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○ 就労請求権に関する裁判例

読売新聞社事件(東京高裁昭和33年8月2日決定)


(事実の概要)
 Xは、昭和30年4月1日より新聞業を営むY社に雇用され、見習社員として勤務していたが、見習期間満了の日である同年9月30日、Xは、就業規則103条3項の「やむを得ない会社の都合によるとき」という理由により解雇された。
 Xは、Yがなした解雇の意思表示は就業規則の適用を誤ったもので無効であると主張し、解雇の意思表示の効力停止の仮処分、賃金の支払いの仮処分及び就労妨害排除の仮処分を求めた。1審決定は、解雇の意思表示の効力停止の仮処分及び賃金の支払いの仮処分を認容したが、就労妨害排除請求については申請を却下したため、これを不服としてXが抗告を行った。


(判決の要旨)
 労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令に従つて一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが、その最も基本的な法律関係であるから、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有するものでないと解するのを相当とする。
 本件においては、Xに就労請求権があるものと認めなければならないような特段の事情はこれを肯認するに足るなんの主張も疎明もない。のみならず、裁判所が労働者の就労に対する使用者側の妨害を禁止する仮処分命令を発しうるためには、その被保全権利の存在のほかに、かかる仮処分の必要性が肯定されなければならないわけであるが、本件仮処分においては、冒頭認定のとおり、YのなしたXに対する解雇の意思表示の効力の停止と賃金の支払を求める限度においてXの申請は認容されたものであるから、Xは特段の事情のない限り、それ以上進んで就労の妨害禁止まで求め労働者としての全面的な仮の地位までも保全する必要はないものといわなければならない。



○ 就労請求権に関する裁判例

レストラン・スイス事件(名古屋地裁昭和45年9月7日決定)


(事実の概要)
 Xは、昭和43年3月25日に飲食店を営むYに調理人として雇用され勤務していた者であるが、同年5月上旬に、Yの代表者が経営するA飲食店が人手不足のため同店で働くよう命ぜられ、これを拒否した。その後の同年5月10日、Yは、Xが業務上の指示命令に不当に反抗し、職場の秩序を乱し、Yの業務を妨害したとして、Xを解雇する旨申し渡した。


(判決の要旨)
 <Xに対するA飲食店への出向命令は、XとYとの労働契約により定められた労働力処分権の範囲を超えたものでありXの同意がない以上無効であって、これに従わなかったことを理由とする本件解雇も無効であるとした上で、>
 就労請求権の存否について判断するに、労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令に従って一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対し一定の賃金を支払う義務を負担するのであるから、一般的には労働者は就労請求権を有しないと解されるが、労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合はこれを肯認するのが相当である。
 これを本件についてみると、Xが調理人(コック)であることは前記のとおりであり、調理人はその仕事の性質上単に労務を提供するというだけではなく、調理長等の指揮を受け、調理技術の練磨習得を要するものであることは明らかであり、X本人、Y代表者各尋問の結果によれば、調理人としての技量はたとえ少時でも職場を離れると著しく低下するものであることが認められるから、Xは業務の性質上労務の提供につき特別の合理的な利益を有する者と言って差支えなく、XはYに対し就労請求権を有するものと考える。



○ 使用者の指揮命令・人事権行使の限界に関する判例

国鉄鹿児島自動車営業所事件
(最高裁平成5年6月11日第二小法廷判決)


(事実の概要)
 X及びYはいずれも日本国有鉄道鹿児島自動車営業所の職員であり、Xは国鉄労働組合の組合員、Yは鹿児島営業所長である。
 鹿児島営業所の上級機関である九州地方自動車部は、各営業所に対して、職場規律の確立に力を入れるよう指示し、その一つとして勤務時間中の労働組合員バッジの着用を禁止し、着用者に対して取り外し命令を発し、これに従わない職員はその本来の業務から外すよう指示していた。
 昭和60年7月23日から8月30日までのうち10日間にわたって、Xは点呼執行業務に従事すべきこととされていたが、バッジを着用したままこれを行おうとしたため、Yはバッジの取り外し命令を発した。しかし、Xはこれに従わなかったので、YはXを点呼執行業務からはずし、営業所内に降り積もった火山灰を除去する作業に従事すべき旨の業務命令を発した。
 そこで、Xは、当該火山灰除去作業命令は違法であるとして、Yに対して慰謝料の支払を求めた。


(判決の要旨)
<(1)降灰除去作業は、Xの労働契約上の義務の範囲内に含まれ、本件各業務命令を労働契約に根拠のない作業を命じたものとはいえず、(2)本件バッジの着用は、職場規律を乱し、職務専念義務に違反するものであるから、Yがした取り外し命令及びこれに従わなかったXを点呼執行業務から外した措置には、いずれも合理的な理由があり、これが違法なものとはいえないが、(3)本件降灰除去作業命令は、Xには運輸管理係としての日常の業務がありことさら命ずべき必然性がなかったのに懲罰的に発せられたものであって、このようにかなりの肉体的、精神的苦痛を伴う作業を懲罰的に行わせることは、業務命令権の濫用であり違法であって不法行為にあたるとした原審の判断について>

 原審の前項3の、本件各業務命令が違法であってXに対する不法行為にあたるとする判断は、是認することができない。
 前記の事実関係からすると、降灰除去作業は、鹿児島営業所の職場環境を整備して、労務の円滑化、効率化を図るために必要な作業であり、また、その作業内容、作業方法等からしても、社会通念上相当な程度を超える過酷な業務に当たるものともいえず、これがXの労働契約上の義務の範囲内に含まれるものであることは、原判決も判示するとおりである。しかも、本件各業務命令は、Xが、Yの取外し命令を無視して、本件バッジを着用したまま点呼執行業務に就くという違反行為を行おうとしたことから、自動車部からの指示に従ってXをその本来の業務から外すこととし、職場規律維持の上で支障が少ないものと考えられる屋外作業である降灰除去作業に従事させることとしたものであり、職場管理上やむを得ない措置ということができ、これが殊更にXに対して不利益を課するという違法、不当な目的でされたものであるとは認められない。なお、Yら管理職がXによる作業の状況を監視し、勤務中の他の職員がXに清涼飲料水を渡そうとするのを制止した等の行為も、その管理職としての職責等からして、特に違法あるいは不当視すべきものとも考えられない。そうすると、本件各業務命令を違法なものとすることは、到底困難なものといわなければならない。
 したがって、本件各業務命令がXに対する不法行為にあたるとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決中Yら敗訴部分は破棄を免れない。



○ 使用者の指揮命令・人事権行使の限界に関する裁判例

バンク オブ アメリカ イリノイ事件
(東京地裁平成7年12月4日判決)


(事実の概要)
 Yはアメリカに本店を有し、在日支店として東京支店及び大阪支店を有する銀行である。Xは、昭和27年から勤務したA銀行が昭和39年にYに買収されたことに伴いYに雇用された者であって、昭和47年1月、Xは、Y東京支店の総務課セクションチーフ(課長)に昇格した。
 しかし、Y銀行在日支店は昭和53年度以降ずっと赤字基調にあって、合理化・機構改革が急務となっていたところ、首脳部は管理職らに対し、新経営方針への理解・協力を求めたが、積極的に協力を申し出たのは一部の管理職に過ぎず、Xを含めた多数の管理職らはこれに協力する姿勢が積極的でなかったため、Yは、昭和57年4月頃、新方針に積極的に協力するものを昇格させる一方、多数の管理職を降格した。その一環として、Xはオペレーションズテクニシャンに降格された上、昭和61年には総務課の受付業務や備品管理・経理支払事務の担当に配転され、平成2年に人員縮小を理由に解雇された。
 そこで、Xは、Yによるオペレーションズテクニシャンへの降格から受付配転にいたる一連の行為は、Xを退職に追い込む意図をもってなされた不法行為であるとして、慰謝料の支払を求めた。


(判決の要旨)
 使用者が有する採用、配置、人事考課、異動、昇格、降格、解雇等の人事権の行使は、雇用契約にその根拠を有し、労働者を企業組織の中でどのように活用・統制していくかという使用者に委ねられた経営上の裁量判断に属する事柄であり、人事権の行使は、これが社会通念上著しく妥当を欠き、権利の濫用に当たると認められる場合でない限り、違法とはならないものと解すべきである。しかし、右人事権の行使は、労働者の人格権を侵害する等の違法・不当な目的・態様をもってなされてはならないことはいうまでもなく、経営者に委ねられた右裁量判断を逸脱するものであるかどうかについては、使用者側における業務上・組織上の必要性の有無・程度、労働者がその職務・地位にふさわしい能力・適性を有するかどうか、労働者の受ける不利益の性質・程度等の諸点が考慮されるべきである。

<Xのオペレーションズテクニシャンへの降格について>
 Xが昭和57年4月に発令されたオペレーションズテクニシャンとは、豊富な経験と専門的知識を有するものに与えられる職位であるとされるが、いわゆるライン組織からはずれ、それまで同格であった同僚課長の指揮監督を受ける立場に転ずるものであり、Xが降格後に与えられた職務内容からみても、必ずしもXの経験と知識を生かすにふさわしい地位であるとは認め難く、Xが右発令により精神的衝撃・失望感は決して浅くはなかったと推認される。
 しかしながら、Y銀行在日支店においては、昭和56年以降、新経営方針の推進・徹底が急務とされ、Xらこれに積極的に協力しない管理職を降格する業務上・組織上の高度の必要性があったと認められること、役職手当は、42,000円から37,000円に減額されるが、人事管理業務を遂行しなくなることに伴うものであること、Xと同様に降格発令をされた多数の管理職らは、いずれも降格に異議を唱えておらず、Y銀行のとった措置をやむを得ないものと受けとめていたと推認されること等の事実からすれば、Xのオペレーションズテクニシャンへの降格をもって、Y銀行に委ねられた裁量権を逸脱した濫用的なものと認めることはできない。

<Xの総務課(受付)への配転について>
 総務課の受付は、それまで20代前半の女性の契約社員が担当していた業務であり、外国書簡の受発送、書類の各課への配送等の単純労務と来客の取次を担当し、業務受付とはいえ、Xの旧知の外部者の来訪も少なくない職場であって、勤続33年に及び、課長まで経験したXにふさわしい職務であるとは到底いえず、Xが著しく名誉・自尊心を傷つけられたであろうことは推測に難くない。
 Xは、同年5月から、備品管理・経費支払事務を担当したが、従来同様、昼休みの一時間は、総務課員のうちXだけが受付を担当していた。そして、備品管理等の業務もやはり単純労務作業であり、Xの業務経験・知識にふさわしい職務とは到底いえない。
 Xに対する総務課(受付)配転は、これを推進したB人事部長自身、疑念を抱いたものであって、その相当性について疑問があり<中略>、Xら元管理職をことさらにその経験・知識にふさわしくない職務に就かせ、働きがいを失わせるとともに、行内外の人々の衆目にさらし、違和感を抱かせ、やがては職場にいたたまれなくさせ、自ら退職の決意をさせる意図の下にとられた措置ではないかと推知されるところである。そして、このような措置は、いかに実力主義を重んじる外資系企業にあり、また経営環境が厳しいからといって是認されるものではない。
 そうすると、Xに対する右総務課(受付)配転は、Xの人格権(名誉)を侵害し、職場内・外で孤立させ、勤労意欲を失わせ、やがて退職に追いやる意図をもってなされたものであり、Yに許された裁量権の範囲を逸脱した違法なものであって不法行為を構成するというべきである。



○ 使用者の指揮命令・人事権行使の限界に関する裁判例

JR東日本(本荘保線区)事件
(最高裁平成8年2月23日第二小法廷判決)


(事実の概要)
 Xは、Y1会社秋田支店本荘保線区の施設係として稼動する現場労働者であり、かつ労働組合員であるが、同保線区の区長であるY2は、昭和63年5月1日、駅構内において、Xがバックルに労働組合のマークが入っているベルトを身に付けながら作業に従事しているのを見つけ、Xに対し、就業規則違反を理由として、本件ベルトの取り外しを命じた上、翌日、教育訓練として就業規則の書き写しと感想文の作成、書き写した就業規則の読み上げを命じた。さらに翌日も同様の命令がなされたところ、午前10時30分ころXは腹痛を訴え、病院へ行かせてくれるよう申し出た。Y2は当初これを認めなかったが、午前11時20分ころこれを認めた。Xは直ちに病院の診察を受け、胃潰瘍との診断によりそのまま入院した。
 そこで、Xは、このような教育訓練は正当な業務命令の裁量の範囲を逸脱した違法なものであり、不法行為を構成するとして、Y1会社及びY2に対し、損害賠償の請求を行った。


