自分は一体誰なのか、このことについて考えたことはないでしょうか?私は何度もトライし、そしてそのたびに途中であきらめました。理由は、答えが得られず頭が痛くなってきたからです。
というわけで、未だに答えが見つかっていません。しかし同じように答えを探している人たちがいたことや、そのことについて研究している人の存在も知りました。その人たちも結局答えが得られなかったようです。そして、困ったことに、自分探しを続けた人たちが悲劇的な末路をたどったことまで知ってしまいました。
もしかしたら自分探しは、辣韮の皮をむいてゆくようなもので、実は答えが何も無いのかも知れません。つまり、答えは”無”です。これでは気が済まないという人たちが、気が済むまでさらに自分探しを続けるのです。これだけ苦労して探しているのに、何もないんじゃ許せない、そういう心理が働くのかも知れません。
そして一方では、無であるに違いない、と結論を出したらしい人たちは精力的に活動しているようにも思います。般若心経(はんにゃしんきょう)で言う色即是空(しきそくぜくう)も、この世のあらゆるものはすべて空(くう)だと言っていますから、同じ事を言っているのかも知れません。
しかしこれがもし本当なら寂しい話です。一人一人の人間の実体がからっぽだといういうんじゃたまったもんじゃありません。それじゃ、自分はもちろん、親も兄弟も誰もが空だ、ということになるからです。
自分を探して辣韮の皮をむいている人を見つけたら、どうしましょうか?辣韮の皮をむき終わる前に、もう一個辣韮を渡しましょうか?それとも、一緒に皮をむきましょうか?
-2004/6/21
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