日経ビジネス3月13日号に掲載のテレビ・ウォーズ「北野 武、テレビを捨てた天才」に連動したインタビューです。誌面とウェブを合わせてご覧ください。

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――ビートたけしさんを主役に起用し、「血と骨」を撮りました。

 原作である梁石日さんの小説が面白かった。いろいろな人が映画化やテレビ化を考えているだろうということは容易に想像がつきました。実際、その通りだったんですが、まず間違いなく(映画化権は)僕に落ちるだろうと思っていた。それともう1つ、主演はたけしさんしかいないと思っていましたね。そう信じたというか、自分で勝手に決めたんだ。だから、たけしさんを口説けなければ、この映画はないと思ったんです。

▼「俺にこんなひどいことをやらせるのか」と言われた

――なぜ、たけしさんだったのでしょう。

 主人公の金俊平は、世界観が繊細でなおかつ野卑という役柄です。それを演じるのは、誰がいるって、たけしさんしかいないんですよ。

――原作では、主人公は体が大きい。にもかかわらず、たけしさんでよかったのですか。

 肉体的な問題じゃないんです。人間の強欲、欲望が満たされない時に、暴力によってその隙間を埋めていくというキャラクターは、体が大きい、小さいの問題ではない。もちろん小説では、主人公は身の丈6尺、2m近いということが意味を持っています。けれども、僕の映画では、身の丈が6尺あるということではなくて、ある種の孤独と強靱な力が同居していることが大切だったんです。僕の中では、たけしさんしかいなかった。

――たけしさんは、原作を読んでいましたか。

 僕が単行本を渡したのですが、その時に「知ってるよ、このおじさん」と言ったんです。たけしさんは時代のアンテナをずっと張り続けてきた人だから、とうの昔に金さんを大阪の暴れん坊列伝の中の1人として知っていた。たけしさんは非常に知的好奇心が旺盛ですから。

――出演依頼に対して、たけしさんの反応はどうでしたか。

 「俺にこんなひどいことをやらせるのか」と言ったんで、こちらは「いや、(たけしさんを)そのまま鏡に映したいんだけど」と(笑)。結局、私がたけしさんに向かって「あなたしかいない」と言っていることを受け止めてくれた。これは彼の才能の幅だと思いますね。

――「俺にこんなひどいことをやらせるのか」と言いながら、たけしさんの心はかなり傾いていた。

 彼は「崔洋一が本当にやるなら出るよ」と言ってくれました。それで、「5年、いや6年待ってくれ」と言いました。お話をしてから6年かかりました。

▼テレビか映画かは決定的な違いではない

――映画監督としての北野武さんをどう見ていますか。

 僕は、たけしさんの評価は、日本映画全体の評価とは別のものだと思う。もう僕たちは、「日本映画の俊英としての北野武」なんていう考えを捨てなきゃいけない。誰が撮った映画が面白いのかという話だけであって、どういう影響を持つのかではない。

 僕も、日本の映画界を背負って立つなんていう気はさらさらなくて、作った映画をどう評価してくださいますかというだけ。たけしさんも同じだと思う。それが今、日本映画にとって大切なことなんです。ナショナルフラッグを担いでいくなんていうばかばかしいことはもうしない。それが世界の観客に向けて、映画を作ることの意味だと思いますね。

 映画の観客は世界中にいるわけです。国を代表するということではなく、誰の映画かということで受け止めてくれることが映画にとっては一番生産的なことじゃないかな。

――崔さんも最初はテレビドラマを手がけましたが、テレビと映画では作り方が違いますか。

 僕は作り方はそんなに変えません。単純に言えば、劇場で大きなスクリーンで見る、つまり密室空間で作品と向き合うのと、ブラウン管を通じて見ることの違いはあります。それは、もちろん意識しますけどね。

 また、映画では表現できて、テレビではできないことがあるし、その逆もあるのは事実だと思います。しかし、だからといって、それは作品を左右する決定的な要因ではない。両者の違いはプロとして当たり前のことだから、そう大きな問題ではないですね。

――それは時代が進む中で、テレビと映画が近くなってきたということですか。

 (テレビと映画は)別のものだと思うけれども、両方をやる人間がいるということです。

 たけしさんは、自分のテレビ番組もあれば、映画も撮るし、映画にもドラマにも出る。ある種のマルチプルな“北野武”、“ビートたけし”を追求していく。それがまさに(北野武監督の映画)「TAKESHIS'」だったわけです。

▼どうみてもCクラスがヒットする状況は変だ

――映画というのは、観客が入って商売が成立すればいいのでしょうか。

 それも含んでの映画です。映画の発展史を見れば、愚にもつかないような作品が支えてきたという面が多い。質的に高い表現、芸術性やメッセージ性が映画を支えてきたのかといったら、そうではないですね。今あえて「愚にもつかない」という言い方をしましたが、やっぱりエンターテインメントが支えてきた歴史ですね。

 たけしさんや僕もそれをよく知っているわけですよ。だから、時々はそういうことに背中を向けたがる。自分を純化していったらどうなるんだという冒険をしたくなるのは当たり前ですよね。

 でも、やっぱり映画の歴史の中で娯楽が果たした役割を、僕は評価しています。僕にとってつまらない映画は、(観客にとって)面白い映画ですよ。ヒットしたからマルとは限らない。そして、単純にヒットしないからマル、ともならない。時として、観客が利口な時代もあれば、大バカな時代もありますよ。大バカな社会もあるじゃない。

 ただ、どう見たって、世界のエンタメ(エンターテインメント)のレベルで、Cクラスの映画が今、日本で大ヒットしていますよ。そっちの方がよほど不安ですよ、僕は。Aクラスの映画が世界マーケットで勝利することになれば、「勝って兜の緒を締めよ」という機運が映画界に生まれる可能性はあるけれども、そうじゃない。「エンタメとしてどうなの?」という映画が大ヒットしている。よその国から見れば日本は変な国ですよ。

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「冬ソナ」の裏には日本を凌駕する映像立国の姿があった。次回(本誌3月20日号)は、韓流スターペ・ヨンジュンに迫る。ウェブ連動インタビューには大里洋吉・アミューズ会長が登場します。

(聞き手:日経ビジネス編集部、写真:共同通信)


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日経ビジネス1月9日号から3月27日号の連載「TV WARS テレビ・ウォーズ」に連動したキーパーソンインタビュー。