は才人の服の裾を掴みながら、
 
「さっきのサイト、凄く怖かった」
 
 ……思い当たるのは、先程の声だ。
 
 何が原因かは分からない。だが、あの声は正直かなりヤバイ感じがした。
 
 才人は努めて笑顔で、
 
「まあ、気のせいだろ」
 
 だが、そんな彼の作り笑いを見抜いたルイズが心配そうに気遣う。
 
「……無理してない?」
 
「大丈夫だって」
 
 ルイズを促し部屋へ戻る。
 
 そこで気を取り直したルイズは、話題を変えようとしてジュリオとの関係を才人に聞き質した。
 
 才人は困った笑みを浮かべると、
 
「えーとな、昔の戦友っていったとこ?」
 
「……何? あんた何処かで傭兵でもやってたの?」
 
「いや、傭兵とかじゃなくて、護衛って感じかな? で、あいつが運転手」
 
 まあ、ずっと前の事だし、俺達本人の事じゃないけどな……、と言葉を濁す。
 
 ルイズはルイズで勝手に、以前才人が言っていた知り合いの貴族とやらの護衛と運転手だったのかしら? と納得してしまい。
 
「ふーん、じゃあ、挨拶しとかないと」
 
 そう言って部屋を出ていこうとするルイズに対し、才人は慌てて彼女を押し留めると、
 
「そんなことよりも、ほら、陽動に使う魔法を選ばねーと」
 
 言われて思い出したのか、ルイズは始祖の祈祷書の前で祈りを捧げるように精神集中した後、ページを捲っていく。
 
 そして見つけた新しい魔法。
 
 初歩の初歩。イリュージョン。
 
 安堵の吐息を吐き出すルイズ。
 
 才人は頷きをルイズに送り、
 
「うし、じゃあ、それを参謀本部に伝えて、細かい作戦を詰めてもらおうぜ」
 
 と言って、ルイズを促して参謀本部へ向かった。
 
 
 
 
 そして参謀本部からの帰り、才人達はジュリオと再び出会った。
 
 ジュリオは軽く手を挙げると、気軽に声を掛け、
 
「やあ、また会ったね」
 
「……俺としては、会いたくなかったけどな」
 
 互いに苦笑を浮かべる。
 
「一つ聞き忘れた事があってね」
 
「何だよ?」
 
「……今の君の名前は?」
 
 その質問にルイズは眉を顰めるが、才人はそれに気付くことなくジュリオの質問に答える。
 
「才人、……平賀・才人だ」
 
「……変わった名前だね?」
 
「お前なんて、偽名じゃねーか」
 
 ……確か、大昔のどこぞの偉いさんの名前とか言っていたとルイズに聞いた気がした。
 
「博識だね、君は」
 
「ミョズニトニルンだぜ?」
 
 両手のルーンなら手袋で隠せるが、額のルーンばかりはどうしようもない。……せめてバンダナでもしてくるんだったかな?
 
 と思うが、後の祭りだ。
 
 対するジュリオは、視線をルイズに、……正確にはルイズの持つ始祖の祈祷書と水のルビーに向け、
 
「秘宝と指輪、担い手と使い魔……、君の所は一通り揃っているようだね。
 
 ……羨ましい限りだよ」
 
「やらねーぞ」
 
 ふざけた物言いだが、そこに込められた絶対意思は伝わる。
 
 ジュリオは肩を竦めると、
 
「そんなつもりは無いよ」
 
「……今の所は、か?」
 
「止してくれ、君と喧嘩して勝つ自信なんか、微塵も無いんだから」
 
 言って踵を返し、
 
「じゃあね、縁があったらまた会おう」
 
「なら、絶対に会うじゃねーか」
 
 そう言い残し、才人もルイズを促してその場を後にした。
 
 
 