(判決の要旨)
 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。


(原判決の要旨)
 就業規則128条<社員は、会社の行う教育訓練を受けなければならない。>に基づき、職場内教育訓練を含めてY1会社が社員に命じうる教育訓練の時期及び内容、方法は、その性質上原則としてY1会社(ないし内規等により実際にこれを実施することを委任された社員)の裁量的判断に委ねられているものというべきであるが、その裁量は無制約なものではなく、その命じうる教育訓練の時期、内容、方法において労働契約の内容及び教育訓練の目的等に照らして不合理なものであってはならないし、また、その実施にあたっても社員の人格権を不当に侵害する態様のものであってはならないことはいうまでもない。かかる不合理ないし不当な教育訓練は、Y1会社(ないしこれを実施する社員)の裁量の範囲を逸脱又は濫用し、社員の人格権を侵害するものとして、不法行為における違法の評価を受けるものというべきであるが、右裁量の逸脱、濫用の有無は、当該教育訓練に至った経緯、目的、その態様等諸般の事情を考慮して判断すべきものと解するのが相当である。
 本件教育訓練の契機となったXの本件ベルト着用につきY2がこれを就業規則に違反すると考えたことに過失があるとはいえず、Xが素直に取り外しに応じなかったことから、Y2が、純粋に本来の教育訓練の目的である職員の知識、技能等の向上という見地から、Xに対する教育訓練が必要と判断したのだとすれば、そのこと自体も直ちに非難できないし、本件教育訓練においても、Xに一定時間内で全文を書き写すよう命じたわけではなく、Y2が終始Xの面前でその一挙手一投足まで監視したり、Xを物理的監禁状態に置いたものでもない。
 しかしながら、客観的には、Xの本件ベルト着用は、就業規則に違反しないか、一部の規定に抵触するとしてもその違反の程度は極めて軽微であること、にもかかわらず、本件教育訓練の主たる内容である就業規則の全文書き写し(本件では、偶々Y2も予期せぬ事情によりこれが途中で打ち切られたが)は、一般にそれを命ぜられた者に肉体的、精神的苦痛を与えるものであり、しかも、その合理的教育的意義は認め難いこと、本件の契機からすれば、就業規則の全文を書き写させる必要性を見い出し難いこと、Y2の態度には、Xに対して心理的圧迫感、拘束感を与えるものがあり、合理的理由なくしてXの人格を徒らに傷つけ、また、その健康状態に対する配慮も怠ったこと、勤務時間中、事務室内で長時間に亘り行われるなどの前記諸事情に鑑みると、Y2の命じた本件教育訓練は、Xに就業規則を学習させるというより、むしろ、見せしめを兼ねた懲罰的目的からなされたものと推認せざるを得ず、その目的においても具体的態様においても不当なものであって、Xに故なく肉体的、精神的苦痛を与えてその人格権を侵害するものであるから、教育訓練についてのY2の裁量を逸脱、濫用した違法なものというべきであり、これがY2のXに対する不法行為を構成することは明らかであるし、また、これがY1会社の職務に関してなされたことも明白である。



○ 秘密保持義務に関する裁判例

古河鉱業足尾製作所事件(東京高裁昭和55年2月18日判決)


(事実の概要)
 Y会社は、石炭・非鉄金属の採掘、鉱山土木機械製造販売業等を営み、足尾製作所高崎工場で削岩機等を製造しており、Xらは同工場において工員として勤務していた者であって、労働組合役員であり日本共産党員でもあった。
 昭和35年春、Y会社は、昭和38年上期末における生産機種、台数、金額、収支、賃金形態の変更・資格制度の採用等による能率向上等を具体的数字を列挙して示した3カ年計画を決定したが、本計画の複写を入手したXらは、同年春から夏にかけて、会社従業員である党員で組織された古河細胞における会議でこれを配布し対策を検討したほか、同年夏ごろ開催の細胞総会においては党の地区委幹部(会社従業員ではない者)の出席指導を求めさらに検討を行った。
 Y会社は、昭和37年7月20日、業務上の重要秘密の漏洩等を理由に、Xらを懲戒解雇した。

(判決の要旨)
 <本件計画が対外関係に洩れた場合、>もし右<競争>会社・需要家・関連業者が本件計画を知れば、3年後の工場の生産規模等の全般的状況を把握し、さらにY会社が3年間さく岩機につき新製品を出さず、旧来の型式のさく岩機の生産をつづけ、かつその値上をもくろんでいること<中略>などを掌握することができる。この場合競争会社では3年間にこれに対抗して新製品の発売、競争製品の値引等の措置を実施し、需要家は値引要求、製品買控えの対策をとりうるので、会社は競争上大きな打撃をうけることが予想される。
 <本件計画が対内関係に洩れた場合、>本件計画にもとづく労働条件の変化、とくに賃上げ・奨励給能率給の導入等賃金改訂、販売会社の設立と中央倉庫の設置とに伴う従業員の出向・異動、職組長の資格制度採用と待遇改善、能率向上等は、その実施に当つて事前に公表しあるいは組合と協議すべき事項もあるが、その際でも会社当局において時期・順序・相手方等につき、労使関係等諸般の情況を慎重に検討した上ですることを要し、もしかような手順をふまないうちにその内容が組合・従業員に洩れるときは、当時の新管理方式実施直後の労使関係にかんがみ、労働条件の切下・管理体制整備による労働強化等の疑問・不安を組合や従業員間にひきおこすおそれがあつた。従つてこれらは会社当局による公表あるいは組合との協議開始までは秘密とすべきものである。そして昭和35年8・9月当時右の各事項はいずれも会社によつて公表されず組合にも示されていなかつた。
 <中略>右認定事実によれば、本件計画は、昭和35年8・9月当時会社の業務上重要な事項であつて、会社が従業員に対しその事項を他に洩らさないよう要求し、懲戒罰をもつてこれを強制するに足りる秘密性をそなえていたというべきである。
 <細胞会議での検討経緯や、党員以外の組合員への働きかけの際にXらは本件計画の入手の事実を秘匿していたこと等を認定した上で、>Xらは、いずれも本件複写に掲げられた本件計画が 会社の業務上重要な秘密であること、及び洩らした先が社外であることを認識していたというべく、本件複写に「秘」の表示を欠くからといって秘密の認識がなかったとは到底いえない。以上説明のとおり、Xらは共同して本件計画を、それが会社の業務上重要な秘密であることを知りながら、地区委及び古河細胞に洩らしたというべきである。

 労働者は労働契約にもとづく附随的義務として、信義則上、使用者の利益をことさらに害するような行為を避けるべき責務を負うが、その一つとして使用者の業務上の秘密を洩らさないとの義務を負うものと解せられる。信義則の支配、従つてこの義務は労働者すべてに共通である。もとより使用者の業務上の秘密といつても、その秘密にかかわり合う程度は労働者各人の職務内容により異なるが、管理職でないからといつてこの義務を免れることはなく、又自己の担当する職務外の事項であつても、これを秘密と知りながら洩らすことも許されない。

 懲戒は企業秩序をみだす行為に対する制裁であり、労協57条3号<業務上重要な秘密を他に洩し又は洩そうとした者>、就規73条6号<業務上重要な秘密を社外に洩し又は洩そうとしたとき>は、会社の業務上重要な秘密が守られることを企業秩序維持の一つの柱と考え、これを他に洩らした者に懲戒解雇をもつて臨むことを定めたものである。懲戒制度の目的からみれば、この構成要件は必要かつ十分であつて、このほかに、労協等に明文がないにもかかわらず、敢てXら主張のような情報取得の反社会性、暴露行為の目的及び結果の反社会性、さらに企業秩序の侵害のような要件を必要とするものとは解せられない。<中略>Xらは組合に加入し、かつ会社と労働契約を結び、その結果労協57条3号、就規73条6号の適用を受け、会社に対する関係で、会社の業務上重要な秘密を洩らさないという制限を受けるに至つたものである。かような制限は、Xらが会社と右のような労働契約関係にあるかぎり、政治活動が憲法21条により国家に対する関係で保障されていることを考慮しても、その効力に疑をさしはさむ余地はない。従つてXらの本件計画漏洩行為が政治活動にもあたるとしても、これが労協・就規の前記条項に該当する以上、Xらは懲戒責任を免れることはない。
 以上検討したところによれば、Xらの本件計画漏洩行為は、労協57条3号、就規73条6号に該当し、その情状は重いといわざるを得ない。

 Xらの本件計画漏洩は重大であつて、これだけでも懲戒解雇に値するところ、右両名はこれ以外にも前記<略>のような企業秩序違反行為をしており、これに対する本件懲戒解雇は処分の量定においても裁量権の範囲の逸脱ないし濫用にあたるといえない<中略>。以上説明のとおり、本件解雇の意思表示は有効であつて、本件労働契約はこれにより終了したというべ<きである。>



○ 秘密保持義務に関する裁判例

美濃窯業事件(名古屋地裁昭和61年9月29日判決)


(事実の概要)
 X会社は、耐火煉瓦等の製造販売及び日本国内外において各種窯業プラント等の設計・築炉等を業とする会社であり、Y1は、昭和22年にX会社の従業員となりプラント部課長の職にあった者である。
 Y1は、昭和44年、X会社の商品である窯業用連続焼成炉(商品名エンドレスキルン)を、台湾出張の際に懇意となった取引先会社の社長であるAの求めに応じて設計し、また、現地に赴き指導、助言をするなどし、さらに、陶磁器製品等の輸出を業とするY2会社をAに紹介して必要な機材の輸出に協力してY2会社から紹介料等を受け取るなどしたため、X会社は、Y1及びY2会社の行為により損害を受けたとして、損害賠償を請求した。


(判決の要旨)
 X会社は、海外出張をする者に対し<中略>、業務上の書類、資料、図面等の保管取扱いには十分注意し、複写、または紛失等により業務上の機密が漏洩しないように注意すること、これらの書類は帰国時全て持ち帰ることを原則とし、帰国時に点検を受けること、出張先において客先その他関係者などから契約以外の事項(例えば設計、技術指導、ノウハウの提供その他業務に関する一切の事項)について依頼を受けた場合は、X会社の承認なくしてこれを引き受けてはならないこと、渡航先の企業からの引き合いがあっても、日本から供給する機器、原材料の価格、X会社のノウハウに属する事項については、聞かれても答えてはならず、答える必要がある場合は所管部長の指示を受けることなどの事項を指示する取扱いにした。
 X会社の就業規則には、昭和35年以降、従業員の守るべき事項として、X会社の承認を得ないでX会社以外の業務に従事し、または関与しないこと、X会社の不利益になる事項及び業務上の機密を漏洩しないこと、職務を利用し私利を謀らないことを定めており、Y1においても、常識的にこれらの点は、X会社の社員である以上、当然、守らなければならない事柄であると理解していた。

 <X会社とY1の>雇用契約存続中においては、Y1は、X会社に対し、労務を提供するに当たり善良な管理者の注意を用い、誠実にこれを行うべき雇用契約上の義務を負うことは当然のことであるから、X会社の承認を得ないでX会社以外の業務に従事したり、X会社の不利益になる事項及び業務上の機密を漏洩したり、職務を利用して私利を謀ったりなどしてはならない義務を、Y1はX会社に対し負っていたものというべきである。
 <特に、Y1はX会社のプラント部に在籍し、X会社がXの有する特許の実施品であると考えているエンドレスキルン等の設計、建設に長年従事していたこと等の点から、>Y1は、遅くとも昭和44年2月以降、Xに対し、エンドレスキルン建設のため台湾等の海外へ出張するに際しては、設計図面等の管理に万全を期し、エンドレスキルンに関するX会社の業務上の秘密が漏洩しないように十分な注意を払うべき義務を負うにいたったものというべきである。

