[い-001]
飯野賢治(1971年生)
いいの・けんじ
 YMOやパックマン、ファミコンをはじめとするデジタル・ポップカルチャーの洗礼を受けて育ったニューウェーブ・ゲームクリエイターの旗手。代表作の『Dの食卓』は3DCGと映画的演出をミックスさせることに成功した先駆的な作品として、ゲームでは初めてマルチメディアグランプリを受賞。弱小プラットフォームであった3DO-REAL用に開発されながら、幅広いユーザーの人気と業界の注目を集め、その後セガサターン、プレイステーションに移植された。従来の「テレビゲーム=玩具=子供の遊び」という図式を超えてクリエイターの作家性を全面に打ち出した彼の作品は“脱ゲーム”というキーワードとともに、サブカルチャーとしてのゲームから“ポップカルチャーとしてのゲーム”への進化の道筋を提示した。  ヒール役のプロレスラーのような容姿と有言実行の姿勢からトラブルも多く、PS版で発売が予定されていた大型アドベンチャーゲーム『エネミー・ゼロ』を、ソニーの企業姿勢に堪えかねて土壇場でSS版に乗り換えるなど、これまでの業界のしきたりをぶち破る行動にも注目が集まる。97年に発売したSS版のアドベンチャーゲーム『風のリグレット』では、テレビゲームでありながら映像を使わず、音声のみでプレイするという新たな実験も試みている。作品だけでなく、彼の存在自体が、これまでのゲーム産業への強烈なアンチテーゼになっている。
WEB ENO PAGE
http://www.warp-jp.com/eno/eno.html


[い-002]
石井隆(1946年生)
いしい・たかし
 夢魔的世界でメロドラマから活劇へと越境する劇画家/映画監督。劇画家としては、『天使のはらわた』他数々の作品の優れた官能表現で多くのファンを生み、78年以降は脚本家として、『天使のはらわた・赤い教室』『ラブホテル』等を執筆。そして88年、『天使のはらわた・赤い眩暈』で監督デビューを果たす。ここまでの時点で、多くの作品で採用された石井隆的世界とは、名美という名に代表されるヒロイン達が体験する、悪夢のような世界への転落と、そこからの復活である。そこでは、堕ちていく女と、それに手を差しのべようとする男、即ち一対一=メロドラマの構図が、物語の基本設定を形作っている。だがそれは、ヒロインが二人の男に等しく愛される『死んでもいい』(92年)から変化を見せ始める。こうした方向性は、犯罪メロドラマ『ヌードの夜』、男だけのアクション『GONIN』へと研ぎ澄まされていき、96年、女の活劇『GONIN2』で頂点に達する。一対一であるはずの構図に、新たな勢力が乱入、複数の方向からの力の衝突と混乱を描く――即ち活劇の構図を、石井は獲得した。97年の『黒い天使』は、新たな女の活劇で、石井世界の新たな展開を予感させる。
WEB


