日経ビジネス3月13日号に掲載のテレビ・ウォーズ「北野 武、テレビを捨てた天才」に連動したインタビューです。誌面とウェブを合わせてご覧ください。

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――たけしさんが映画に興味を持つようになったのはいつ頃ですか。

 1983年に「戦場のメリークリスマス」に出演したことがきっかけではないでしょうか。ラジオとかで、映画の撮り方、映画の現場そのものをネタにしてしゃべり始めたんです。

 例えば、人物を俯瞰で撮る時に、その人を台の上に上げちゃえばいいのに、なぜか穴を掘ってカメラを下に置いていたなんていうネタですね。制作者たちがまじめにやっていることが、本人にとっては非常に滑稽に映ったんでしょう。

 そもそも「ビートたけし」は、自分のネタは全部自分で作ってしゃべってきた。私は当時、テレビのディレクターとして一緒に仕事をしていたのですが、引きの絵から入ってほしいとか、非常に細かい注文がありました。ビジュアルでモノを考えるということは、実はたけしさんにとっては自然にできていたことなんです。

――だからこそ、大島渚監督の撮影現場が新鮮だったし、得るものがあった。

 普通なら、撮影中に誰かがこんな話をしてたよ、で終わるところを、絵の撮り方にまで行っちゃうわけですからね。当時から、ドラマの手法などについても、お笑いのネタとして言っていたけれども、結構本質を突いていた。我々スタッフの、映像を組み立てるための準備もよく観察していました。

▼「撮れるかな」と聞かれ「できるんじゃないですか」と

――それで自然に映画制作に向かっていった、と。

 いや、特に映画を作りたいと思っていたわけではないでしょう。最初の監督作品「その男、凶暴につき」は、もともとは「監督・深作欣二、主演・ビートたけし」で公開されるはずの映画でした。それが、深作監督が降板してしまったんです。

 じゃあ、中止かという話になった時に、「たけしさんが(監督を)自分でやれば」という話がどさくさの中で出てきた。たけしさんが私に「撮れるかな」と聞くから、「できるんじゃないですか」と答えたんです。何を撮るかが台本で決まっていれば、その通りフィルムを回すだけじゃん、という無知で浅はかな考えでね。

 なぜそんな話が現実になったかというと、やっぱりこれはビートたけしの人気なんですよ。興行的には「ビートたけし初監督作品」と銘打てば話題になる。だから、当時の配給会社の人たちが、たけしさんの才能に気づいていたわけではないんです。

 私自身がこだわったのは、「監督・北野武」というネーミングです。私には、(ビートたけしとして)テレビと同じことをやるという発想はなかった。だから、クレジットには「監督・北野武、主演・ビートたけし」と打った。「北野武なんか誰も知らない」と、映画会社の人からものすごい反発を受けましたけど。

 面白いことに、今の若い人たちは「北野武さん」と言う人の方が多いんですよ。ビートたけしと言ったって、(漫才コンビの)ツービートを見たことがないんだから。

――1つのイベントとして始まった監督業が、ずっと続くことになりました。

 「その男、凶暴につき」は、もともと深作監督の作品として撮られるはずだった映画ですから、フルオリジナルではない。だから、我々は勝手に、次はオリジナルを撮りましょうねと言っていたんです。たけしさんと我々が番組の特番を作る時みたいなノリでしたね。

 第2作の「3-4x10月」こそがフルオリジナルです。私はその撮影を見ながらすごいと思ったんですよ。異業種監督なんかじゃない。この人は映画監督になるべきだと改めて思いました。兼業なんかじゃなくて専業で、と。

 第3作の「あの夏、いちばん静かな海。」では、(主人公が聾唖者という設定で)あえて台詞を外しました。言葉運びのうまさで一世を風靡した人間が、主人公から言葉を奪うという大胆な試みに挑んだわけです。たけしさんは「言葉の限界はあっても、映像の持つ可能性というのはすごいんだよ」と言っていました。だから、饒舌な台詞の入った映画ではなく、絵で見せた。

――北野映画は特に海外で評価が高いですね。

 たけしさんが映画祭に出席したのは、第4作「ソナチネ」で招待されたロンドン映画祭が最初です。映画祭のステータスも知らず、たけしさんはゴルフができると聞いて行くことを決めたんですよ(笑)。

 それが、熱狂的な歓迎を受けたんです。あんなに熱い会場は経験したことがありませんでした。それといきなり取材依頼の嵐です。50~60社の取材を受けたんじゃないですかね。とにかく次から次へ、もうインタビュー漬け。

――海外メディアは、たけしさんがテレビタレントだとは知らないわけですよね。

 監督、北野武。それで主役もやっているビートたけし。そういう形で紹介されていたんです。

 日本が正式に映画監督の北野武を認知してくれたのは、97年に「HANA-BI」で(ベネチア国際映画祭の)金獅子賞を取った時でしょう。突然、「世界の北野武」なんて言い出した。それは、イチローとか野茂(英雄)とかと一緒なんじゃないですか。日本人は逆輸入によってしか評価を下してくれないんですよね。

 日本の映画界は北野武に対する正当な評価を避けてきたと思うんです。伝統ある日本映画の中で、北野武は異分子というとらえ方なんでしょうね。もちろん、私たちはホリエモンじゃありませんから、革命児だなんて言った覚えはない。日本映画界を背負っているという意識があるわけでもない。ただ「北野映画」を作るだけで、日本映画うんぬんにはこだわっていません。