 Y1は、昭和44年5月頃、前回の訪台の際に世話になったAの依頼を断わりきれず、同人の求めに応じて長さ58メートルのエンドレスキルンを建設するのに必要な設計を行い、右キルンに適合する駆動装置の規模、能力等の技術的な面の指導をも行い、その後、Aが、台湾、インドネシアにおいて、次々とエンドレスキルンを建設するに当たっては、短期間の休暇等を利用して現地に赴き指導、助言をするなどし、また、Y2会社をAに紹介して、右キルン建設のために必要な機材の調達、輸出に協力し、Y2会社から右機材の仕入価格の10パーセントないし15パーセントに当たる金額を紹介料ないしアドバイス料を受け取るなどしたのであるが、Y1がした右各行為は、前記で認定した、同人がX会社に対して負担していた義務に違反したものというべきである。

 前記で認定したY1の義務違反行為が、X会社の営業上の利益を違法に侵害した不法行為に該当することは明らかである。<中略>
 Y1の前記で認定した義務違反行為ないし違法行為がなかったならば、X会社において、各キルンの建設の仕事の全部又は一部を受注し得たものとは直ちに認め難く、本件全証拠によるも、右因果関係を認めるに足りない。(Y1の前記認定の義務違反行為は、Y1の雇用契約上の解雇その他身分上の懲戒事由となるかどうかはともかくとして、右義務違反行為がX会社の有する本件特許権を侵害するものであるか否かは本件証拠上、明らかではなく、むしろY1が漏洩した技術のほとんどは、当時の我が国における公知技術に属することが窺え、わが国の同業他社においても当時、これを用いてX会社のエンドレスキルンと同種の循環式の窯業用連続焼成炉を開発し、その宣伝、販売活動を行っていたことなどから、右義務違反行為とX会社主張の財産上の損害との間の因果関係を肯認し得ないのである。)また、Y1の義務違反行為ないし右違法行為によりX会社の被った損害額を確定するに足りる証拠はなく、右損害額は、結局、本件証拠上、不明であるといわざるを得ない。



○ 秘密保持義務・競業避止義務に関する裁判例

ダイオーズサービシーズ事件(東京地裁平成14年8月30日判決)


(事実の概要)
 A社は、B社とフランチャイズ契約を締結し、B社からマット類の商品の提供を受け、清掃用品のレンタル等を行うクリーンケアサービス事業等を営んでいたが、平成12年1月に当該事業部門をX会社に営業譲渡した。Yは、平成2年にA社に入社した者であるが、当該営業譲渡に伴ってX社に移籍し、以降、X社においてレンタル商品の配達、回収等の営業を担当したが、その後、X社に懲戒解雇された。
 Yは、解雇後まもなくB社とフランチャイズ契約を結んでいるC商事とサブフランチャイズ契約を締結したが、X社在職中に担当した顧客の中でもX社との取引単価の高い顧客を優先して訪問し、X社とのレンタル契約を解約してC商事とのレンタル契約を締結してもらうことがあったため、X社はYに対し、秘密保持義務及び競業避止義務に違反して顧客を奪ったとして、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求した。
 なお、X社の就業規則には秘密保持及び競業避止の規定があり、また、YはX社に対し、秘密保持義務及び競業避止義務を負う旨の誓約書を提出していた。

(判決の要旨)
<秘密保持義務について>
 本件誓約書に基づく合意は、X社に対する「就業期間中は勿論のこと、事情があって貴社を退職した後にも、貴社の業務に関わる重要な機密事項、特に『顧客の名簿及び取引内容に関わる事項』並びに『製品の製造過程、価格等に関わる事項』については一切他に漏らさないこと。」という秘密保持義務をYに負担させるものである。
 このような退職後の秘密保持義務を広く容認するときは、労働者の職業選択又は営業の自由を不当に制限することになるけれども、使用者にとって営業秘密が重要な価値を有し、労働契約終了後も一定の範囲で営業秘密保持義務を存続させることが、労働契約関係を成立、維持させる上で不可欠の前提でもあるから、労働契約関係にある当事者において、労働契約終了後も一定の範囲で秘密保持義務を負担させる旨の合意は、その秘密の性質・範囲、価値、当事者(労働者)の退職前の地位に照らし、合理性が認められるときは、公序良俗に反せず無効とはいえないと解するのが相当である。

 <本件誓約書の秘密保持義務は、(1)「秘密」の範囲が無限定であるとはいえないこと、(2)当該「秘密」を自由に開示・使用されれば、容易に競業他社の利益またはX会社の不利益を生じさせ、X会社の存立にも関わりかねないこと、(3)Yは、営業の最前線におり、顧客に関する事項を熟知し、その利用方法・重要性を十分認識しており秘密保持を義務付けられてもやむを得ない地位にあったとの事情を認定した上で、>
 このような事情を総合するときは、本件誓約書の定める秘密保持義務は、合理性を有するものと認められ、公序良俗に反せず無効とはいえないと解するのが相当である。

<競業避止義務について>
 本件誓約書に基づく合意は、X会社に対する「事情があって貴社を退職した後、理由のいかんにかかわらず2年間は在職時に担当したことのある営業地域(都道府県)並びにその隣接地域(都道府県)に在する同業他社(支店、営業所を含む)に就職をして、あるいは同地域にて同業の事業を起こして、貴社の顧客に対して営業活動を行ったり、代替したりしないこと。」という競業避止義務をYに負担させるものである。
 このような退職後の競業避止義務は、秘密保護の必要性が当該労働者が秘密を開示する場合のみならず、これを使用する場合にも存することから、秘密保持義務を担保するものとして容認できる場合があるが、これを広く容認するときは、労働者の職業選択又は営業の自由を不当に制限することになるから、退職後の秘密保持義務が合理性を有することを前提として、期間、区域、職種、使用者の利益の程度、労働者の不利益の程度、労働者への代償の有無等の諸般の事情を総合して合理的な制限の範囲にとどまっていると認められるときは、その限りで、公序良俗に反せず無効とはいえないと解するのが相当である。

 <(1)本件での秘密保持義務は合理性を有すること、(2)期間が比較的短く、区域が限定されていること、(3)禁じられる職種はX社と同じ事業であって、当該事業においては新規開拓には相応の費用を要するという事情があり、(4)X社には利益がある一方、Yの不利益については禁じられているのは顧客収奪行為でありそれ以外は禁じられていないことを認定した上で、>
 もっとも、X社は、本件誓約書の定める競業避止義務をYが負担することに対する代償措置を講じていない。しかし、前記の事情に照らすと、本件誓約書の定める競業避止義務の負担によるYの職業選択・営業の自由を制限する程度はかなり小さいといえ、代償措置が講じられていないことのみで本件誓約書の定める競業避止義務の合理性が失われるということにはならないというべきである。
 これらの事情を総合すると、本件誓約書の定める競業避止義務は、退職後の競業避止義務を定めるものとして合理的な制限の範囲にとどまっていると認められるから、公序良俗に反せず無効とはいえないと解するのが相当である。

 <Yは、>少なくとも顧客情報を利用して、退職時2年以内に在職時に担当したことのある営業地域であるさいたま市にて同業の事業を起して、X会社の顧客に対し営業活動を行ったものというほかない。したがって、Yの本件行為は、本件誓約書の定める競業避止義務(債務)違反という債務不履行に該当すると認めるのが相当である。



○ 競業避止義務に関する裁判例

日本コンベンションサービス事件
(最高裁平成12年6月16日第二小法廷判決)


(事実の概要)
 Yは、国際会議等の企画運営を主たる業務とする会社であり、Xらはその従業員であったが(XらのうちX1は関西支社の次長である。)、Xらは、Y社在職中から同種の事業を営む新会社Aの設立準備を進め、A会社を設立し、他の労働者を勧誘してこれらとともにYを退職し、その直後からA社において競業行為を行った。そこで、YはXらを懲戒解雇した。
 Xらは、Yによる懲戒解雇は解雇権の濫用であり違法な行為であるとして、不法行為による損害賠償(慰謝料)等の請求を行った(甲事件)。一方、Yは、Xらの社員引き抜き及び競業行為により損害を被ったとして、債務不履行及び不法行為による損害賠償請求を行った(乙事件)。

(判決の要旨)
 所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、Xらに対するYの損害賠償請求につき400万円及びその遅延損害金の支払を求める限度で理由があるとした原審の判断は、是認することができる。原判決に所論の違法はない。
  ※  上告は乙事件についてであり、甲事件は原判決(大阪高裁平成10年5月29日判決)において確定している。

(原判決の要旨)
<甲事件のうちYの不法行為に係る損害賠償請求について、>
 懲戒解雇が就業規則または労働契約に基づき、その範囲内で行われている限り、正当な懲戒権の行使として違法性がなく、不法行為は成立しない。

 <そこで、Y会社の主張する懲戒解雇事由のうち、Xらの在職中の労働者の引き抜き行為については、>Xらがその在職中積極的に関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員に対し、新会社に移るよう勧誘したことにおいて、就業規則32条、33条8号、38条2号ないし4号<懲戒解雇事由>に該当するということができる。
 <また、Y会社の主張する懲戒解雇事由のうち、退職後の競業避止義務違反については、>就業規則31条2項によれば、Y会社の従業員は、退職後2年間、会社の業務地域において、その従業員が勤務中に担当した業務について、会社と競合して営業を営むことができないと規定している。
 一般に、労働者は、労働契約が終了すれば、職業選択の自由として競業行為を行うこともできるのであるから、労働契約が終了した後まで競業避止義務を当然に負うものではない。しかし、他方、使用者は、労働者が使用者の営業秘密に関わっていた場合、自己の営業秘密を守るため、退職後も労働者に競業避止義務を課す必要があり、就業規則で、このような規定を設けることにも、一応の合理性が認められる。
 したがって、従業員に対し、退職後一定期間競業避止義務を課す規定も有効と考えるべきであるが、その適用に当たっては、規定の趣旨、目的に照らし、必要かつ合理的な範囲に限られるというべきである。そして、この点を判断するに当たっては、これによって保護しようとする営業上の利益の内容、殊に、それが企業上の秘密を保護しようとするものか、それに対する従業員の関わり合い、競業避止義務を負担する期間や地域、在職中営業秘密に関わる従業員に対し代償措置が取られていたかどうかなどを考慮すべきである。
 <(1)コンベンション業務には取引先と従業員との個人的な信頼関係により継続的に受注を得るという特質があるが、これは営業秘密とはいえないこと、(2)このような個人的信頼関係が業務の受注に大きな影響を与える以上、使用者も各種手当の支給などで従業員の退職を防止すべきであるが、Y会社は時間外手当を支給せず十分な代償措置を講じていたとは言えないこと、(3)かかる状況の中にあっては、Y会社は、単に従業員を引き止めるための手段として、競業避止義務を課しているに等しいことを認定した上で、>
 以上によれば、XらがY会社を退職して、同種の事業を営む会社に勤めたとしても、これによって、Y会社の営業上の秘密が他の企業に漏れるなどの事態を生ぜしめるものでないし、Xらの退職により、取引先からの業務の受注に大きな影響を与える結果となるとしても、それは、従業員と取引先との個人的信頼関係の強い事業を営んでいることに起因するのであるから、本来、Y会社において、十分な代償措置を採った上、転出等を防止すべく万全の措置を講じておくか、右措置を採らないのであれば、自ら、これを受認すべきものというべきであるので、右就業規則の規定は、Xらのような退職者には適用がなく、Xらの退職後の右行為をもって就業規則違反ということはできない

 以上によれば、Xらは、Y会社を退社してY会社と同種の事業を営む新会社を設立するため、関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員を勧誘して、平成2年6月25日A会社を設立し、また、関西支社の書類や物品などを持ち出した点において、懲戒解雇事由に該当する。


<乙事件(Xらの不法行為に係る損害賠償請求)について、X1は中心となって、Yから独立して同種の事業を営む新会社を設立することを計画し、従業員の勧誘や新会社の設立などを積極的に行ったこと等を認定した第一審の判決を引用した上で、>
 当裁判所も、X1がA社を設立させ、その結果Yの業務を混乱させたのは、同人の幹部職員としての地位に照らし、雇用契約上の誠実義務に反する違法行為であると判断する。<中略>
 Z<A設立の中心人物でY会社の元副社長>、X1の違法行為により、Yの社会的、経済的信用が減少したことが認められる。そして、このような場合、損害が生じたことは認められるが、損害の性質上その額を立証することが極めて困難である。それ故、当裁判所は弁論の全趣旨及び本件全証拠調べの結果とこれにより認定できる前認定の各事実に基づき、金400万円をもって相当な損害賠償額であると認定する。



