人の行動を決める動機やその勢いを決めるやる気、さらにモチベーションとなる元々の原因には、@誰かへ仕返ししたい、A何かを残したい、そしてB誰かを振り向かせたい、という三つの基本的な欲求があるように思います。
@の仕返しでは、短絡的な手段を使えばイザコザや犯罪につながりますが、言論を使った、長期間に渡る仕返しもあるようです。たとえば幼い頃に警官に叩かれた嫌な経験がある人は、一生を通じて、公権力を使ってわが身を太らせる連中をけん制したり、するどい批判を浴びせたりします。マスコミで活躍する人の中にこういう人がいるようです。
Aの何かを残したい、という欲求は、まず子供が欲しいという欲求につながり、もし子供が出来ないなら、せめて子供を育てたい、あるいは子供に何かを教えたい、子供のために何らかの行動をしたい、という欲求に変化してゆくようです。それは自分の考え方、つまり自分的なものを後世に残したい、という欲求に基づくもので、たとえば江戸後期の剣豪「宮本武蔵」は兵法の奥義を述べた「五輪書(ごりんのしょ)」を残しています。
Bの誰かを振り向かせたい、という欲求は、その手法が稚拙な場合、好きな人へのいたずらとか、成人式で暴れる、というレベルのものから、人をうっとりさせる芸術的レベルまでさまざまです。
振り向かせたい誰かが、たとえ結婚していてもそれはもはや関係なく、常に何かをやるときにその人の顔を思い浮かべ、そして自分がつくったものに対して、どう評価してくれるだろうか、などと想像しては興奮することになります。ラブソングの多くはこうやって生まれたのではないか、という気がします。
「仕返し」に動機付けられた作品よりはるかに甘美で、その力も自分の真ん中あたりから沸いてくるような感じです。愛されるより愛するほうがいい、と言われるのはこのためかもしれません。
-2007/3/10