ラーメンと蕎麦のコラム
《本文を含め関連コラムを集めたトピックスページです。更新は不定期です》

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『チキンラーメン』はなぜ旨いのか?(2005/1/13)

 遠い昔の休みの日の午後、従兄弟の家に立ち寄り中に入ったとき、土間と板間の台所の間の登り口に、どんぶりが一つ置かれていました。かぐわしき匂いに引き寄せられてどんぶりに近づくと、台所の奥の方から叔母さんが現れ、笑いながら「食べなさい。」と言ってくれるではありませんか・・・。

 突然訪れた自分のために作ってくれたとはどう考えても思えないこのどんぶりの中の料理。叔母さんがラーメンと呼んでいたこの料理は、きっと誰か別の人が食べる予定だったに違いない。ここは遠慮すべきではないのか、との思いが頭をよぎったもののかぐわしき匂いにうち消されて戴いてしまうことにしました。

 登り口に座り玄関の引き戸の方を眺めながら、”もしかしたら食べる予定だった人が帰ってくるかも知れない。そうしたらその人に何と言おうか”、などと考えながら、どんぶりの中の麺料理を味わいました。

 それは衝撃的に旨く、叔母さんにお礼を言って従兄弟の家を出た後も、家に帰ってからそのラーメンをご馳走になったことと旨かったことを繰り返し話したものです。そのラーメンが当時噂になっていたチキンラーメンだったことは後で知りました。


 今でもチキンラーメンのパッケージを見ると、不思議に懐かしさと同時に新鮮さを感じます。チキンラーメンが生まれてから今年で47年にもなろうというのに、なぜ新鮮さを感じるのでしょうか?

 それはきっと、チキンラーメン発明者のメッセージを受け取っているからに違いありません。パッケージを見ると、「簡単に調理できるのに旨いだろ。これが俺が初めて作ったチキンラーメンだよ」、と言われているような気がするわけです。

 ―こんなメッセージが脳をくすぐりチキンラーメンを旨くしている―料理の味が脳で統合されることを考えれば当然なのかも知れません。

 しかしそれにしてもあのときのチキンラーメンは誰が食べるはずだったのか、謎のままです。


-2005/1/13



空腹から満足に至るラーメンの旅

 ラーメンを食すということはこころもむなしき空腹から出発し、スープや麺やチャーシューとの出会いを経て満足に至る旅をすることを意味する。したがって割り箸は大事な友であり、テーブルに置かれた胡椒(こしょう)は事件の臭いさえする。

 お気に入りの店に入って注文が終わってラーメンを待つ時間は旅支度のための時間になる。奥に長いこの店には厨房と客席を隔てるL字形のカウンターがあり、出入り口に近い席に陣取り中を見るとスタッフは4名。席はカウンターのみで20席以上はある。昼食時は混んで並ぶため昼の12時になる前に入った。8割ほどの席はすでにうまっている。

 出入り口に近いところに大きな鍋が2つあり、麺が次から次に茹で上がる。多いときは10食程を一度に作る。3種類の大きさのどんぶりの並びにあわせて食券を並べているところが面白い。麺は注文に応じて取っ手のついた駕籠(かご)の中に取り分けられてお湯に浸かり、麺の本来の姿を取り戻す。茹でる時間は2分ほど、固ゆでを頼むと麺を茹で始める時間を遅くして調整しているようだ。

 麺を茹でている間にどんぶりにタレを入れる。タレの量はメニューに応じて3種類ほどの小さなお玉を使い分けるため味の濃さは一定になる。その後刻んだネギが入る。ネギは長ネギでカウンターの奥の方でスタッフがあいた時間を使って刻んだものだ。その後、麺を茹でるスタッフが後ろの壁際にあるスープをどんぶりに移す。スープの具が入らないように円形の金網をくぐらせる。

 麺が茹で上がると麺に含まれるお湯を切る。この作業にはスピードと力が要求される。そしてすぐさま麺がどんぶりに移される。麺を入れるスタッフがあるいは別の人が、店の込み具合やスタッフの数に応じてラーメンに具を載せる人が異なるが、その連係プレーがスムーズで心地よい。

 ワカメをどんぶりの左側にのせる。チャーシューを二枚真ん中にのせる。四角に切った海苔を二枚ドンブリの奥にのせると出来上がり、手分けしてカウンターのお客さんのところに運ぶ。これで旅支度がやっと終わる。


 ラーメンが入ったどんぶりが目の前に届くと割り箸を取り、奥の方を持って割る。こうしないと途中で割り箸が折れてしまう。旅の友は五体満足の方が心強い。ドンブリの中央から左にかけてその身を横たわらせている蓮華(れんげ)を左手で起こしてスープを戴く。スープの味は店の味であると同時に自分の体調さえも知らせてくれる。このとき何を使ってこのスープを作り上げたのかを考えるのも楽しい。この店のスープの味はすでにネット上でも複数の人達によって評されている。ある人は塩系とんこつ味と呼び、ある人は醤油系トンコツ味と呼ぶ、化学調味料の使用量が多いと言う人もいれば中くらいだという人もいる。しかし、疑いようも無いことはこの店独自の味だということだろう。