○ 競業避止義務に関する裁判例

エープライ事件(東京地裁平成15年4月25日判決)


(事実の概要)
 X社は、工業用及び家庭用電気機械器具の販売及び設置工事を業とする株式会社であり、その商品には、インターチェンジの料金所ブース等に取り付けるエアーカーテン等がある。
 Yは、平成5年7月1日にX社に雇用され、平成6年末から平成11年7月ころまでX社九州支社の責任者であった者であるが、X社は、Yが業務上の必要がないのに他社へ自社製品である堅形エアーカーテン(2号機)を送付するよう指示し、かつ、受注予定であった売買の買主を同業他者に紹介する等してX社に損害を与えたとして、雇用契約上の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めた。


(判決の要旨)
 <Yは、同人がA社へ2号機を送付するよう指示したのは、Yが2号機の取付方法を知らなかったためこれをA社に調査してもらうためであったと主張しているところ、>
 X社は平成11年3月末ころから本州において2号機の販売取付の実績が数件あったこと、2号機を開発したBはX会社を退社してはいなかったこと、A社は1号機の取付実績はあったが2号機の取付の経験はなかったこと、A社は、2号機の取付方法について教示してほしい旨のYの依頼を否定していること、A社の本店は、当時、後に堅形エアーカーテンの販売においてX会社と競争関係となるC社の本店所在地と同一であったことが認められる。これらの事実を総合すると、Yは、X社の業務上必要がないばかりか、X社と競争関係になるC社に2号機の構造を知られる可能性があるにもかかわらず、本件指示<2号機をA社に送付する指示>を行ったことが認められる。

ア Yは、自己又はC社の利益を図る目的で、(1)<エアーカーテン。(2)から(4)も同じ>の売買をC社に受注させるよう、(1)の買主に対しては、競争相手がいないことを前提として決められたX社の通常の販売価格を最終的な販売価格であると告げた上、C社を紹介し、C社に対しては、(1)の売買の案件があることと、(1)の売買のX社の販売価格とそれにC社がとって代わる際の予定価格を知らせたことが認められる。
イ Yは、D<C社社員>と共謀の上、(2)の売買をC社に受注させるため、(2)の売買の交渉申入れが九州支社にされた際、買主に対し、Dは九州支社の関係者であり、C社はX社の協力会社であるかのように装って、買主と交渉させ、(2)の売買の受注者名をC社とさせた上、九州支社が工事を行わないのは、九州支社の都合で工事を行えなくなったからである旨告げたことが認められる。
ウ Yは、(3)(4)の売買をC社に受注させる目的で、競争相手がいることや受注には値引きが必要となること等を何ら上司に報告することなく、買主には、前記X社の一般的な販売価格を一方的に告げた上、C社に対しては、(3)(4)の売買の案件があることを知らせたことが認められる。そして、(1)(2)の売買について、Yが、Cに対し、X社の販売価格を告げていることからすれば、Yが、(3)(4)の売買についてX社の提示している販売価格を告げ、これより安価な条件を提示するよう進めたことも認められるというべきである。

 Yのアないしウの各行為は、使用者の利益のために活動する義務がある被用者が、自己又は競業会社の利益を図る目的で、職務上知りえた使用者が顧客に提示した販売価格を競業会社に伝えるとともに、競業会社を顧客に紹介したり、競業会社が使用者の協力会社であるかのように装って競業会社に発注させたり、上司に競業会社がより安い価格で顧客と契約する可能性があることを報告しなかった行為であるから、雇傭契約上の忠実義務に違反する行為であるとともに、X社の営業上の利益を侵害する違法な行為であるというべきである。<中略>

 以上から、X会社の請求は、本件指示による不法行為ないし債務不履行に基づく損害賠償請求として4万8800円、及び、(1)及び(2)の売買をC社に受注させるよう売主やC社に働きかけた行為による不法行為ないし債務不履行に基づく損害賠償請求として310万9600円<中略>を求める限度で理由がある。



○ 競業避止義務に関する判例

フォセコ・ジャパン・リミティッド事件
(奈良地裁昭和45年10月23日判決)


(事実の概要)
 X会社は、金属鋳造の際に使用する各種冶金副資材の製造販売を業とするもので、Y1は昭和33年に入社し昭和44年に退社するまで本社研究部で製品品質管理を担当した者、Y2は昭和33年に入社し昭和40年まで本社研究部で技術に関与し、さらに昭和44年に退社するまで大阪支社鋳造部本部で技術知識を有する販売員として製品販売業務に従事していた者であるが、Y1らは退職直後にA会社を設立してその取締役に就任し、競業(鋳造用副資材の製造販売)を行った。
 そこで、X会社は、Y1らに対し、金属鋳造用副資材の製造販売業務に従事しない旨の差し止め請求を行った。

(判決の要旨)
 一般に雇用関係において、その就職に際して、あるいは在職中において、本件特約のような退職後における競業避止義務を含むような特約が結ばれることはしばしば行われることであるが、被用者に対し、退職後特定の職業につくことを禁ずるいわゆる競業禁止の特約は経済的弱者である被用者から生計の道を奪い、その生存を脅かす虞れがあると同時に被用者の職業選択の自由を制限し、又競争の制限による不当な独占の発生する虞れ等を伴うからその特約締結につき合理的な事情の存在することの立証がないときは一応営業の自由に対する干渉とみなされ、特にその特約が単に競争者の排除、抑制を目的とする場合には、公序良俗に反し無効であることは明らかである。従って被用者は、雇用中、様々の経験により、多くの知識・技能を修得することがあるが、これらが当時の同一業種の営業において普遍的なものである場合、即ち、被用者が他の使用者のもとにあっても同様に習得できるであろう一般的知識・技能を獲得したに止まる場合には、それらは被用者の一種の主観的財産を構成するのであってそのような知識・技能は被用者は雇用終了後大いにこれを活用して差し支えなく、これを禁ずることは単純な競争の制限にほかならず被用者の職業選択の自由を不当に制限するものであって公序良俗に反するというべきである。
 しかしながら、当該使用者のみが有する特殊な知識は使用者にとり一種の客観的財産であり、他人に譲渡しうる価値を有する点において右に述べた一般的知識・技能と全く性質を異にするものであり、これらはいわゆる営業上の秘密として営業の自由と並んで共に保護されるべき法益というべく、そのため一定の範囲において被用者の競業を禁ずる特約を結ぶことは十分合理性があるものというべきである。このような営業上の秘密としては、顧客等の人的関係、製品製造上の材料、製法等に関する技術的秘密等が考えられ、企業の性質により重点のおかれ方が異なるが、現代社会のように高度に工業化した社会においては、技術的秘密の財産的価値はきわめて大きいものがあり従って保護の必要性も大きいと考えられる。即ち技術的進歩、改革は一つには特許権・実用新案権等の無体財産権として保護されるが、これらの権利の周辺には特許権等の権利の内容にまでは取り入れられない様々の技術的秘密−ノウハウなど−が存在し、現実には両者相俟って活用されているというのが実情である。従ってこのような技術的秘密の開発・改良にも企業は大きな努力を払っているものであって、右のような技術的秘密は当該企業の重要な財産を構成するのである。従って右のような技術的秘密を保護するために当該使用者の営業の秘密を知り得る立場にあるもの、例えば技術の中枢部にタッチする職員に秘密保持義務を負わせ、又右秘密保持義務を実質的に担保するために退職後における一定期間、競業避止義務を負わせることは適法・有効と解するのを相当とする。

<Y1はX会社研究部で原料の処方、温度等の諸条件の検討、製品検査に従事し、B製品の製法について特に知識のあること、Y2は研究部所属中はY1と同様の職務、大阪支社では営業部員への技術指導等に従事していたことを認定した上で、>Y1ら両名は、X会社の技術的秘密を知り、知るべき地位にあつたと言うことができる。
 そしてY1ら両名が昭和44年6月X会社を退職すると、まもなく、同年8月29日にA会社が設立され、両名は取締役となり、直ちにX会社製品と同様の製品の製造販売活動を行つていること前認定のとおりであるのでY1ら両名の有する知識がA会社において大きな役割を果していることは十分推認できるところであり、従つて、Y1ら両名は、競業者たるA会社に対し、X会社の営業の秘密を漏洩し、或いは必然的に漏洩すべき立場にあると言え、X会社は本件特約に基いてY1らの競業行為を差止める権利を有するものといえる。

 競業の制限が合理的範囲を超え、Y1らの職業選択の自由等を不当に拘束し、同人の生存を脅かす場合には、その制限は、公序良俗に反し無効となることは言うまでもないが、この合理的範囲を確定するにあたつては、制限の期間、場所的範囲、制限の対象となる職種の範囲、代償の有無等について、債権者の利益(企業秘密の保護)、債務者の不利益(転職、再就職の不自由)及び社会的利害(独占集中の虞れ、それに伴う一般消費者の利害)の3つの視点に立つて慎重に検討していくことを要するところ、本件契約は制限期間は2年間という比較的短期間であり、制限の対象職種は債権者の営業目的である金属鋳造用副資材の製造販売と競業関係にある企業というのであつて、X会社の営業が化学金属工業の特殊な分野であることを考えると制限の対象は比較的狭いこと、場所的には無制限であるが、これはX会社の営業の秘密が技術的秘密である以上やむをえないと考えられ、退職後の制限に対する代償は支給されていないが、在職中、機密保持手当がY1ら両名に支給されていたこと既に判示したとおりであり、これらの事情を総合するときは、本件契約の競業の制限は合理的な範囲を超えているとは言い難く、他にY1らの主張事実を認めるに足りる疎明はない。従つて本件契約はいまだ無効と言うことはできない



○ 競業避止義務に関する判例

三晃社事件(最高裁昭和52年8月9日第二小法廷判決)


(事実の概要)
 X会社は、広告代理業、出版、印刷、看板の製作等を営む株式会社であり、Yは、昭和38年にX会社に入社し、同48年にX会社を退職した者であるが、Yは、X会社の退職に際し、自己都合退職乗率に基づき計算された退職金64万8000円を受領し、今後同業他社に就職した場合には退職金規則の規定するところに従い受領した退職金の半額をX会社に返還する旨約した。また、X会社の退職金規程には、退職後同業他社へ転職のときは自己都合退職の半分の乗率で退職金が計算されることになっていた。
 Yは、X会社を退職後まもなくX会社と競業関係にあるA会社に入社し、X会社当時Yが担当していた顧客もA会社の顧客としているため、X会社は、Yに対し、退職金の半額の返還を請求した。


(判決の要旨)
 原審の確定した事実関係のもとにおいては、Y会社が営業担当社員に対し退職後の同業他社への就職をある程度の期間制限することをもって直ちに社員の職業の自由等を不当に拘束するものとは認められず、したがって、Y会社がその退職金規則において、右制限に反して同業他社に就職した退職社員に支給すべき退職金につき、その点を考慮して、支給額を一般の自己都合による退職の場合の半額と定めることも、本件退職金が功労報償的な性格を併せ有することにかんがみれば、合理性のない措置であるとすることはできない。
 すなわち、この場合の退職金の定めは、制限違反の就職をしたことにより勤務中の功労に対する評価が減殺されて、退職金の権利そのものが一般の自己都合による退職の場合の半額の限度においてしか発生しないこととする趣旨であると解すべきであるから、右の定めは、その退職金が労働基準法上の賃金にあたるとしても、所論の同法3条、16条、24条及び民法90条等の規定にはなんら違反するものではない。以上と同旨の原審の判断は正当であって、原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は失当である。