 
 翌日、作戦が決定したため、早速それを実行するべく才人は零戦の発進準備をしていた。
 
 流石に何の訓練も受けていない才人では、先導も無しに目印の無い雲上をどっちに進めば良いのか分からないという懸念の声が挙がったが、先導ならば何処にでもいる。
 
 空を飛ぶ鳥に場所を聞けば良いだけの話である。
 
 準備万端整った才人が出撃の命令を待っていると、戦闘開始を告げる鐘が激しく打ち鳴らされた。
 
 何事かと目を凝らす才人の視界に、こちらに突っ込んでくる焼き討ち船の姿が入る。
 
「ヤベッ!?」
 
 衝撃に備え、シートに深く身体を沈める。
 
 なんとか直撃は避けたものの、至近距離での爆発を受けたヴュンセンタール号は大きく傾き、その艦板から零戦の機体が滑り落ちた。
 
 才人は風圧に耐えながらも、落下の風圧で回るプロペラを確認し、エンジンの点火スイッチを押し込み、零戦の心臓に火を入れる。
 
 背後に響く砲撃の音を聞きながら、才人は零戦のスロットルを開け加速した。
 
 襲い来る数多の竜騎士達から、竜の制御を奪い竜達を味方に付けると、竜達に戦闘から離れるように命令して自分達は一気にダータルネスへ向かう。
 
 数時間の飛行の後、辿り着いたダータルネスの港で、ルイズが虚無の詠唱を開始する。
 
 詠まれる呪文は初歩の初歩、イリュージョン。
 
 術者の思い描いた幻影を創り出す魔法。
 
 そして突如、空に現れるトリステイン侵攻艦隊。
 
 その報を受けたホーキンス将軍率いるアルビオン軍は、ロサイスに向けて侵攻していた3万の兵を反転させ、ダータルネスへと向かった。
 
 
 
 
 だが、戦闘自体はまだ終わっていない。
 
 才人は幻影を確認すると、零戦を反転させ機首をロサイス方面に向ける。
 
「ルイズ! 座席の下にあるレバーを引け!!」
 
 ルイズが才人の命令を忠実に実行し、コルベールの取り付けたロケット推進器に火を入れる。
 
 直後、超加速を得た零戦は、一時間余りで戦場に舞い戻った。
 
 戦場の空気が感じられる中、才人は決意する。
 
 ようは殺して後悔するか、見殺しにして後悔するか、だ。
 
 どちらにしろ後悔はする。……否、しなければならない。伝説の力を手にした自分が人の死に対して後悔しなくなった時、それではただの殺人鬼となってしまう。
 
 竜騎士を奪われたアルビオン軍からの攻撃は、砲撃と艦隊からの魔法をメインとしたものに切り替えられたようだが、それでも未だに戦闘は続行していた。
 
 才人は零戦の機首を上げ上昇すると、上空から敵艦に急降下して、レバーを操作してコルベールの新兵器“空飛ぶヘビくん”を発射。
 
 狙いは自軍の旗艦と同じく空母型の航空船。それを旗艦と見越した上での攻撃だ。放たれた“空飛ぶヘビくん”艦橋にが着火。
 
 艦橋は一気に炎に包まれた。
 
 才人の予測は当たっていたらしく、旗艦を失った艦隊は命令系統が途絶え、混乱に陥り敵味方かまわず闇雲に攻撃を仕掛け、自滅する艦隊も出るほどだった。
 
 才人は零戦を操り、空を縦横無尽に飛び回ると、上空から急降下しながら敵艦の艦橋を狙い両翼の20o機関銃を射撃する。今回はタルブ上空戦で使用していない為、まだ残弾に余裕がある。
 
 木製の船で20o機関銃の弾丸を防ぐことなど出来ず、艦橋は一気に混乱の坩堝と化していく。
 
 艦橋が乱れれば、船は陣形疎か進路を決めることさえままならない。
 
 混乱の伝播した船は、次々と白旗を揚げ降服していった。
 
 やがて全ての戦闘が終わり、連合軍の大勝利となった空を零戦が大きく旋回する。
 
 その姿に無事だった者達が、大きな歓声を送った。
 
 とりわけ、零戦の事を知っているトリステイン魔法学院の生徒達からの歓声は凄かった。
 
 周囲の者達に、アレは僕の友達が操っているんだ。と自慢げに話す。
 
 だがそんな中、渦中の才人の心は重い。先程の戦闘で、何人もの人達が死んだ。否、自分が殺した。
 
 どうしても慣れることの出来ない後悔に手指が震える。
 
 だが、その手をそっと包む柔らかい感触。
 
 視線を上げた先にあるのは、ルイズの顔だ。
 
「……サイト、見て」
 
 彼女の指し示す先、そこでは顔を煤で汚しながらも、零戦に手を振る兵士達の姿があった。
 
「みんなをサイトが守ったの。
 
 あんたが人を殺すのを嫌っているのは知ってる。……だけど、あんたが手を汚したことは、絶対に無駄なんかじゃないってわたしは信じてる」
 
 ルイズの励ましのお陰で才人の手の震えが止まる。……心には未だ重いものが残っているが、もう大丈夫だ。
 
 才人は深呼吸すると、ルイズの手を握り返し、
 
「ありがとなルイズ。もう、大丈夫だ」
 
 操縦桿を倒し、零戦は皆の待つ船へ着艦の準備に入った。
 
 
 