[い-003]
石切神社参道
いしきりじんじゃさんどう
 東大阪市・生駒山麓にある石切神社は、“石切さん”の愛称で永く河内民族に愛されてきた「腫れ物の神様」(大阪弁で言う「デンボの神様」)。その人気は、境内に常に人が溢れ、お百度を踏む人で渋滞することからもうかがえる。また近鉄石切駅南口からなんなんと続く参道は、130軒以上の細々とした店やストリート占い師(霊感、手相観、筮竹、加持祈祷と品揃えも豊富)がしのぎを削っており、一種異様な雰囲気。占いの屋台村まである。場所がら若者の姿を見ることはまずないが、好事家の間では“大阪のガンダーラ”として注目を浴びる。
 ハズせないスポットが3つ。まず駅を降り右手に見えるドむらさき色の巨大ハスの葉が「石切夢観音堂」。“宗派を越えて若者向けの礼拝所を”をスローガンに10億円もの巨費を投じて造られたこの観音堂は、頂上に天女が舞い、狛犬の代わりに天馬が鎮座する。レーザー光線が飛び交う「光のショウ」は1日2回。その迫力はエレクトリカルパレードに比肩し得ると言えば言い過ぎか。言い過ぎだ。続いて「サカモトの赤マムシ」を世に広めた坂本昌胤が建立した「石切山大仏」。大きく書かれた「日本で3番目」というキャッチが何をもってしてのものか悩むこの大仏の周囲には、「東大阪市金参千萬円個人寄付」などなど偉業が大仏とほぼ同じ大きさの石碑に彫られ、この石碑は林立しており、一目で「坂本さんはエライ」ことがわかる。ちなみに赤マムシ店舗前には以前、蟯虫回虫がウジャウジャ内臓から飛び出しているロウ人形が多数展示された漢方博物館があった。
 さてトリは、参道を通る人誰しもの目を釘付けにし、子供はトラウマ必至の内臓丸出し人体解剖人形がディスプレイされ、壁には腹の突き出た子供が泣くなど地獄絵が描かれている漢方薬の「高木薬房」。店主の高木武雄翁は“辛いものは身体にいい”が持論で、すなわちタバコは健康にいいのだそうだ。高木翁は店の横に「耳ナリ神社」を開社しており、ご神体はナント高木さん自身!(ご神体の耳から水が出てくる)。この神社は「立ち小便防止」のためにつくったという。高木さんは山羊ヒゲを生やした独特の風貌で、人気テレビ番組「探偵!ナイトスクープ」から「地獄じじい」の称号が与えられた。
WEB 石切神社参道
http://www.bekkoame.or.jp/~masuda/curio/ikoma/sando/


[い-004]
石野卓球(1967年生)
いしの・たっきゅう
 90年代の日本のポップ・カルチャーにおいて、かなり重要な人物。電気グルーヴのプロデューサー兼リード・ヴォーカル、篠原ともえのプロデューサーとしても知られる。静岡生まれ。中学生の時にニューウェーブに大きな影響を受け、音楽活動を始める。高校生の時に結成した「人生」を経て、89年ピエール瀧らとエレクトロニック・プロジェクト、電気グルーヴをスタート。91年にはメジャー・デビューを果たし、97年までに電気グルーヴとして8枚のアルバムを発表している。一応、肩書を並べると、歌手/プロデューサー/作詞作曲家/DJ。95年にはソロ名義でもアルバムを発表、また、DJとしても熱心な活動を続け、ヨーロッパの大きなパーティーでもプレイしている。さらに96年から97年にかけて「MIX-UP」シリーズを企画し、DJによるミックスCDの普及に一役買った。最近では電気グルーヴの最新アルバム『A』からのシングル「シャングリラ」が50万枚の大ヒット。すでにカラオケボックスでもお馴染みの曲として定着している。
 このように、石野卓球はメジャーとアンダーグラウンドを往復できる切符を持った、世界的にも稀な存在だが、石野の表現の個性は彼の守備範囲の広さだけにあるわけではない。饒舌で特異な言葉のセンスやボキャブラリーの豊富さ、そして皮肉っぽくてときに破壊的なユーモアのセンスは、石野を数多くの優れた音楽家とは一線を画した位置に押し上げ、彼のメインのプロジェクトである電気グルーヴは、そのすべての意味においてあらゆるエスタブリッシュメントやヒエラルキーに組まれることなく存続している。ロマンティックな不良少年像やお決まりのラブ・ソングといった日本のポップ・カルチャーが、80年代のインディー・ブーム以降にたどった道のりや、ポップ・カルチャーの墓場のような芸能活動などから、石野はもっとも遠い場所にいるようなのだ。そして、石野が目を向ける方角は、いつの時も大衆の方だ。電気グルーヴは、これまで数多くの裸の王様をギャグの題材にしてきたが、それはリスナーと一緒に笑うためであり、またリスナーに向けて突き刺した皮肉でもある。
 ポップ・ミュージックには、例えばザ・KLFやマーク・E・スミスのように、その国に住んでないとそのアーティストの本当の面白さが理解できないアーティストがたまにいるが、石野卓球はまさにそういったタイプだろう。石野の音楽的な方法論はエレクトロニックだが、だからといってテクノ・ブームやクラブやダンス・カルチャーと一緒に語るわけにはいかない。そうしたマスメディアの常套句を嘲笑するかのように、石野はメディアのカテゴライズをからかい、ジャーナリスト諸氏へのサービスとしてのジョークも忘れずに、それからしばしば爪を立てた猫のような威嚇をもって、周囲を煙に巻くのである。
WEB TAKKYU ISHINO PROFILE
http://www.sme.co.jp/Music/Info/SonyTechno/artist/TQ-pro.html