(原判決の要旨)
 X会社の退職金制度は全額使用者負担となっていて、従業員の積立金方式あるいは一種の共済方式によるものではないことがうかがわれる。かかる方式の下では、退職していく従業員に対しどの程度の退職金を支給するかは使用者側において或る程度裁量的に定め得るものと解される。退職金の支給額(率)につき、会社都合による退職と自己都合による退職とて差異を設けることは広く行なわれており、更に自己都合退職の場合でも法律の規定または公序良俗に違反しない限り、退職事由によって算定基準に差異を認めることも許されるものと解する。
 本件の場合、同業他社へ転職の場合は、単なる自己都合退職の際の半額しか退職金を支給しないという退職金規則の規定は、まさしく右に該当する場合の退職金の支給基準を定めたこととなり、その要件を充足するときは、退職金がその支給割合に応じた数額しか発生しないことを意味する。しかも、退職事由により退職金支給算定基準が異なることは、予めX会社従業員には周知され判明している以上、従業員において同業他社へ転職するか、他の企業へ行くか、そのまま残るかの利益、不利益を十分比較できるのであって、そのいずれを選択するかは専ら従業員の意思に委ねられているのである。もっとも、本件退職金規定の改定経過にかんがみると、X会社が退職金の支給額(率)に差異を設けることによって、従業員の足止めを図ろうとする意図は看取し得るけれども、だからといって原審判示の如く、直ちに右規定が実質的に損害賠償の予定(実質的に損害賠償の予定とするためには経済的にみて債権者が蒙むるであろう損害額と予定額との間に相当程度の関連性のあることを要するものと解されるところ、本件の場合両者間にほとんど実質的関連性は認められない。)を定めたものとして労基法16条に違反するものとはいえないし、また本件退職金制度による支給実態にかんがみ、この程度の減額支給が従業員に対する強い足止めになるとも考えられないので、これが民法90条に違反するとも断定できない



○ 競業避止義務に関する裁判例

チェスコム秘書センター事件(東京地裁平成5年1月28日判決)


(事実の概要)
 X会社は、電話による秘書代行業務等を行う会社であり、A会社は、人材派遣、業務代行等を目的とするX会社の子会社である。電話による秘書代行業務とは、顧客に転送機を購入してもらい、顧客の事務所等に着信した電話を転送機によってX会社の事務所に転送し、X会社のオペレーターが秘書として応対するものである。
 Yは、昭和62年にA会社に入社し、平成元年4月に退職するまでの間、X会社に出向して転送機の取り付け、修理、リース等の業務に従事していた。Yの両親は、同じく電話代行業務の営業を行うB会社を経営している。
 Yは、在職中及び退職後、X会社の顧客に対し、X会社との契約をB会社との契約に切り替えて欲しい旨の勧誘をした。そこで、X会社は、これを不法行為として、Yらに対し損害賠償を請求した。
 なお、X会社及びA会社の就業規則等には、競業避止義務を定めた規定はなかった。


(判決の要旨)
 Yは、A会社と労働契約を締結して、X会社に出向していたのであるから、X会社に対して労働給付義務に付随する義務として服従義務、誠実義務、競業避止義務を負っていることはX会社主張のとおりである。したがって、<中略>(YがX会社に在職中の行為)は、労働契約上の債務不履行に該当する
 問題は、労働契約終了後にいかなる義務を負担するかである。
 原則的には、営業の自由の観点からしても労働(雇傭)契約終了後はこれらの義務を負担するものではないというべきではあるが、すくなくとも、労働契約継続中に獲得した取引の相手方に関する知識を利用して、使用者が取引継続中のものに働きかけをして競業を行うことは許されないものと解するのが相当であり、そのような働きかけをした場合には、労働契約上の債務不履行となるものとみるべきである。
 右の観点から、本件についてこれをみると、(1)Xが行っているような態様の電話代行業務は、代行業務を必要とする顧客を発見し、その顧客に転送機を購入してもらうことがもっとも重要であること、(2)X会社はバスやタクシー広告等に相当の経費をかけて代行業務を必要とする顧客の発見に努めていること、(3)B会社では電話帳に広告を載せるほか、ダイレクトメールやテレコール等で宣伝をしていたが、これらの方法では殆ど顧客を獲得することはできなかったこと、(4)そこで、Yは、X会社の顧客であって、既に転送機を購入済みであることをX会社に在職中に知った相手方に対して訪問をして、X会社より低廉な料金を提示してX会社からB会社への切替えを勧誘する方法を採っていたこと。以上の各事実を認めることができる。
 右によれば、Yの各行為は、いずれもX会社に対する労働契約上の義務違反となる。



○ 競業避止義務に関する裁判例

西部商事事件(福岡地裁小倉支部平成6年4月19日判決)


(事実の概要)
 X会社は、手形貸付、金銭消費貸借による貸付等の方法により金融業を営む株式会社であり、Yは、昭和51年から平成3年2月1日までX会社に勤務していた者である。
 Yは、X会社を退職するに際し、X会社との間で、(1)X会社の機密事項を厳守し、これを漏洩しないこと、(2)X会社を退職して3年間はX会社の事業と競合する同業他社に就職しないことを内容とする契約を締結した。
 Yは、X会社退職後、一旦はX会社と競業しない運送業に就職したが、同年8月これを退職し、同月半ばころX会社と事業が競合するA会社に就職した。そのため、X会社は、Yの上記行為が契約に違反する行為であるとして、損害賠償及び退職金の返還を請求した。


(判決の要旨)
 本件秘密保持契約違反を理由とする損害賠償請求については、<(1)YがX会社の顧客との具体的取引内容を利用して営業したり、X会社の顧客だけを集中的に営業した事実はないこと、(2)YがX会社在職時に知りA社で電話営業した際に利用したとされる単なる電話番号程度は契約によってこれを秘匿しなければならないほどの重要な情報とは言えないこと、(3)Yが秘密情報を有していたとしても、退職から6ヵ月後にA会社に就職しており、金融業者における顧客情報は日々陳腐化していくと考えられ、6ヶ月前の情報の重要性は疑問であること、(4)YがA会社に就職する経緯には、やむを得ない事情が認められ、YがX会社の営業利益を不当に侵害する目的をもって計画的に同業他社に転職したものでないことを認定した上で、>YのA会社における営業行為は、本件秘密保持契約違反にはならないと解されるので、X会社の右契約違反に基づく損害賠償請求は理由がない。

 本件競業避止契約は、X会社代表者がX会社の営業秘密の漏洩を防止するために締結したものである。しかし、このように競合する職業に就職できないことは、Yにとって再就職の際の職業選択の自由に対する著しい制約である。したがって、この契約が、文字どおり、場所的に無制限、3年間もの長期間同業種への就職を制限するものであるとすれば、憲法の保障する職業選択の自由に対する不当な制約として公序良俗に反する無効なものと解すべき余地がある。殊にYは、当時41歳であり、高校卒業後、数年間船舶会社に就職したほかは約15年間金融業一筋に従事し、多くの経験知識を身につけており、もはや他の業種に転職して最初からやり直すことは年齢的にも困難な状況にあり、最も有利なこの職業を選択できなくなることはYにとって極めて重大な権利の制限であるということができる。もっとも、Yはこの契約の内容を理解した上で締結しているが、当時は同じ金融業に就職するつもりはなかったため、その影響の重大性を顧慮することなく、気軽に契約を締結したことが窺われる。従って、この契約の解釈については、その契約締結の目的、必要性から見て合理的な範囲に制限されると解すべきである。また、このように制限的に解することによってのみ、この契約は有効になると解すべきである。
 <Yはある程度顧客情報を知り得る立場にはあったが重要情報は知り得る立場になかったこと、Yの他社への移転に伴い顧客が一緒に移転することは考えられないことを認定した上で、>Yの場合には、営業秘密漏洩防止のために競業避止契約を締結する必要性はそれほど大きくなかったと考えられる。そうすると、本件競業避止契約のように、場所的に無制限、かつ3年という長期間の制約を課する合理的根拠は乏しいというべきである。
 ただ、かつてX会社の退職者がX会社のすぐ近くで金融業を開業してX会社が著しい影響を受けたことがあったことから、特にこの契約を締結するに至ったことが認められる。そうすると、この契約による競業規制の範囲は、右のように、X会社の営業秘密を不正に利用したり、退職直後からX会社のすぐ近くで金融業を開始してX会社の営業に重大な影響を及ぼすというような背信性の強い場合のみに限定すべきものと解するのが相当である。そして、その背信性の有無の判断については、その退職に至る経緯、目的、競業関係に就職することによってX会社の被る影響の程度など諸般の事情を総合して判断すべきである。
 <Yには、自己の利益のためにX会社を退職・独立しようとする動機やXの資料を利用して営業する意思は認められないこと、当初は他の職業に就職したが過酷な勤務条件等によりやむなく金融業に就職したこと、時期的には6ヶ月の期間を置き、場所的にも他の地区において就職し、X会社と競合しないよう配慮したこと、実際にもX会社の営業秘密の不正取得・不正利用は認められないことなどを総合し、Yの本件競業について、>これを禁止しなければならないほどの顕著な背信性は認められず、他に右のとおり著しい背信性を認めるに足りる証拠はない。従って、このような場合にまで本件競業避止契約の効力が及ぶものと解するのは相当ではない。よって、Yの本件A会社への就職及びそこでの営業活動が本件競業避止契約の債務不履行にあたることを理由に損害賠償にあたることを理由に損害賠償を求めるX会社の請求は理由がない。

 また、退職金規程には、退職金を受領した退職者について<中略>退職後3年以内に同業他社に就職した場合は、退職金全額を会社に即時返還しなければならない旨の規程が存するが、<中略>右退職金返還条項については、X会社の就業規則を介してYとの労働契約の内容となっており、使用者たるXには退職金制度の有無、内容についての一定の裁量があることを考え合わせると、無効ということはできない。
 しかし、本件退職金の<中略>支給条件及び支給額の裁量の幅が狭いことに照らすと、本件退職金には継続した労働の対償である賃金的性質があることは否定できず、他方、右返還条項は退職金の全額返還を定め、しかも、同業他社への就職を3年もの長期にわたって規制しているので、退職従業員の職業選択の自由に重大な制限を加えているといわざるを得ない。従って、この競業規制違反による退職金返還条項は、前記に判示したと同様の理由により、その形式的文言に関わらず、退職者に右労働の対償を失わせることが相当であると考えられるような、X会社に対する顕著な背信性が認められる場合に限って適用されると解すべきである。
 そして、既に認定したとおり、<中略>Yに特に非難されるべき事情は見当たらないので、Yに前記退職金返還条項を適用することはできないものといわなければならず、右条項を理由とするX会社のYに対する退職金の返還請求は理由がない。



○ 競業避止義務に関する裁判例

東京リーガルマインド事件(東京地裁平成7年10月16日決定)


(事実の概要)
 X会社は、大手の司法試験受験予備校であり、Yは、その専任講師を務め監査役にも就任していた者であるが、平成7年5月25日にX会社を退職すると前後して同月2日A会社を設立し、同社が営業主体となって司法試験受験指導を行うB塾を開業した。
 そのため、X会社は、Yに対し、競業避止義務を定める従業員就業規則、役員就業規則及び個別の特約に基づき、B塾の営業等の差止めを求めた。


(判決の要旨)
 労働者は、労働契約に付随する義務として使用者の事業目的に反しその利益を損なう競業行為を行ってはならない義務(競業避止義務)を負うが、労働契約終了後は、職業選択の自由の行使として競業行為であってもこれを行うことができるのが原則であり、労働契約終了後まで右競業避止義務を当然に一般的に負うものではない。しかし、一定の限定された範囲では、実定法上労働契約終了後の競業避止義務を肯定すべき場合がある。<中略>。
 労働契約終了後であっても一定範囲で競業避止義務が肯定されるのは、労働者の職務内容が使用者の営業秘密に関わるものであるため、労働者が職務遂行上知った使用者の秘密については、労働契約終了後であってもこれを漏洩しないという信頼関係が使用者と労働者との間に存在することに基づくものと考えられる。不正競争防止法<中略>の規定は、労働者が信義則上営業秘密保持義務を負うため労働契約終了後の競業避止義務を肯定すべき場合につきその要件及び効果を明らかにしているものであり、当事者間の契約なくして実定法上労働契約終了後の競業避止義務を肯定し得るのは同法の右規定が定めている場合に限られるものと解するのが相当である。

