いつから「自分で買う」が、
「自分に褒美をあげる」、に変わったのだろう。
自分で買う、というのなら
自分は一人しか登場しないが、
自分が自分に褒美を与えるということになると、
与える人ももらう人も自分で、
自分が二人登場することになる。
”自分が分裂して一人二役を演じているのだ”、
と思う人がいるかも知れないが、
私はそうは思わない。
最近になって分裂したのではなく、
元々別々だったのに、
幸か不幸か気がつかなかったのだ。
一人は自我で、
もう一人は自己、
一人は意識できる自分で、
もう一人はそれを含む、よく分からない自分、
一人は軌道修正を試みる自分で、
もう一人はふらふらと勝手に歩き回ろうとする自分。
そんな自分の姿を、
まるで遊体離脱をしたかのごとくに、
体から抜け出して外から眺めているうちに、
じっとしていられなくなる。
近くに寄って褒美を与えずにはいられなくなる。
自分の中に存在する他者のような自己は
他人とのつきあいの中で再利用される。
我々が見ているつもりの他者の姿は
実はその人そのものでは無く、
自己の姿を映してそれに代えている。
自分の中に存在する他者のような自己を映しながら、
その人の気持ちを推し量っている。
だから自分がゆがめば他人の姿もゆがんで見える。
「自分に褒美を与える」と語る人は、
自分自身こそが他者より手強い相手である、
と感じているのだと思う。
暴れ馬のごとくに
思うにませない存在であることを知っているのだと思う。
それでもそんなしょうもない奴と、
これからもつきあってやろうじゃないか、と
決意を固めたんだと思う。
-2003/12/25
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