 
 その頃、トリステイン魔法学院をアニエス率いる銃士隊が訪れていた。
 
 学院に残った女子生徒達に軍事教練を施し、アルビオンでの戦で士官が消耗すれば、逐次投入する為である。
 
 コルベールの授業に乱入し、生徒達を全員校庭に集結させたが、その中に明らかに場違いな異分子が混じっていることに気付き、初っぱなからアニエスは頭を悩ませた。
 
 彼女は幻痛のする頭を指で押さえながら、
 
「あー……、ナイ。……お前は参加しなくても良いから、向こうでシルフィードと遊んでこい」
 
 既に才人との訓練で顔見知りとなっていたナイに優しく言い聞かせる。
 
「……でも、おとーさんと約束した」
 
「サイトと?」
 
「……おとーさん、サティーお姉ちゃんに何かあったら皆を守れって言ってた。
 
 ……だから、わたしも一緒に戦う」
 
 アニエスは険の無い表情で、健気な少女の頭を優しく撫でると、
 
「だが、戦うのはわたし達の仕事で、お前は本来護られるべき側の人間だ。
 
 だから、大きくなるまでは、わたし達に任せておけ」
 
 言って、ポケットから飴玉を取り出すとナイに握らせ、シルフィードの元へ行っているように告げる。
 
 そしてナイを送り出し再び軍人の表情に戻ると、女子生徒達に対して一喝し、早速校庭10周を命じた。
 
 
 
 
 翌朝早く、タバサは目を覚ました。
 
 中庭から、妙な気配が漂ってくるのを感じたからだ。
 
 同じような気配を感じたのだろう。同じベットで眠っていたシルフィードとお泊まりにきていたナイも眠い目を擦りながら起き出してきた。
 
「……変な感じがする」
 
 頭の上の獣耳をピクピクさせながら告げるナイに、シルフィードも頷きで追従する。
 
 その言葉で決断したタバサは、素早く着替えると階下のキュルケの部屋へ向かう。
 
 そこでキュルケを強引に起こして短く事情を説明し、着替えさせると同時、下の方から扉が破られる音がした。
 
「一旦引く」
 
「賛成」
 
 言って、二人は自分達とシルフィード達にもレビテーションを掛け、窓の外へ身を躍らせた。
 
 
 
 
 同じ頃、アニエス達の宿舎として与えられた火の塔にも賊が4人侵入していたが、それらは全てアニエス達銃士隊の手によって屠られていた。
 
 賊のリーダーでもあるメンヌヴィル達は女子生徒と女子職員達を人質に取ると、食堂に立て篭もり、駆けつけたアニエス達に向けアンリエッタをこの場に呼ぶように交渉を開始する。
 