 一般に、このような競業避止義務を定める特約は、競業行為による使用者の損害の発生防止を目的とするものであるが、それが自由な意思に基づいてされた合意である限り、そのような目的のために競業避止義務を定める特約をすること自体を不合理であるということはできない。しかし、労働契約終了後は、職業選択の自由の行使として競業行為であってもこれを行うことができるのが原則であるところ、労働者は、使用者が定める契約内容に従って付従的に契約を締結せざるを得ない立場に立たされるのが実情であり、使用者の中にはそのような立場上の差を利用し専ら自已の利のみを図って競業避止義務を定める特約を約定させる者がないとはいえないから、労働契約終了後の競業避止義務を定める特約が公序良俗に反して無効となる可能性を否定することはできず、その判断に当たっては、競業避止義務を定める特約が、もともと当事者間の契約なくして実定法上労働契約終了後の競業避止義務を肯定し得る場合について、競業禁止期間、禁止される競業行為の範囲、場所につき約定し、競業避止義務の内容を具体化しつつ競業避止義務の存することを確認したものであるか、それともそのような場合ではなく競業避止義務を合意により創出するものであるかを区別する必要がある
 前者の場合には、競業行為の禁止の内容が労働者であった者が退職後であっても負うべき秘密保持義務確保の目的のために必要かつ相当な限度を超えていないかどうかを判断し、右の限度を超えているものは公序良俗に反して無効となるものと考えられる。右の判断に当たっては、労働者が使用者の下でどのような地位にあり、どのような職務に従事していたか、当該特約において競業行為を禁止する期間、地域及び対象職種がどのように定められており、退職した役員又は労働者が職業に就くについて具体的にどのような制約を受けることになるか等の事情を勘案し、使用者の営業秘密防衛のためには退職した労働者に競業避止義務賦課による不利益を受忍させることが必要であるとともに、その不利益が必要な限度を超えるものではないといえるか否かを判断すべきであり、当該特約を有効と判断するためには使用者が競業避止義務賦課の代償措置を執ったことが必要不可欠であるとはいえないが、補完事由として考慮の対象となるものというべきである。
 これに対し、後者の場合には、労働者は、もともとそのような義務がないにもかかわらず、専ら使用者の利益確保のために特約により退職後の競業避止義務を負担するのであるから、使用者が確保しようとする利益に照らし、競業行為の禁止の内容が必要最小限度にとどまっており、かつ、右競業行為禁止により労働者の受ける不利益に対する十分な代償措置を執っていることを要するものと考えられる。

 <中略>本件における競業避止特約は、Yらの役員としての地位に伴う委任契約の内容をなすもので、労働契約に付随するものではないが、上で述べた考え方は、本件にも当てはまるものである。
 本件における競業避止特約は、もともと当事者間の契約なくして実定法上委任契約終了後の競業避止義務を肯定し得る場合についてのものではなく、競業避止義務を合意により創出するものであることになるところ、<(1)競業禁止の合理的な理由・使用者の利益が不明なこと、(2)競業行為が禁止される場所の制限がないこと、(3)Yの講師としての貢献に照らし、1000万円の退職金が2年間の競業避止義務の代償とは認められないことから、>競業禁止期間が退職後2年間だけ存するという比較的短期間に限られたものであることを考えても、目的達成のために執られている競業行為の禁止措置の内容が必要最小限度にとどまっており、かつ、右競業行為禁止により労働者の受ける不利益に対する十分な代償措置を執っているということはできないから、YとX会社との間の本件役員誓約書及び本件役員就業規則における退職後の競業避止義務に関する条項の内容の約定は、公序良俗に反して無効といわざるを得ない。



○ 競業避止義務に関する裁判例

ジャクパコーポレーション事件(大阪地裁平成12年9月22日判決)


(事実の概要)
 Y会社は、幼稚園等の業務委託を受けて園児らに対する体育指導等を行うことを主たる業務とする会社であり、X1は、平成10年3月31日をもってY会社を退職した者、X2、X3らは平成11年3月31日をもって同社を退職した者であるが、Y会社の顧客であった幼稚園の一部はY会社との契約更新を拒絶し、平成11年4月よりA会社と業務委託契約を締結した。X1、X2、X3らはY会社を退職後、A会社に入社し引き続き体育指導等を行っている。
 Y会社は、X2、X3らの行為が退職金不支給条項にあたるとして退職金を支払わなかったため、X2、X3らは退職金の支払を求めた。一方、Y会社は、X1、X2、X3らが顧客奪取等の不法行為をしたとして損害賠償を請求した。


(判決の要旨)
<X1、X2、X3らの不法行為責任について>
 労働者は<中略>、労働契約終了後は、そのような競業避止義務を当然かつ一般的に負うものではなく、競業行為によって使用者の営業秘密が他企業に流出し、使用者の決定的な打撃を受けるなどといった特殊な場合を除き、自ら主体となりあるいは同業他社へ就職するなどして退職前の使用者との競業行為に従事することも、これを自由に行いうるのが原則である。その際、退職前の使用者の顧客に対する営業活動を行ってはならないなどの義務が当然に生じるものでもない。したがって、退職後の競業行為が退職前の使用者に対する関係で不法行為となるためには、それが著しく社会的相当性を欠く手段、態様において行われた場合等に限られると解する。
 これに関して、Y会社は、退職金規程8条2項において退職後の競業行為を禁止していると主張するが、これは、退職金の支給条件(減額、不支給事由)を定めた規程であり、これをもって一般的に退職後の競業行為を禁止したものと解することはできず、他に、Y会社の就業規則等には退職後の競業行為などを禁じる規程はない。

 <X2らの出した退職後担当園の指導をしない旨の誓約書について>
 右誓約書はX2らが提出を拒絶しがたい状況の中で、意思に反して作成提出させられたものというべきであり、任意の合意といえるかには多大な疑問があるのみならず、誓約内容も、X2らが指導を担当していた幼稚園等すべてにおいて、期限を限定することもなく、他に雇用されて指導することまで制限するものであって合理性を有するものとも認められない。したがって、かかる誓約書による合意にX2らの退職後の職業選択の自由を制約する効力を認めることはできず、不法行為責任が問われている本件においても、右合意に違反したことをもって、不法行為に該当するとか、違法性を強める事情などとすることはできない。
 そこで、X1の行っていた従業員勧誘や営業活動、また、これに応じて、A会社の従業員として幼稚園で体育指導等に従事しているX2らの行為が社会的相当性を逸脱するほど違法性の高いものであるかについてであるが<中略>、X1が、Y会社の従業員に対して転職の勧誘行為を行っていたことや幼稚園に対して新会社との契約締結への働きかけを行っていたことは認められるが、その手段、態様において社会的相当性を逸脱するほど著しく不当なものであったとは認められず、したがって、それらがY会社に対する不法行為に該当するということはできない。X2らが、X1の勧誘に応じて転職を決意するなどしたことやX3らが労働組合を結成して退職者を支援する要求をしたりしたことも、それを違法とは目し得ない<中略>。よって、X1、X2、X3らに対し損害賠償の支払を求めるY会社の請求は<中略>理由がない。

<退職金の支払について>
 <X1らの行為が>違法とはいえないことは既に説示したとおりであり、これらが懲戒解雇を相当とする背任行為に該当するものとも認められない。<中略>
 <退職金不支給条項である>「他への就職活動をした者」についても、在職中の転職活動を一律に退職金不支給事由とすることは著しく退職の自由を制限するものであって、到底合理的な制約と解されないし、文言からしても「不当な手段をもって、会社の利益に反して」という限定がかかるものと解すべきである。しかるに、X2、X3らが、Y会社在職中にX1の勧誘に応じるなどして新会社への転職を決意したとの事実は認められるが、それ以上に右転職にあたって、格別不当と目すべき手段を弄するなどした事実は認められない。
 よって、X2、X3らに右不支給事由があるとは認められない。

 ところで、Y会社の退職金規程8条2項前段は、同業他社に転職するなどした社員の退職金減額支給を規定しており<中略>、区域、期間を限定し、同業他社への転職、同様の営業をした者等に支給すべき退職金及び年度末退職加給金を一般の自己都合退職の場合の2分の1とするのであるが、<中略>指導者の流出が顧客幼稚園との体育指導等の委託契約の維持等に影響する部分が少なくないと考えられること、右の程度の不利益を課したとしても労働者の転職の自由を著しく制限することになるとはいえないと考えられること、本来退職金が功労報償的性格をも併せ有することなどに鑑みるときは、右規程が合理性のない措置であり、無効であるとすることはできない。
 X2、X3らは、いずれもY会社退職後引き続き同じ地域で営業するA会社に就職し指導職として幼稚園での体育指導業務等に従事しているのであり、かかる行為が退職金規程8条2項前段に該当することは明らかである。そうすると、X2らの退職金及び年度末退職加給金は、一般の自己都合退職の場合の2分の1しか発生していないというべきである。



○ 兼業禁止義務に関する裁判例

橋元運輸事件(名古屋地裁昭和47年4月28日判決)


(事実の概要)
 Yは、運送を業とする株式会社であり、Xは、昭和23年10月Yに入社し、以来従業員として稼働してきた者である。
 ところが、昭和43年10月12日、Yは、Xらが、同年7月ごろから、Bが同一業種のA会社を設立するにあたって同社の取締役に就任し、Yの親会社に対しA社に対する発注作業の申請をし、Yの業績を低下させるような計画に参画しており、Xらのこのような行為は、就業規則第48条4項の「会社の承認を得ないで在籍のまま他に雇入れられ他に就職した者」及び同条7項の「その他各号に準ずる程度の不都合行為のあったもの」に該当するとして、Xらに対し懲戒解雇の意思表示をした。


(判決の要旨)
 以上に認定した事実によれば、Xらは、Yの取締役副社長であったBが、Yと同一業種の新会社設立にあたり、その依頼を受けて取締役に就任したことは明らかである。

 ところでYの就業規則第48条4号7号にY主張のとおりの条項の存することは当事者間に争いがない。
 元来就業規則において二重就職が禁止されている趣旨は、従業員が二重就職することによって、会社の企業秩序をみだし、又はみだすおそれが大であり、あるいは従業員の会社に対する労務提供が不能若しくは困難になることを防止するにあると解され、従って右規則にいう二重就職とは、右に述べたような実質を有するものを言い、会社の企業秩序に影響せず、会社に対する労務の提供に格別の支障を生ぜしめない程度のものは含まれないと解するのが相当である。
 これを本件についてみると、XらはA会社の取締役に就任後、取締役としてA会社の経営に直接関与することなく、Yの従業員として稼働していたというのであるから、XらのYに対する労務の提供に何ら支障を来さなかったことは明らかである。
 従ってXらの取締役就任が、Yに対する労務提供を妨げる事由とは認められない。またXらは前記のとおりA会社の経営に直接関与していなかったのであるから、一見すれば、Yの企業秩序に対し影響するところはないとも考えられる。
 しかし、BはYの取締役副社長に在任中に同一業種の別会社を設立することを企て、これを実行したのであり、XらはBの右企てを同人から告げられ、その依頼を受けてA会社の取締役に就任することにより右企てに参加したものであること、Bが別会社設立を理由に解任された後も、これを知りながら、いぜんとして取締役の地位にとどまり辞任手続等は一切しなかったこと、BはYから解任された後はA会社の経営に専念していたのであり、BとXらとの前記のような間柄からすれば、Xらは、BからA会社の経営につき意見を求められるなどして、A会社の経営に直接関与する事態が発生する可能性が大であると考えられること、XらはYの単なる平従業員ではなく、いわゆる管理職ないしこれに準ずる地位にあったのであるから、Yの経営上の秘密がXらによりBにもれる可能性もあることなどの諸点を考え併せると、XらがYの許諾なしに、A会社の取締役に就任することは、たとえ本件解雇当時XらがA会社の経営に直接関与していなかったとしても、なおYの企業秩序をみだし、又はみだすおそれが大であるというべきである。
 してみると、XらのA会社取締役就任の所為は被告就業規則第48条4号または7号に該当するというべきであるから、これを理由としてなされた本件解雇は有効である。



○ 兼業禁止義務に関する裁判例

国際タクシー事件(福岡地裁昭和59年1月20日判決)