[い-005]
依存症
いぞんしょう
 特定の物質や行為へ強迫的にのめり込むことによって、慢性の不安感や不全感、空虚感を解消しようとする行動パターンの総称。アルコールや薬物(麻薬、覚醒剤、睡眠薬、鎮痛剤)のみならず、ニコチンやカフェインへの耽溺、さらには過食症や拒食症も依存症の範疇と考えられている。またギャンブル依存、仕事中毒(ワーカホリック)、病的な浪費癖なども依存症とされ、ある種の女(男)漁りは「人間関係に対する依存症」であるといわれる。いわゆる「生きがい」といったものは、病的であったり反社会的であったりしないだけで、基本的には依存症と同一のスペクトル上にあろう。そのスペクトルにオタクやマニア、コレクターといった人々も位置するはずである。依存症は、荒涼とした人生に対する、居直りにも似た捨て身の適応行動と見ることができよう。その「捨て身」の部分が、ときには我々に共感を覚えさせたり、逆に眉をひそめさせたりするのである。
WEB 


[い-006]
樹なつみ(1960年生)
いつき・なつみ
 現在の少女マンガ界が誇る、当代きってのストーリーテラーの一人。迫力のある絵と壮大なストーリー展開で、その作品を読むためだけに雑誌を買わせる力がある。女とみまごう美貌の男性モデルを主人公とした『マルチェロ物語ストーリア』で人気の足掛かりを得、それに続く『朱鷺色トライアングルシリーズ』――遺伝性の超能力をもち、それゆえに血縁にしか魅かれないという一族の三人の従兄弟妹いとこどうしを主人公に据えた連作――の『パッションパレード』の後半あたりから、ぐいぐいとその実力を発揮し始め、最終戦争後の近未来に舞台をとり、スピルバーグばりのエンタテインメントの実力を見せた作品『OZ』で、その真価はゆるぎないものとなった。この作品に登場するサイバノイド、10・19テン・ナインテイーンの造形は、少女マンガ史に長く残ることになろう。現在『ララ』に、それぞれ古代の巫みこ・刀鍛冶の生まれ変わりである二人の少年が、全部で八振りの神剣を求め、その過程で、次々に寄り憑いてくる強大な“念”と闘っていくという作品『八雲立つ』を連載しており、この作品で97年度講談社漫画賞を受賞している。また、「もう少女マンガは甘くない」というキャッチコピーと共に97年9月に創刊された白泉社の雑誌『メロディ』で、しばらく中断していたSF巨篇『獣王星』の連載を再開。同誌の目玉になっている。
WEB UP TOWN
http://www1.mediagalaxy.co.jp/hakusensha/uptown_itsuki.html
WEB Itsuki Natsumi
http://www.iizuka.isc.kyutech.ac.jp/staff/kay/personal/book/comic/itsuki.html