 勿論、そのような約束を取り付けられよう筈もない。
 
 アニエスが唇を噛み締め、どうするべきかと、悩んでいると背後から声を掛けられた。
 
 振り向く先にいたのは唯一の男性職員、コルベールだ。
 
 何事かと問いかけるコルベールに対し、アニエスは煩わしげに生徒達が賊に捕らえられたことを伝えると、後は邪魔とばかりに彼のことを無視することに決めた。
 
「ねえ、作戦があるんだけど」
 
 更に後ろから掛けられた声に再びアニエスが振り向くと、そこにはナイとシルフィードを従えたキュルケとタバサが立っていた。
 
 キュルケ達の作戦を聞いたコルベールは危険だと言って反対するが、アニエスが強引にそれを採用する。……どちらにしろ、他に手は無いのだ。
 
 予告した時間が過ぎ、それでもアンリエッタが現れない為、メンヌヴィルが警告の意味を込めて、人質の内の一人を殺そうとした所で、小さな紙風船が食堂に飛び込んできた。
 
 全員の視線が紙風船に集まった瞬間、突如紙風船が爆発して激しい音と光を放つ。
 
 中に黄燐を仕込んだ紙風船をタバサが送り込み、キュルケが発火させたものだ。
 
 賊の怯んだ瞬間にタバサとキュルケ、そしてマスケット銃を携えた銃士隊の兵士達が食堂に飛び込み、敵を鎮圧する。
 
 ……予定であったのだが、突入したキュルケ達に対して、無数の火球が降り注いだ。
 
 マスケット銃が暴発し、指を飛ばされて地面をのたうち回る銃士達。
 
 タバサとキュルケは、火球の直撃を受けたのではなく、至近距離で爆発させられた火球によって、衝撃によりダメージを受けた。
 
 キュルケはふらつく頭で、視界に倒れながらもなんとか立ち上がろうとするタバサの姿を確認する。
 
 そして同時に、白煙の中から現れるメンヌヴィルの姿も目に入った。
 
 慌てて呪文を唱えようとするが、杖が無い。
 
 周囲を見渡し、目の前に落ちていた杖に手を伸ばした所で、その杖が何者かの足で踏みにじられた。
 
 ……相手が誰かなど、考えるまでもない。
 
 ゆっくりと視線を上げていくと、メンヌヴィルがキュルケを見下していた。
 
「惜しかったな。光の弾を爆発させて視力を奪うまでは良かったが」
 
 言われ、気付く。
 
 ……この男、目が見えていない。その目に填められているのは義眼だ。
 
「俺は炎を使う内に、随分と温度に敏感になってね。
 
 距離、位置、どんな高い温度でも、低い温度でも数値を正確に当てられる。
 
 温度で人の見分けさえつくのさ」
 
 メンヌヴィルの笑みが、キュルケに恐怖を与える。
 
 後ずさりし、逃げようとするキュルケに対し、メンヌヴィルは更に濃い笑みを浮かべてキュルケを焼き尽くそうと炎を放つ。
 
 恐怖に捕らえられたキュルケは目を閉じて覚悟を決める。……だが、メンヌヴィルが放った炎がキュルケを飲み込もうとしたその瞬間、別の炎がメンヌヴィルの炎を押し返した。
 
 おそるおそる目を開いたキュルケの見たものは……。
 
「……ミスタ?」
 
 杖を構えて立つコルベールの姿だった。
 
 
 
 
「わたしの教え子から、離れろ」
 
 堅い表情で告げるコルベールを前に、メンヌヴィルは彼が誰であるのかを看破すると、歓喜の表情に顔を歪め、
 
「お前は! お前はコルベール! 懐かしい! コルベールの声ではないか!
 
 オレだ! 忘れたか? メンヌヴィルだよ隊長殿! おお! 久しぶりだ!」
 
 嬉しそうに叫ぶメンヌヴィルに対し、コルベールの表情が、暗い何かに覆われていく。
 
「貴様……」
 
「何年ぶりだ? なあ! 隊長殿! 20年だ! そうだ!」
 
 隊長殿? 何やら関係があるらしいコルベールとメンヌヴィルの間柄に、生徒達の間にも動揺が走る。
 
 そして、心底可笑しそうに笑いながら、メンヌヴィルがコルベールの過去を暴露していく。
 
 対するコルベールは無言。
 
 但し、彼の放つ雰囲気は、今までの彼からは感じたことのない類のものだ。
 
 このような雰囲気を放てる者など、キュルケの知り合いには才人しか居ない。……実際にはタバサも放つことが出来るだけの素養があるが、彼女はキュルケに対してそれを放つことは絶対に有り得ないだろう。
 