(事実の概要)
 Yは、タクシー営業を目的とする株式会社であり、Xは、昭和52年4月1日、Y会社に入社し正社員として雇傭されていたものである。
 Xは、昭和55年7月から、父親の経営する新聞販売店において、新聞配達、集金等の業務を手伝っていたところ、昭和56年4月16日、Yは、Xに対し、Xの当該兼業が就業規則第35条第19号(会社の許可なく臨時又は常傭を問わず他に雇用されないこと)等に違反するとして、同年4月13日付文書でXを懲戒解雇するとの意思表示をした。


(判決の要旨)
 昭和55年7月から同年10月までの新聞販売業務について、Y会社における就業規則35条19項の会社の許可なく臨時又は常傭を問わず他に雇用されないことという兼職禁止規定の適用にあたっては、一般に、労働者は労働契約に定められた時間、場所において、契約に定められた労働を提供する義務があるが、時間外においては、特約なき限り他の者のために働いてはならない義務はないこと、Y会社の右就業規則においては、兼職禁止規定違反の制裁は、懲戒解雇という重い処分のみとされていることなどに照らすと、右兼職禁止規定に違反するのは、会社の企業秩序を乱し、会社に対する労務の提供に格別の支障を来たす程度のものであることを要すると解すべきである。
 右の解釈を前提に本件につきみるに、Xの新聞販売店業務は、X自身は新聞販売店経営を父親から引き継ぐ意思はなかったものの、配達、集金業務を安心して任せられる者が他にいないとしてXの父親から配達、集金の手伝いを強く懇請された経緯などから見て、単に一時的な手助けを超えて、相当期間継続して従事する前提のもとに従事していたものである。
 しかし一方、前記認定のように、新聞販売店の実質上の経営者はXの父親であり、Xが新聞販売業に従事するようになった動機は高齢の父親からの懇情でやむを得ず引き受けたものであることや、この時期Xが従事した時間は、乗務日においてはY会社における所定始業時刻である午前7時30分(就業規則第14条)より前の約2時間であり、月収も6万円と比較的低額であったことなどに照らすと、Xのこの時期の新聞販売業務は、いまだ、Y会社への労務の提供に格別支障を生ずるものではないものと認められるから、兼職禁止規定に違反するものと認めることはできない。

 同年11月から昭和56年3月までの新聞販売業務について、Xは、この時期には、通常の始業時間より早く、午前4時3分にタクシーを出庫させて新聞販売に従事していたものであるが、Y会社では、いわゆる36協定で3時間の時間外超過勤務を取り極めており、右午前4時30分からの出庫は、勤務時間として認められる趣旨であると解される。
 したがって、Xが、午前4時30分に出庫させて後新聞配達に従事していたのは、Y会社の勤務時間内であるといわねばならない。
 また、この時期の月収は15万円であり、この額は、XのY会社における運収と比較しても、勤務時間に比してかなりの高額であると認められる。
 さらに、この時期のXの新聞販売行為についてはYは許可を与えていないと認められる。
 右各事実を総合すれば、この時期のXの新聞販売業への従事にY会社の許可がなく、しかも企業秩序に影響を及ぼし、労務の提供に支障を来たす程度に達していると認められるから、兼職禁止規定に該当するものというべきである。

<解雇権の濫用について>
 以上の事実に、Xが新聞配達業務に従事することにより、Yの営業、業務管理等に具体的な悪影響を与えた旨の疎明のないことをあわせ考えるとXのこの時期の新聞販売業への従事が、兼職禁止規定に該当するとしても、これを理由に懲戒解雇まですることは、Xの蒙る不利益が著しく大きく、解雇権の濫用として許されないところというベきである。



○ 兼業禁止義務に関する裁判例

日通名古屋製鉄作業事件(名古屋地裁平成3年7月22日判決)


(事実の概要)
 Yは、A会社名古屋製鐡所構内における製品および原材料の運搬ならびに各種荷役作業を業とする株式会社であり、Xは、昭和42年に大型特殊自動車運転手としてYに入社し、構内輸送の業務に従事してきた者である。
 Xが昭和54年ころからBタクシー会社に運転手として勤務していたことが判明したため、昭和60年3月29日、Yは、Xに対し、就業規則所定の兼業禁止規定に違反したことを理由として、解雇する旨の意思表示をした。


(判決の要旨)
 Y会社の就業規則63条に「社命又は許可なく他に就職したとき」は懲戒解雇に処する旨の定めがあること<中略>は当事者間に争いがない。
 Xは、昭和54年ころからB会社のタクシー運転手として勤務し、当初の1年間は他人の乗務員証で乗務していたが、昭和55年春ころからは自らの乗務員証を掲げて乗務するようになった。その勤務は、Y会社の公休日の前後を利用して行われ、1か月に4、5回位の割合で乗務していた。その就労形態は、Y会社を4時に退社すると、その足でタクシー会社に赴き、午後5時から翌朝まで乗務し、午前8時半から同11時までの間に当日の売上を納入し、更に、公休が続くときは、次の日の朝方まで乗務し、納車した後はA社正門前に自家用自動車を停め、そこで仮眠してから当日の勤務に就くという体制をとっていた。<右事実がYに判明したのは、昭和60年2月である。>

 Xは、前記就業規則の定めは公序良俗に反し無効である旨主張する。
 たしかに、労働者は、勤務時間外においては、本来使用者の支配を離れ自由なはずであるが、勤務時間外の事柄であっても、それが勤務時間中の労務の提供に影響を及ぼすものである限りにおいて、一定限度の規制を受けることはやむをえないと考えられる。これをいわゆる兼業の禁止についてみるに、労働者が就業時間外において適度な休養をとることは誠実な労務の提供のための基礎的条件であり、また、兼業の内容によっては使用者の経営秩序を害することもありうるから、使用者として労働者の兼業につき関心を持つことは正当視されるべきであり、労働者の兼業を使用者の許可ないし承認にかからせることも一般的には許されると解される。したがって、前記就業規則の定めを当然に無効であるとするXの主張は、採用し難い。
 そこで、本件について具体的にみるに、Xの兼業がB会社との継続的な雇用契約によるものか、単なるアルバイト的なものであるのかは必ずしも判然としないが、その勤務時間は、場合によってはY会社の就業時間と重複するおそれもあり、時に深夜にも及ぶもので、たとえアルバイトであったとしても、余暇利用のそれとは異なり、Yへの誠実な労務の提供に支障を来す蓋然性は極めて高いといわなければならない。したがって、仮に前記就業規則の定めがいわゆるアルバイトを含めて一切の兼業を禁止するものとは解し得ないとしても、Xの本件兼業が前記就業規則の禁止する兼業に該当することは明らかであり、本件証拠中に現れたY会社の他の従業員にみられる兼業とは性質を異にするといわなければならない。
 Xはまた、YがXから仕事を奪い、かつ賃金を低劣な水準に押さえ込んできたのであるから、Xの兼業は緊急避難ないし正当防衛行為であると主張する。しかしながら、Xの右主張は、YがXに対して執った各処分ないし措置<自宅待機命令等>が不当労働行為であることを前提とするものであるところ、そのこと自体否定されるべきものであることは前記のとおりであり、XがY会社において受けた処遇の原因は主としてX自身にあるというべきであるから、Xの右主張は、採用しがたい。<中略>
 そうすると、その余の点について判断するまでもなく、Xの労働契約上の権利を有する地位の確認請求および右地位の存在を前提とする賃金請求は理由がない。



○ 安全配慮義務に関する裁判例

陸上自衛隊八戸車両整備工場事件
(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決)


(事実の概要)
 Aは、自衛隊員として陸上自衛隊八戸車両整備工場において車両整備業務に従事していたが、昭和40年7月13日、工場内において作業中、同僚Bの運転する大型自動車に轢かれ、即死した。
 そこで、Aの両親(X)は、国(Y)に対して損害賠償を請求した。


(判決の要旨)
 思うに、国と国家公務員(以下「公務員」という。)との間における主要な義務として、法は、公務員が職務に専念すべき義務<中略>並びに法令及び上司の命令に従うべき義務<中略>を負い、国がこれに対応して公務員に対し給与支払義務<中略>を負うことを定めているが、国の義務は右の給付義務にとどまらず、国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているものと解すべきである。
 もとより、右の安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によつて異なるべきものであり、自衛隊員の場合にあつては、更に当該勤務が通常の作業時、訓練時、防衛出動時(自衛隊法76条)、治安出動時(同法78条以下)又は災害派遣時(同法83条)のいずれにおけるものであるか等によつても異なりうべきものであるが、国が、不法行為規範のもとにおいて私人に対しその生命、健康等を保護すべき義務を負つているほかは、いかなる場合においても公務員に対し安全配慮義務を負うものではないと解することはできない。けだし、右のような安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであつて、国と公務員との間においても別異に解すべき論拠はなく、公務員が前記の義務を安んじて誠実に履行するためには、国が、公務員に対し安全配慮義務を負い、これを尽くすことが必要不可欠であり、また、国家公務員法93条ないし95条及びこれに基づく国家公務員災害補償法並びに防衛庁職員給与法27条等の災害補償制度も国が公務員に対し安全配慮義務を負うことを当然の前提とし、この義務が尽くされたとしてもなお発生すべき公務災害に対処するために設けられたものと解されるからである。

 ところが、原判決は、自衛隊員であつたAが特別権力関係に基づいてYのために服務していたものであるとの理由のみをもつて、XらのYに対する安全配慮義務違背に基づく損害賠償の請求を排斥しているが、右は法令の解釈適用を誤つたものというべきであり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。



○ 安全配慮義務に関する裁判例

川義事件(最高裁昭和59年4月10日第三小法廷判決)


(事実の概要)
 Aは、昭和53年3月、反物、毛皮、宝石の販売等を業とするYに入社し、Y社屋4階の独身寮に住み込んで就労していた者であり、Bは、昭和52年3月にYに入社したが、上司から勤務態度を注意されたため嫌気がさして昭和53年2月にYを退社し、同年8月においては無職となっていたものである。
 Bは、Yに勤務していた昭和52年9月ころからYの商品である反物類を盗み出しては換金していたが、Yを退社してからも夜間に宿直中のもとの同僚や同僚に紹介されて親しくなつたAら新入社員を訪ね、同人らと雑談、飲食したりしながら、その隙を見ては反物類を盗んでいた。
 そして、Bは、昭和53年8月13日(日曜日)午後9時ころ、Yの反物類を窃取しようと考えてYを訪れ、宿直中であったAを殺害して反物類を盗み逃走した。
 このため、Aの両親(X)は、Yに対し、損害賠償の請求をした。


(判決の要旨)
 雇傭契約は、労働者の労務提供と使用者の報酬支払をその基本内容とする双務有償契約であるが、通常の場合、労働者は、使用者の指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具等を用いて労務の提供を行うものであるから、使用者は、右の報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているものと解するのが相当である。
 もとより、使用者の右の安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によつて異なるべきものであることはいうまでもないが、これを本件の場合に即してみれば、Yは、A一人に対し昭和53年8月13日午前9時から24時間の宿直勤務を命じ、宿直勤務の場所を本件社屋内、就寝場所を同社屋一階商品陳列場と指示したのであるから、宿直勤務の場所である本件社屋内に、宿直勤務中に盗賊等が容易に侵入できないような物的設備を施し、かつ、万一盗賊が侵入した場合は盗賊から加えられるかも知れない危害を免れることができるような物的施設を設けるとともに、これら物的施設等を十分に整備することが困難であるときは、宿直員を増員するとか宿直員に対する安全教育を十分に行うなどし、もつて右物的施設等と相まつて労働者たるAの生命、身体等に危険が及ばないように配慮する義務があつたものと解すべきである。
 そこで、以上の見地に立つて本件をみるに、前記の事実関係からみれば、Yの本件社屋には、昼夜高価な商品が多数かつ開放的に陳列、保管されていて、休日又は夜間には盗賊が侵入するおそれがあつたのみならず、当時、Yでは現に商品の紛失事故や盗難が発生したり、不審な電話がしばしばかかつてきていたというのであり、しかも侵入した盗賊が宿直員に発見されたような場合には宿直員に危害を加えることも十分予見することができたにもかかわらず、Yでは、盗賊侵入防止のためののぞき窓、インターホン、防犯チェーン等の物的設備や侵入した盗賊から危害を免れるために役立つ防犯ベル等の物的設備を施さず、また、盗難等の危険を考慮して休日又は夜間の宿直員を新入社員一人としないで適宜増員するとか宿直員に対し十分な安全教育を施すなどの措置を講じていなかつたというのであるから、Yには、Aに対する前記の安全配慮義務の不履行があつたものといわなければならない。そして、前記の事実からすると、Yにおいて前記のような安全配慮義務を履行しておれば、本件のようなAの殺害という事故の発生を未然に防止しえたというべきであるから、右事故は、Yの右安全配慮義務の不履行によつて発生したものということができ、Yは、右事故によつて被害を被つた者に対しその損害を賠償すべき義務があるものといわざるをえない。
 してみれば、右と同趣旨の見解のもとに、本件においてYに安全配慮義務不履行に基づく損害賠償責任を肯定した原審の判断は、正当として是認することができ、原審の右判断に所論の違法はない。