[い-007]
遺伝子
いでんし
 生命情報の担い手。情報科学や「情報化社会」の発達とともに、生命の実体として理解されるようになった。遺伝子の化学的本体はDNA。すなわちアデニン、チミン、シトシンまたはグアニンという塩基が、デオキシリボースという糖に結びつき、それがリン酸基を介して長鎖状につながった構造体である。遺伝子治療、遺伝子組替えによる種の改良、クローンなどの技術進歩が話題になり、またヒトのDNA配列をすべて解読しようという「ヒトゲノム計画」が91年から始まるなど、遺伝子研究は今もっともホットな科学分野の一つとなっている。今日では一般社会でも、自らの説明しにくい心性や行動の原因を遺伝子に仮託する発想が定着し、趣味や性癖をさして「DNAにすりこまれている」などというような表現が日常化した。それには、生物を「遺伝子の乗り物」ととらえ、生物行動を「遺伝子の生き残り戦略」として理解する、リチャード・ドーキンスらの社会生物学の影響が大きい。
 その理論をベースに、より通俗に男女の行動や文化などを読み解いた竹内久美子の著作がベストセラーとなって、こうした発想は急激に一般化した。竹内の本がオジサマたちの人気になったのは、一種の陰謀史観だからである。「男が浮気をするのは遺伝子のたくらみ」と言えば、わかりやすく、遺伝子という意識の「外部」に原因を求められる。その意味では、遺伝子とは「内なる神」である。我々の行動は、科学的に記述可能な「内なる神」の意志にコントロールされていたのだという「主体」の転倒は、己れの内なる混沌を外部の法則(記述)へと投げ込む快感をもたらす。すなわち、科学信仰に他ならない。「科学」が「方法」から「真理」へと増長し勢力拡大するための、遺伝子はもっとも優秀な尖兵であった。人間を、「外」の普遍性に託して理解する「科学」、その普遍性の論理で人間を加工しようとする「医学」は、今後ますます遺伝子を絶対神化し、その司祭たろうとするだろう。
WEB Tokyo Medical College Genetics Home Page
http://www.tokyo-med.ac.jp/genet/index-j.htm
WEB 遺伝子組み換え食品シンポジウムのご案内
http://www2q.meshnet.or.jp/~GEN2JZCA/index.html


[い-008]
頭文字イニシャルD
いにしゃるでぃー
 『ヤングマガジン』連載の人気漫画。ミリオン・セラーを記録している。作者のしげの秀一は80年代に『バリバリ伝説』という漫画で多くのバイク乗りを熱狂させた。『頭文字D』は『バリバリ〜』の四輪版ともいえる。主人公はトウフ屋の息子であり、かつて走り屋だった父親の教育により、最初は興味のなかったストリート・バトルでその天分の才を開花させていく、という『巨人の星』の一風変わったスポ根バージョン。
 本作が70年代にスーパーカー・ブームを巻き起こした池沢さとしの『サーキットの狼』と決定的に違うのは、徹底してリアリスティックで、ツウ好み(エンスージアスティックと呼びたい)という点だ。登場人物たちは窓を閉めた時速100キロ以上の空間で会話したりはしないし、後部座席に乗っている人間は車酔いもする。その舞台は実在する群馬や長野の峠であり、キャラには、いかにも地方小都市に実在していそうな人間像が設定される。また、作中の車も、望めば入手可能な国産車ばかりであるため、ある種の説得力をもつ。主人公が駆るAE86レビン(トヨタ)はすでに絶版車ではあるが、いまだに根強いファンを多くもち、それがスカイラインGT-R(日産)などの最新・最強モデルをダウン・ヒル(峠の下り)バトルでぶっちぎる、というのが大筋。無茶な展開ではあるが、峠出身のF1レーサーも実在することから、「もしや」と思わせるところがミソ。
 F1界にまでその大風呂敷を広げ続けた『サーキットの狼』が非日常空間で魅せるドラマであるのなら、『頭文字D」は実際の走り屋たちにはけ口を与えることのできるリアリスティックな非日常である。そして、そこで描かれた風俗こそ、ヒップホップやテクノと無縁なスピードに賭けたユース・カルチャーのオルタ・エッジなのだ。
WEB Welcome to Young Magazine World
http://www.yanmaga.kodansha.co.jp/