 ただメンヌヴィルの笑い声だけが響き渡る庭で、その拮抗を崩したのは、上空から飛来した侍女服姿の自動人形だった。
 
 彼女は上空に待機していたグリフォンから飛び降りると、食堂からコルベールを狙っていたメイジに飛び掛かり、杖を持った腕を自らの隠し刃で斬り裂く。
 
 そしてコルベールを一瞥した後、
 
「この場はお任せを、……自らの贖罪に決着をお着け下さい」
 
「……ありがとう、ミス・サティー」
 
 礼を告げるコルベールに対して、サティーは黙礼で返すと、食堂の中のメイジを屠る為に力を発揮する。
 
 コルベールは感情の無い、冷たい笑みを浮かべると、
 
「なあ、ミス・ツェルプストー。火系統の特徴を、このわたしに開帳してくれないかね?」
 
「……情熱と破壊が火の本領ですわ」
 
「情熱はともかく、火が司どるものが破壊だけでは寂しい。
 
 そう思う。20年間、そう思ってきた」
 
 コルベールはいつもの声で呟いた。
 
「だが、君の言うとおりだ」
 
 雲が月を隠し、周囲を闇で染め上げる。
 
「友人を抱えて、塔の陰に逃げなさい」
 
 コルベールの命令に従い、キュルケはタバサを抱えて走り出す。
 
 その背に食堂に潜んでいたメイジの一人が氷の矢を何本も飛ばすが、それは他方から放たれた疾風と迅雷によって粉々に砕かれた。
 
 ……誰? と思うキュルケの視界の隅、食堂に向けて駆けていく二つの人影が映る。
 
 二つの人影は、全く同じタイミングでジャンプすると、
 
「ダブル!」
 
「……ライダー」
 
「「キッーク!!」」
 
 充分に加速の付いた跳び蹴りを、先程氷の矢を放ったメイジの胸にブチ込んだ。
 
 以前、寝物語として才人に聞かされた、彼の世界の英雄のお話。その英雄達が使っていたという必殺技。
 
 闇夜の為、ハッキリとは見えなかったが、食堂の光で一瞬見えたその姿は、蒼い麗人と紅い淑女のように思えた。
 
 青い髪の麗人はおそらくシルフィードだろうが、先程の鎌鼬は魔法ではないだろうか? それに一緒に居た紅い女性は頭に獣のような大きな耳と、お尻には太くて長い尻尾のようなものがあったように見えた気がした。
 
 抱えたタバサが小さく、後でお仕置きと呟いたような気もするが、気のせいだろう。
 
 本来は変化の魔法を使用中は、他の先住魔法を使用する事は出来ないのだが、現在シルフィードを変化させているのは、先住魔法ではなくマジックアイテムの力によるものである。なので、今のシルフィードは人間形態であっても先住魔法を使用する事が出来る。
 
 しかし普通の風竜は先住魔法など使用しない。……これはシルフィードが絶滅したとされる古代種、風韻竜だからこそ出来る芸当だ。
 
 なのでタバサは様々なトラブルを避ける為、彼女には普段は喋ったり先住魔法の使用を禁止していたりするのだが、今回は非常時とはいえ、その禁を破ってしまった。
 
 そのことによるお仕置きをタバサが考案しつつ、食堂内で立て篭もっている賊達への襲撃のチャンスを伺っている中、周囲に気を使う必用の無くなったコルベールが反撃を開始する。
 
