皆さん、自分に対する評価がすごく否定的な感じがします。人間って、普通に暮らしていても「私ってなんてだめなんだ」と思うことありますよね。そういうときに、自分で自分をアップできる人もいるけれども、そうでなくて、ちょっとした出会いとか、一言ですごく変わったりもしますよね。(江川さん)
江川さんがおっしゃる「自信があったりなかったり」という程度と、ひきこもっている方々の自信のなさというのは、根本的に違う部分があるような気がします。私たちは「ああ、きょうは失敗しちゃったな」と思いながらも、基本的な根本的な部分では、自分はこの世に生きていてもいい存在だという、生きていく自信のようなものが、意識はしていませんがあると思います。でも、そのあたりが十分に形成されていないと、自信を持つことができない。(田村さん)
存在そのものが認められないということなのでしょうか。そういう感じはありました?(江川さん)
そうですね。僕自身、まず「自分を好きになる」ということがわからなかったです。「自分が大切」という概念がわからなくて、「周りにいる人は大切。だけど、自分はいい・・・・・」という感じ。なぜそうだったのかというのが最近になってわかったのですが、まず自分を肯定する気持ちというのが、もともとない、「自分はだめだ」と思い込んでいるんです。今は、いいところもたくさん、見つければあると思うのですが、そこのところを見られなくて、悪いところばかりを見てしまう。だから肯定できない。(大河原さん)
ひきこもっていても、社会常識というのは一応あって、常識的に考えれば自分がだめなのは一目瞭然。僕にとってみれば、小説を書いたのも言い訳みたいなものでした。やりたいこと?・・・・・働きたくなかったです。僕の場合は漠然としたクリエーター志向があったのですが、これもよくあるだめ人間の「俺はサラリーマンなんかにはならないぜ」という、抽象的な楽な道に行きたいというか・・・・・。(滝本さん)
例えば「アフガニスタンに、ひきこもりの人がいるか」と考えるとどうでしょう。聞くところでは、これは日本特有の現象という言い方もされています。これだけ豊かだから、食べていくことに困らないからひきこもれるというのとは違いますか?(江川さん)
親の扶養能力があるというのは、もちろん事実としてはあると思います。だけど、それはただ甘やかしているという問題ではなくて、やむにやまれずそうなってしまったと思います。
私は、ひきこもっているときの状態は「クラッチを失ったエンジンのような感じ」だと思います。これは、ひきこもっている当事者をエンジン、外の社会をタイヤに例えたものです。クラッチというのは、動力になるエンジンと外のタイヤをつなぐ部分ですが、ひきこもりというのは、クラッチがない状態だと思うのです。失われた状態。毎日毎日、必死になってアクセルを踏んでも、クラッチがないから動力が外に伝わっていかない。これが苦しいんです。それで、親や周囲の親切な方が「こういう仕事あるよ」「こんなアルバイトどう?」と、クラッチをくれます。だけど、それが全部「自分」というエンジンと合わない規格になっていて、クラッチに合わせようとすると、すごく無理をしてしまい、つぶれてしまう。
私はこれがひきこもりの一番核心的な部分だと思うのですが、自分の心と体を守ろうとすると、稼ぎがつくれない。社会とつながれない。稼ぎをつくろう、社会とつながろうと思うと、自分の心と体が守れない。このジレンマが一番強烈なんです。(上山さん)
私は、自分は何であるかとか、何のために生きるのかというようなことを考える必要がない状況、とにかく自分はこれに向かってやっていくんだ、社会においてこういうポジションだと、いやおうなしに決められるか、自分で決めることができる状態を「成熟」の状態だと思っています。生きていくことで精一杯、生存が問題になるような社会においては、子どものころから労働力になったり、兵隊になったり、いきなり大人にならざるを得ない。ところが成熟社会においては、経済的インフラもありますし、必ずしも労働力としてあてにされない。そうすると「自分は何であるか」「自分は何のために生きるのか」ということが、生きる上での最大のテーマになってくる。だから、ますます成熟は遅れていきます。
でも、あえて言っておきたいことは、そういう中でも社会参加をやすやすとしていく人と、できないでこもっている人がいるということです。私がよく引用することばで「人間は自分と折り合える程度にしか、社会とも折り合うことができない」というのがあります。結局、社会と折り合うことは、自分を愛することと大して変わらない。
きょうゲストでお見えのひきこもりの経験をもつお3方を見ていると、「なんでみんなこんなに自己否定的なんだろう」と不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。その原因の一つとして、ひょっとしたら社会との接点が非常に希薄な状況に置かれていたので、「自分は大事である」という感覚がだんだん希薄になっていってしまったのかなと思いました。(斎藤さん)