ついに一つの事を成し遂げて満足感に浸っていると、間もなく喜んではいられない状況に陥ります。花と咲いた時期は短くすぐに次の苦難がやってくる。そんなことを思いながら浮かんだ言葉は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」。口にしながら苦笑いしてしまいました。この言葉は林芙美子さんの「放浪記」の中に出てくる一節で、彼女自身が自分の人生を振り返ったときの言葉なのだそうです。
幼い頃、富山の薬屋さんが持ってきてくれたものの中に徳川家康の言葉がありました。それには「人生は重い荷物を背負って坂道を登るようなものだ。」とありました。これを見た当時の自分は「これから迎える人生がそんなに辛いものだとは知らなかった。でも皆がそうだとしたら自分が嫌な思いをすることがあるのは当然なのかもしれない。」とぼんやり考えました。
聖書の中には「心貧しきものは幸いなり、天の国はその人たちのためにある。」とあります。しかし心貧しき悩める人が天の国にまで行かなければ行けないとなるとそれまで過ごすことになるこの世ではどうしたら良いのでしょうか?キリスト教信者は「その天の国はあなた方の心の中にある。」とも教えられています。聖書を信じる人はそれらの言葉で救われるとしても、それ以外の大部分の日本人はどうしたらいいのでしょうか?
仏教の世界では仏の教えは経済的に豊かにするためにあるのではなく、人生を豊かにするためにあると言われているようです。先生が学生に学問を教えるように、医者が患者に健康になる方法を教えるように仏教は人に人生の苦しみ(迷い)から抜け出すための教えを説くのだそうです。
学校で習いながら実はあまり役に立っているとは思えない「道徳」は老子の教え(道と徳)を教えることが元になっているようです。老子がかつて分かりやすい言葉で弟子達にその教えを説いたように日常の生活に役立つように平易過ぎるほど平易な言葉で説明する必要があるのかもしれません。
大抵の日本人がこころの拠り所として特定の宗派に属さずいわゆる日本教に属しているからこそ、生活苦から解放されがらも人生苦からは抜け出せずに行き詰まり、自殺者が多いのだと思います。残念ながら一人一人が意識してその抜け出す方法を知ろうとしないかぎり教えてくれる人はいません。悩めるものは幸いにも自ら知ろうとする機会を得たことになります。そうでなければ知らないまま一生を過ごすことになり、いざというときに必要以上に苦しむことになります。
-2001/1/23
-2006/5/13 タイトル変更
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