 だが、元より光を必要としないメンヌヴィルに対して、暗闇で視界の利かないコルベールではハンデが有りすぎる。
 
 コルベールは逃げながらもメンヌヴィルの放つ攻撃を頼りに、自らの炎を撃ち込むが手応えはない。
 
 やがて何の遮蔽物もない広場の真ん中に辿り着いたコルベールは、大きく息を吸い込み闇の中のメンヌヴィルに向けて口を開いた。
 
「なあ、メンヌヴィル君。お願いがある」
 
「なんだ? 苦しまず焼いてほしいのか? なに、あんたは昔馴染みだ。お望み通りの場所から焼いてやるよ」
 
 だが、その声は無視して、コルベールは落ち着き払った声で告げる。
 
「降参してほしい。わたしはもう、魔法で人を殺さぬと決めたのだ」
 
 そんなコルベールに対し、嘲りに満ちた声で返答するメンヌヴィル。
 
 コルベールは更に膝を着いて頭を下げる。
 
 しかし、メンヌヴィルの返答は軽蔑し、怒りに満ちたものだった。
 
「オレは……、貴様のような腑抜けを二十年以上も追ってきたのか……、貴様のような、能なしを……、許せぬ……、自分が許せぬ。
 
 じわじわと炙り焼いてやる。生まれたことを後悔するぐらいの時間を掛けて、指先からローストしてやる」
 
 呪文を唱え始めたメンヌヴィルに対し、それでもしつこくコルベールは嘆願する。
 
「これほどお願いしてもダメかね?」
 
「しつこい奴だな」
 
 それが最後通牒だった。
 
 悲しそうに首を振ったコルベールは上空に向けて杖を振った。
 
 現れ出でたのは、小さな火球。
 
 照明の代わりにすらならないそれは、上空で大爆発を起こす。
 
 上空の水蒸気をコルベールが練金の魔法で気化した燃料油へと変え、空気と攪拌したからだ。
 
 巨大な火球は、周囲の酸素を一瞬で燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させる。
 
 その為コルベールは土下座する振りをして、身を低くしていたのだ。
 
 対するメンヌヴィルは、立ったまま、しかも呪文の詠唱をするために口を開いていたので、一瞬で肺の中の酸素を奪い取られ窒息死した。
 
「蛇になりきれなかったな、副長」
 
 苦悶の表情を浮かべて事切れたメンヌヴィルに対し、コルベールはそう呟いた。
 
 
 
 
 隊長が倒されたことを知ったメンヌヴィルの部下達は動揺した。
 
 その瞬間を逃さず、タバサとキュルケ、そして負傷を免れた銃士達は一斉に食堂に乗り込んで、サティー達と協力して賊を屠りにかかる。
 
 そんな中、メイジの一人に剣を突き立てトドメを刺したアニエスだが、剣が抜けなくなってしまった。
 
 その隙を逃さず、敵メイジの一人がアニエスに魔法を放つが、何本もあったマジックアローの大半は、シルフィードと謎の女性の放った雷撃と鎌鼬によって消滅させられる。
 
 だが、その内の数本は被弾を免れ、アニエスに向かって飛んでいくが、突如舞い込んできた人影が彼女の前に立ちふさがり、残っていた全てのマジックアローをその身体で受けきった。
 
 直後、そのメイジはサティーの手により斬り倒され、残った賊はもはや勝機無しと悟ったのか窓から逃亡を試みるが、それも無駄に終わる。
 
 逃げ場など有りはしないとばかりに、外で待ち受けるのは獣の王グリフォン。
 
 彼らは逃げ切ることさえ許されず。ジルフェの手によって大怪我を負い、駆けつけたマルトー親父達に縛り上げられた。
 
 
 
 
「……大丈夫か?」
 
 コルベールの問いかけに、思わず頷いてしまったアニエス。
 
 それを見たコルベールは、安堵の笑みを浮かべると、口から大量の血を吐いた。
 
 受けたマジックアローの数は数本で、いずれも急所を外してはいるが、重傷であることに変わりはない。
 
 モンモランシーを始めとした生徒達が駆け寄ってきて、コルベールに水の魔法を施す。
 
 モンモランシーの使い魔である、カエルのロビンが寄ってきて、口から香水の瓶に入った治療薬を差し出した。……次のトリステイン魔法学院使い魔議会での賄賂にと用意しておいたものだが、背に腹は代えられない。
 
 本来ならば、そのままロビンの追求を始める所であるのだが、事態は急を有する為、追求は後回しだ。
 
 だが、そんな中、我に返ったアニエスがコルベールに剣を突き付けようとして、その剣をサティーによって弾き飛ばされる。
 
「……何のつもりだ?」
 
「それはこちらの台詞だと判断します。
 
 私はサイト様より、この学院の守護を命令されております。
 
 何故、ミスタ・コルベールを攻撃されるのですか?」
 
 アニエスは小さく舌打ちする。
 
 以前、才人との訓練で、余興としてサティーと手合わせをしたことがあったが、この自動人形ガンダールヴの力を発揮した時の才人程ではないにしろ、生身の人間では追随出来ない速度で行動するのだ。
 