○ 安全配慮義務に関する裁判例

三菱重工業神戸造船所事件(最高裁平成3年4月11日第一小法廷判決)


(事実の概要)
 Yは、造船業を営む株式会社であり、Xらは、Yの下請企業の労働者として約20年間ハンマー打ち作業等に従事していた者であるが、Xらは、作業に伴う騒音により聴力障害に罹患し、これについて元請会社であるYに安全配慮義務違反があるとして、Yに対し損害賠償の請求を行った。


(判決の要旨)
 Yの下請企業の労働者がYの神戸造船所で労務の提供をするに当たっては、いわゆる社外工として、Yの管理する設備、工具等を用い、事実上Yの指揮、監督を受けて稼働し、その作業内容もYの従業員であるいわゆる本工とほとんど同じであったというのであり、このような事実関係の下においては、Yは、下請企業の労働者との間に特別な社会的接触の関係に入ったもので、信義則上、右労働者に対して安全配慮義務を負うものであるとした原審の判断は、正当として是認することができる。


(原判決の要旨)
 雇用契約は、労働者の労務提供と使用者の報酬支払をその基本内容とする双務有償契約であるが、通常の場合、労働者は、使用者の指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具等を用いて労務の提供を行うものであるから、使用者は、右の報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命、身体、健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解するのが相当である。右のような安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものである。

 ところで、前記のとおり安全配慮義務が、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として信義則上、一般的に認められるべきものである点にかんがみると、下請企業(会社又は個人)と元請企業(会社又は個人)間の請負契約に基づき、下請企業の労働者(以下「下請労働者」という。)が、いわゆる社外工として、下請企業を通じて元請企業の指定した場所に配置され、元請企業の供給する設備、器具等を用いて又は元請企業の指示のもとに労務の提供を行う場合には、下請労働者と元請企業は、直接の雇用契約関係にはないが、元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業と下請労働者との雇用契約を媒介として間接的に成立した法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ったものと解することができ、これを実質的にみても、元請企業は作業場所・設備・器具等の支配管理又は作業上の指示を通して、物的環境、あるいは作業行動又は作業内容上から来る下請労働者に対する労働災害ないし職業病発生の危険を予見し、右発生の結果を回避することが可能であり、かつ、信義則上、当該危険を予見し、結果を回避すべきことが要請されてしかるべきであると考えられるから、元請企業は、下請労働者が当該労務を提供する過程において、前記安全配慮義務を負うに至るものと解するのが相当である。そして、この理は、元請企業と孫請企業の労働者との関係においても当てはまるものというべきである。

 騒音職場における事業者等のその被用者・下請工に対する安全配慮義務の内容としては、Yにおいて、騒音性難聴予防対策を、問題とされる時代における技術水準、医学的知見、経済的、社会的情勢に応じて可能な範囲で最善の手段方法をもって実施すべきであったものというべきである。<中略>
 <Yは、昭和44年ころ騒音の絶滅対策に取り組んだが、それ以前には騒音の減少を正面に掲げた取組が行われていないこと、遮音板の設置等について種々の困難や問題があることは否定し難いが、可能な措置とその効果について、具体的に検討されたことはないこと、騒音処理技術の向上や技術者の養成に努力が払われていないこと>の結果、Y神戸造船所構内には、工法改善後も許容基準を超えるような騒音が残存していた<中略>。以上の諸点に、YはY神戸造船所構内に強烈な騒音を発する作業場を数多く抱え、難聴患者が多数発生していたことを当然認識していたものと認められること、環境改善は騒音性難聴防止のために最も基本的効果的な対策であること、一方、防音用耳栓による防止対策は、必ずしも万全の効果を期待できるものでないことなどを考慮すれば、Yの行った環境改善面における前記措置・対策は、その要求される水準を考慮しても、環境改善事項を履行していたものとは認め難い。<中略>
 衛生面の対策としては、<Yは、耳栓の支給とその装着指導を主要なものとして実行してきたこと、騒音測定と聴力検査は戦後比較的早い時期から実施されたが、それらは耳栓の支給・装着指導を万全にすることを主たる目的としたこと、耳栓の支給・装着指導だけでは、騒音性難聴の防止対策として十分でないこと、従業員に対する3年に1度の聴力調査は作業場の騒音状況からして早期発見のためには間隔が開きすぎていること、難聴の進行がある者に対し配置転換や騒音曝露時間短縮の措置をとろうとしたことがないことを認定した上で、>さらに、社外工に対しては、耳栓の支給さえ十分でなく、Yは下請企業に対してその支給を指導したにとどまり、聴力検査も行わず、聴力低下の進んだ者に対し配置転換等の措置をとるよう下請企業に働きかけたこともないことは、前記認定事実に徴し明らかである。
 したがって、Yには、以上の点でも安全配慮義務の不履行がある



○ 安全配慮義務に関する判例

電通事件(最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決)


(事実の概要)
 Aは、平成2年4月1日、大手の広告代理店であるY会社に就職し、ラジオ局ラジオ推進部に配属され勤務していたが、平成3年8月27日、自宅において自殺した。
 Aの両親(X)は、Aは、Yから長時間労働を強いられたためにうつ病に陥り、その結果自殺に追い込まれたとして、Yに対し、安全配慮義務違反または不法行為による損害賠償を請求した。


(判決の要旨)
 労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。労働基準法は、労働時間に関する制限を定め、労働安全衛生法65条の3は、作業の内容等を特に限定することなく、同法所定の事業者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するように努めるべき旨を定めているが、それは、右のような危険が発生するのを防止することをも目的とするものと解される。これらのことからすれば、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。
 Yのラジオ局ラジオ推進部に配属された後にAが従事した業務の内容は、主に、関係者との連絡、打合せ等と、企画書や資料等の起案、作成とから成っていたが、所定労働時間内は連絡、打合せ等の業務で占められ、所定労働時間の経過後にしか起案等を開始することができず、そのために長時間にわたる残業を行うことが常況となっていた。起案等の業務の遂行に関しては、時間の配分につきAにある程度の裁量の余地がなかったわけではないとみられるが、上司であるBらがAに対して業務遂行につき期限を遵守すべきことを強調していたとうかがわれることなどに照らすと、Aは、業務を所定の期限までに完了させるべきものとする一般的、包括的な業務上の指揮又は命令の下に当該業務の遂行に当たっていたため、右のように継続的に長時間にわたる残業を行わざるを得ない状態になっていたものと解される。ところで、Yにおいては、かねて従業員が長時間にわたり残業を行う状況があることが問題とされており、また、従業員の申告に係る残業時間が必ずしも実情に沿うものではないことが認識されていたところ、Bらは、遅くとも平成3年3月ころには、Aのした残業時間の申告が実情より相当に少ないものであり、Aが業務遂行のために徹夜まですることもある状態にあることを認識しており、C<Aの上司>は、同年7月ころには、Aの健康状態が悪化していることに気付いていたのである。それにもかかわらず、B及びCは、同年3月ころに、Bの指摘を受けたCが、Aに対し、業務は所定の期限までに遂行すべきことを前提として、帰宅してきちんと睡眠を取り、それで業務が終わらないのであれば翌朝早く出勤して行うようになどと指導したのみで、Aの業務の量等を適切に調整するための措置を採ることはなく、かえって、同年7月以降は、Aの業務の負担は従前よりも増加することとなった。その結果、Aは、心身共に疲労困ぱいした状態になり、それが誘因となって、遅くとも同年8月上旬ころにはうつ病にり患し、同月27日、うつ病によるうつ状態が深まって、衝動的、突発的に自殺するに至ったというのである。
 原審は、右経過に加えて、うつ病の発症等に関する前記の知見を考慮し、Aの業務の遂行とそのうつ病り患による自殺との間には相当因果関係があるとした上、Aの上司であるB及びCには、Aが恒常的に著しく長時間にわたり業務に従事していること及びその健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担を軽減させるための措置を採らなかったことにつき過失があるとして、Yの民法715条に基づく損害賠償責任を肯定したものであって、その判断は正当として是認することができる。



○ 安全配慮義務に関する裁判例

セイシン企業事件(東京高裁平成13年3月29日判決)


(事実の概要)
 Y会社は、粉流体処理装置の製造等を行う会社であり、Xは、平成8年4月にYに入社した者であるが、Xは、同年11月12日午前5時ころ、Yの利根川工場内で造粒機による造粒加工作業に従事していたところ、造粒機に組み合わされて設置されたバルブに右腕を巻き込まれ、右前腕切断の傷害を負った。
 本件事故について、Xは、雇用主であるYに対し、雇用契約上の安全配慮義務違反又は民法717条の土地工作物責任を理由に損害賠償を求めた。


(判決の要旨)
 Xは平成8年4月に入社後、本社において会社の概要や社会人としての心得などの講習を受け、同月8日及び9日には利根川工場で工場内部の見学と設置されている機械についての説明を受けたこと、その後、同工場では同年9月7日と14日に安全講習を実施したが、Xはいずれのときも前日が夜勤であったことなどから受講しなかったことが認められる。そして、Xが本件造粒機の操作に従事する際には、15分ほどの間に操作方法について教えられただけで、造粒機や本件バルブの構造、作業上及び安全上の注意事項などについての説明、指導は何も受けていないことは前述したとおりである。
 Yは、作業上の注意事項を網羅した作業標準書を作成して、各作業グループに常備し、その抜粋を各従業員に配布したうえ、本件造粒機には、「回転中に手を入れるな」などと明記した警告シールを貼付していたと主張する。しかし、警告シールが貼付されたのは本件事故後であること、利根川工場では、作業効率を上げるために、従業員らが機械を停止させず、作動中のままその中に手を入れて作業することがよく見られたこと、Xは作業標準書がどこにあるのか知らず、他にも知らない従業員が存在したことが認められるのであって、作業標準書の内容が従業員に周知徹底されていたとは到底いえない。
 さらにYは、本件バルブには、布製シュータが取り付けられていて、手を入れてブレードまで伸ばせない構造になっていたとも主張するが、その事実が認められないことは前記<略>のとおりである。
 Yの利根川工場においては、日常の一般的な安全教育、安全管理の面でも、またXが本件造粒機の操作に従事するにあたっての個別的な安全指導、安全管理の面でも、いずれも十分でなかったといわざるを得ない。

 Xが造粒機の操作に従事するのは本件事故当日が最初であった。そのうえ、機械の構造や作業上及び安全上の注意事項などについての説明、指導は何も受けていなかったものである。したがって、Xの勤務時間の割り当てや一緒に勤務する他の従業員の組み合わせなどに配慮して、Xが適切な指導、監督を受けられる態勢を整える必要があったものといえる。
 ところが、Yは、Xに午前1時からの深夜勤務を割り当てて、初めての造粒機の操作に一人で従事させた。しかも一緒に深夜勤務に就いたのは、1年前に入社したBだけで、同人はまだ機械の構造などについて十分な知識もなく、しかも他の作業を割り当てられて、別の場所でそれに従事しているといった状態であった。他に経験の豊かな従業員は配置されておらず、そのためXが材料詰まりを解消できず、作業が一向に進まないことに焦りや苛立ちを感じても、適切なアドバイスを受けることができなかったものである
 この点でも、Yには、作業上の安全確保のための配慮を欠いた過失があると認められる。


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