 だって、どこの国で作られた映画かなんて関係ないですよ、今は。問題は誰が作ったかでしょう。

▼「何が起きるか分かりません」では、数字は取れない

――たけしさんはなぜ映画に力を入れるのでしょうか。

 自分で作りたい人なんですよ。漫才をやっている時もそうでした。人が書いた脚本を読むのではなく、自分で作った世界を表現したい。もともとテレビがそうだった。ところが、テレビはそこからどんどん離れていったんです。

 私自身、テレビマンだったからあえて言いますが、テレビは「情報系番組」などという言葉を使い始めて、一から番組を作ることをやめてしまった。バラエティーでは、映像を流してタレントに感想を求めているんですもん。感想を述べるのは本来、視聴者でしょう。そういうテレビはモノを作っていないと言い切れます。

 ただ、そういう番組を生み出した張本人が、たけしさんだというのも事実なんですよね。

 たけしさんが忙しくなったので、ほかのタレントが外に出て映像を撮ってくる。その映像をげらげら笑いながら見るというパターンの番組です。その後、そこに情報を絡めたりして、多様化が進んだように見えるけど、新しいバラエティーは生まれていない。

 今のバラエティーで数字が取れている番組は、司会とリアクションする側の役割がきっちり決まっているものが多い。それが明確な番組ほど視聴率が取れる。

 何が起きるか分かりませんという図式では、数字は取れないんです。ドラマなんか最たるものですよね。内容が謎に満ちて、どうなるか分からない、得体の知れないものは、みんな敬遠されていると思います。北野映画の最新作「TAKESHIS'」には、はっきりしたキャラクタライズがない。だから、興行的に失敗しました。

 でも、私たちは作品として失敗したとは思っていません。イマジネーションの世界を観客の皆さんが好きなように解釈すれば、それで楽しめるはずだったんですけど、戸惑ってしまったんですね。

――日本では厳しい評価でしたが、海外ではどうですか。

 海外でも同じことが起きるんじゃないですか。北野映画は海外でも図式化され始めているんですよ。

 今、映画は画一化の方向に向かっています。そこで、自分なりの方法論を模索しつつ、リスクを怖がらないで、新しい映画を作りたい。キャラクタライズするということは、そこまで図式化して見せないと観客に受け入れられないと考えているということです。しかし、観客をバカにしちゃいけませんよ。

 我々は、人間の持っているイマジネーションを喚起する力に賭けているわけです。ある意味で、観客を信用している。画一化していく流れは気持ちが悪い。たとえ少数派であっても、私たちが作る映画はこれからも、作家主義的であり続けるべきだと思います。大量生産、大量消費型のビジネスは、私たちには合いません。

 それは散々「ビートたけし」でやってきたことじゃないですか。だからこそ、「北野武」の名で映画の世界に入ったわけです。キャラクタライズを容認した仕事は、ビートたけしがテレビでやってきたし、これからもやり続けるでしょう。

▼「大量消費型エンタメ」はテレビに任せる

――「大量消費型エンターテインメント」を供給するテレビ局が映画にも進出しています。

 確かに、映画はお客さんが入らなければいけないし、道楽ではない。ただ文化を論じているだけではダメだという理屈は分かります。

 だけど、映画はそれほど完成されたビジネスでしょうか。最近、映画ファンドでお金を集めるケースも出てきていますが、回収の具体的な方法にすら言及していない。確立されたビジネスなら、とっくに企業が乗ってきているでしょう。

 大量消費型の映画を私は否定しません。でも、それはフジテレビに任せておけばいいじゃないですか。彼らは大量消費のプロですよ。テレビでナンバーワンの視聴率を取り、映画にもそのノウハウを注入すれば、ヒット作を出せますよ。

――テレビ局が本当の意味でのモノ作りをしなくなったのは、なぜでしょうか。

  やっぱり分業化が進み過ぎたからでしょう。いいか悪いかは別として、昔は番組ごとにスタッフがチームとして競い合っていた。縦割りの弊害みたいなものもありましたが、でもモノ作りは基本的に縦割りなんじゃないですかね。

――たけしさんがもう1回、テレビで新しいことにチャレンジする可能性はありますか。

 あの人は何度もお笑いやコントをやろうとしたんですよ。でも、やっぱり数字が取れないとか、スポンサーがつきにくいとか、そういう意味でリスキーだと言われる。ただ丁寧に作りたいだけで、冒険じゃないのに冒険と言われちゃう。大量消費型だから仕方がないのかもしれません。

 一番心配しているのは、テレビの画一化ですよ。視聴者が一定の図式に飽きた時が怖い。例えば、フィギュアスケートの浅田真央ちゃんがオリンピックに出られるかもしれないという時の視聴率は30%近かったんですね。でも、今回のトリノオリンピックの視聴率はぼろぼろ。ということは、視聴者の見切りはものすごく早い。

 テレビ局は、自分たちがボールを投げるところにいつもお客さんがいると思っている。しかし、そうじゃなくて、逆にお客さんを引っ張っていくという発想が必要なんじゃないですか。そうやって多様化を図って、いろいろな可能性を探っていかなかったら、テレビは総崩れになるかもしれませんよ。

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「冬ソナ」の裏には日本を凌駕する映像立国の姿があった。次回(本誌3月20日号)は、韓流スターペ・ヨンジュンに迫る。ウェブ連動インタビューには大里洋吉・アミューズ会長が登場します。

(聞き手:日経ビジネス編集部)


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