 あの時は確かに、この主人にして、この従者有りと納得したのだったと思い出す。
 
 この場で、この自動人形とやりあっても、勝算の少ないことを悟ったアニエスは憮然とした表情で、サティーではなく、その向こうのコルベールに向けて告げる。
 
「貴様が……、魔法研究所実験小隊の隊長か? 王軍資料庫の名簿を破ったのも、貴様だな?」
 
 コルベールは荒い息を吐きながらも頷いた。
 
「教えてやろう。わたしはダングルテールの生き残りだ」
 
「……そうか」
 
 その一言で全てを理解したコルベールは小さく頷き、立ち上がろうとするのを、モンモランシー達が懸命になって押さえようとする。
 
 だが、最終的にコルベールの意思に負け、少しでも負担を減らそうと彼に肩を貸し、立ったままでの治療を選択した。
 
 ちなみに、彼に肩を貸したのはキュルケであり、他の生徒達を差し置いて、彼女がイの一番に名乗り出た。
 
「何故、我が故郷を滅ぼした? 答えろ」
 
「……命令だった」
 
「命令?」
 
「……疫病が発生したと告げられた。焼かねば被害が広がると、そのように告げられた。仕方なく焼いた」
 
「バカな……。それは嘘だ」
 
「……ああ、後になってわたしも知った。要は新教徒狩りだったのだ。
 
 わたしは毎日罪の意識にさいなまれた。
 
 あいつの……メンヌヴィルの言ったとおりのことを、わたしはしたのだ。
 
 女も、子供も、見境無く焼いた。
 
 許されることではない。忘れたことは、ただの一時とてなかった。
 
 わたしはそれで軍をやめた。
 
 二度と炎を……。破壊の為に使うまいと誓った」
 
「……それで、貴様が手にかけた人が帰ってくると思うか?」
 
 コルベールは力無く首を振る。
 
「だが、サイト君に会って考え方が変わったよ」
 
「……何?」
 
「今までのわたしは、罪を背負うことばかりを考えてきた。
 
 しかし、これからは、罪を償う為に生きていこうと思う」
 
 アニエスが怒りの表情で、コルベールを睨みつける。
 
「……償うだと? どのようにして、償おうというのだ!? どんなことをすれば、村の皆が生き返るというんだ! そんな方法があるというなら、今すぐ教えてくれ!!」
 
 慟哭に近いアニエスの叫びに対し、コルベールは首を振り、
 
「どのようにすれば、罪が償えるのか……。それはまだ思案している最中だ。
 
 だが……、ここで、この命を絶ってしまえば、わたしは罪を償うことさえ出来ない。
 
 どうか、その事だけは分かってほしい」
 
 深々と頭を下げるコルベール。
 
 アニエスは憎悪を露わにし、
 
「巫山戯るな! わたしは、あの日から今日まで、貴様を殺すことだけを考えて生きてきたのだ!?」
 
 本来ならば、コルベールを切り伏せたいほどの衝動であろうが、彼女の眼前に立ちふさがるサティーがそれをさせない。
 
 進む事が出来ず、引く事は己が許さず、憤りに振るえるアニエスの拳を、そっと小さな手の平が包み込んだ。
 
 その暖かな感触に我に返ったアニエスが、手の主に顔を向ける。
 
 そこにいたのは、小さな少女だ。
 
 いつの間にかその場にいた、ナイという名の少女が悲しそうに首を振る。
 
「……ダメ。
 
 ……アニエスさん、間違ってる」
 
「……わたしが、間違っている、だと?」
 
 ナイは目尻に涙を溜めながら小さく頷き、
 
「……罪を償おうとしている人を殺すのは、復讐ちがうよ。
 
 ……それは、ただの人殺しだよ」
 
「ッ!?」
 
 ナイの言葉に打ちのめされ、その場に跪くアニエス。
 
「……わたしは」
 
 黙考。
 
 長い葛藤の末、アニエスは奥歯を噛み締め、拳を握り、床に一撃を入れて、再び力ある眼差しでコルベールを睨みつけ、
 
「命を助けて貰った恩と、ナイに免じてこの場は引く……。
 
 だが、貴様のいう償いとやらが気に食わん場合は、その首、即座に斬り落としてやる。……覚えておけ」
 
 告げて、銃士隊の隊員達を促して、撤収作業を始めさせる。
 
 コルベールは、去っていくアニエスに対して、深々と一礼してから、目の前にいたナイの頭を優しく撫でてやり、
 
「ありがとう。君のお陰で命拾いしたよ」
 
「……ううん。せんせーの為じゃないの。
 
 アニエスさんの為に言ったの」
 
「そうか。……でも、礼を言わせてほしい。
 
 ありがとう、ナイ君」
 
 そう告げた直後、疲労と負傷で限界を超えていたコルベールは、意識を失い、倒れ伏した。
 
 一瞬、騒然となるが、傍らで脈拍を確認したキュルケは安堵の吐息を吐き出し、命に別状がないことを告げる。
 
 緊張の糸が緩み、床にへたり込んだ生徒達。
 
 それでも、余裕のある生徒達は、負傷した銃士隊の治療に向かう。
 
 そんな中、安息の寝息を発てるコルベールを、キュルケは慈愛の籠もった眼差しで見つめていた。