 一通りそうした自分なりのその日その日の解釈が終われば、いよいよ箸が麺をとらえる。その麺は細く縮れが少ない。細いのは茹でる時間を短くするためだろう。街道沿いのその店は朝早くから夜遅くまで営業しており、全国を走り回るドライバーやタクシーの運転手の空腹をより早く満たすために細く進化したのだろう。

 次にチャーシューを味わう。チャーシューは焼き豚とも言われ、豚肉を細い紐(ひも)でしばって味をつけ天火(てんぴ)で焼いて作るらしい。ローストチキンの豚肉版ということになる。チャーシューを作る過程でタレも出来ると言うがここのチャーシューはどうやって作っているのだろうか?このチャーシューは自分はもちろん、他の人にも評判がいい。その出来は日によって、あるいは運によって異なるが特に美味しいのはとろけるように柔らかいとき。

 海苔はスープに浸して程良き頃合いを狙って口に運ぶのがいい。海苔の香りがスープのなかの塩分とからんで磯の香りを運んでくれる。ワカメの歯ごたえを味わい、麺が無くなれば旅も終わりに近づく。

 旅はいつも、食べ終わったラーメンのドンブリをカウンターの上に移して立ち上がり、感謝を込めて「ごちそうさま!」とスタッフに聞こえるように声を発して終わりを告げる。


-2001/12/8



貴方のそばより美味しい蕎麦屋

 生まれた家は海のそばにあり、縁側に立つと西側の海から木々の間をくぐり抜けて潮風がやってきた。その家も風も今は無い。そのときの風を思い出させる蕎麦屋が今住む街から遠くない場所にある。

 昼食時の時間が少しばかり過ぎたこの夏のある日、木立に囲まれた蕎麦屋に向かった。コンクリートの路地を過ぎると先は石段で、進むにつれて坂が急になっている。石段が終わると目の前に藁葺(わらぶ)きの蕎麦屋が姿を現す。暖簾(のれん)をくぐって中に入ると左側に履き物を入れるロッカーがあり、中は30畳ほどで広い。照明は蛍光灯だが開け放った戸の外からこぼれるように入り込む光が柔らかい。畳の上に置いたテーブルの一つに陣取ると近くの客も表情がおだやかでくつろいでいる。エアコンは無いが天然の風が涼しい。その風に思わず笑みがこぼれる。

 ここで食べると蕎麦の味も美味しく感じられ、食を楽しむという気分になる。ある観光地のちょっと有名な蕎麦屋さんにも行った事がある。やはりその日も暑かった。昼時で店は混み、蕎麦は美味しかったが昼食は楽しめなかった。せっかく美味しい蕎麦を出しているのにもったいない。店主もさぞかし残念であったろう。店主にとってのご馳走は客が喜ぶ顔であるに違いないから。

 今はエアコンが無いとつらい時代になった。昔の日本の家屋は夏に涼しく過ごせるような作りなっていたらしい。寒い冬は毛布をかぶれば暖かくなるが、夏に被って涼しい毛布などありはしない。

 古い家は不便だが涼しい。新しい家は便利だが暑い。その暑さをエアコンでしのぎながら、なんだかずいぶん遠回りをしているような気がする。今となっては蕎麦は贅沢な食べ物だ。美味しく頂くためには蕎麦の生まれた昔を忍ばせるところまで足を運ばねばならない。それはきっとごまかしではない涼しさを知っている人達が蕎麦を出すところ。

 そんな気持ちが通じるような気がするから、蕎麦の味は何倍にも美味しくなる。
 
-2001/8/23



日本人はなぜラーメンが好きなのか? 

 なぜ好きなのかというよりあれほど美味いものを好きにならない方が難しい。編者の知る限り、ラーメンと呼ばれるスープ入の麺料理は日本が世界に誇るべきMade In Japanの料理だ。日本には美味しいラーメンを作り上げるための条件が揃いすぎている。

 日本人は一つの器の中にあらゆる要素を閉じ込めるべく生まれてきたのかもしれない。盆栽は鉢の上の芸術とも言える。そしてそのファンはヨーロッパにも意外に多い。携帯電話でメールを打つことまで可能にしそれを使う者は圧倒的に日本人が多い。一つの入れ物の中にあらゆる喜びを詰め込む幸せを知っている。

 丼に入ったラーメンはただのスープ麺ではない。あらゆる美味き要素を取り寄せ、混ぜ合わせ、競い合い、その進歩は留まる事を知らない。人により異なる味の好みでさえラーメンはあらゆる味を用意しそれらの要求を満たそうとする。一つの店が満たせないなら隣の店が満たす。塩味良し、醤油味良し、味噌味良し、家系の豚骨醤油味も良い。

 暑き夏には汗を流し、寒き冬には暖まる。それはそれは美味き店の客は喋る時間を惜しんで食す。スープの旨みを味わい、麺も程よき歯ごたえを逃がさないため喋る暇が無い。無心に食す客の姿は作る者にとってこれほどの喜びはない。

 作る者は競って美味いものを作り、食す者は競って美味い店を探そうとする。そして麺とスープと具の間でさえその美味さを競い合いながらお互いの味を引き立てようとする。これほど選りすぐられた丼の中の幸せを好きにならないのは難しい。

 -2001/2/3 節分



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