百獣の王ライオンはシマウマを追いかけてその肉を食べる。ライオンはけっしてシマウマの肉を焼き、その後ソースをかけて食べたりはしない。その代わり罪の意識も感じないのだろう。肉を食べるという意味では人間と同じでも人間には動物の命を奪っているという、ちょっと後ろめたい罪の意識を感じ取ってしまう能力がある。それだけでは罪人で終わってしまうため、同時に同じ肉を美味しく戴く調理の能力を得たのかもしれない。
食いしん坊はその性質ゆえに料理上手になれる素質がある。自らの食事をより旨い物に変身させ、料理を始める前から、できあがるであろう美味なる料理を、そしてそれを食している自分の姿を想像して胸が騒ぐ。自分だけの姿だけでは物足りなくなると誰かに食べてもらいたくなる。そのイメージの中に別の人の顔が浮かべば、料理は半分出来上がったようなものかも知れない。
ところが現実は厳しい。出した料理のあまりのおいしさに笑顔を隠せないなどと言う想像の世界はなかなか現実にはなってくれない。早い話が修行が足りない。だから料理の技術がついてこない。
しかし、相手が人参であれ、大根であれ、あるいは新鮮さを失った魚でさえ、気の利いた料理人はときどきこんなことを言う。「素材がこう料理して欲しいと訴えていた。」こんなことが言える人というのは全うすべき人参の命を奪って食材にしているというマイナスの感情と、それを美味しく食べたい、いや食べさせたいというプラスの感情がぶつかるからこそ、素材が語っている言葉を読めるのかも知れない。
-2001/11/27
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