[い-009]
犬木加奈子
いぬき・かなこ
 かつての少女たちが楳図かずおや古賀新一を読んで育ったように、今の少女たちは犬木加奈子を読んで育つ。ホラー漫画界でもっとも有名な少女漫画家。独特な絵柄で、大きく眼窩から飛び出したビー玉のような目玉が、不気味な恐怖感を盛り上げる。80年代半ば、『ハロウィン』『ホラーハウス』『サスペリア』などのホラー系少女マンガ誌が相次いで創刊されたが、犬木加奈子はたちまちのうちに、そうした雑誌になくてはならない作家になってしまった。だが彼女が単なる恐怖作家を脱皮して、抜群に突き抜けた面白さを見せつけたのが、『月刊フレンド』とその増刊『サスペンス&ホラー』(講談社)に連載していた『不思議のたたりちゃん』である。魔界の力をもつ正義のいじめられっ子・神かみ野の多た々た里り。暗くて不気味な風貌の彼女は、何かというとクラスメートからひどいイジメにあうが、じつはけなげで心やさしい彼女が、人の心の醜さに正義の怒りに燃えた時、「たたり〜」の嵐が吹き荒れる。するとたとえば言葉の針で生徒をいじめる家庭科教師は、何か一言いうたびに自分の針で内側から突き刺され、「バイキン、バイキン」と人をいじめる女の子は、身体の中のよいバイキンにまで離反されて自分がバイキンになってしまう。そしてタタリちゃんはこう呟く「家庭科の時間、よく刺さる新しい針刺しを作った――と、日記には書いておこう」。怖くて楽しい、アニメになったらブレイクするに違いない傑作である。
WEB 


[い-010]
井上三太(1968年生)
いのうえ・さんた
 89年『まぁだぁ』で小学館『ヤングサンデー』新人賞を受賞。代表作に『トーキョー・トライブ』(宝島社、のち美術出版社より『TOKYO TRIBE』として改題刊行)、『隣人13号』(スコラ)、『モンモン』(白夜書房)など。……といったところが公式プロフィール。『隣人13号』は単行本が2巻まで出た時点で連載誌『コミック・スコラ』が休刊となり、インターネット上で連載が続けられた。そのために「インターネットにおけるマンガの第一人者」と見られることも多い。
 都市の若者を主人公とした作品が多く、あぶない人間/人間のあぶなさが執拗に描かれる。無軌道な、キレる一歩手前の人間。キレてしまったあぶなさ。井上が巧みなのは、そのままむやみに登場人物(や物語)を暴走させるのではなく、自分がキレていたことに気がついてしまった時のあぶなさまでを描き込んでいる点だ。登場人物は手足が長く(現代的だ)、魚眼レンズで歪めたようなパース、黒白の感覚に優れたトーンワークも、作品内の不安感を高めるのに充分機能している(背景にもアシスタントを用いないという)。
 96年刊の『井上三太』(イースト・プレス)では、1冊で「三太ワールド」を味わわせるべく17の短編を再構成、「デビュー作・エロ・ヤンキー・ショートショート・キッズ」の五つのパビリオンに分けて収録し、優れた「編集癖」を見せた。作品世界のみならず、発表媒体・発表形態にも意識が高い作家と言える。井上自身はインタビューに答えて、「ちゃんと連載中に単行本が出続けて、10巻くらいの作品になるという、いわゆる“マンガの仕事をした”という感じのことを、今度こそしたい」「隔週の連載が理想ですね」(『このマンガがえらい!』宝島社、97年)と語っている。新しさに満ちた作家であることは間違いないが、太田出版の『Quick Japan』に連載している『BORN 2 DIE』の話の停滞ぶりを見ると、彼の特長を生かせる雑誌は今のところ存在しないのではなかろうか。作品には他に『ぶんぷくちゃがま大魔王』(同文書院)、『魂列車』(洋泉社)があり、単行本は全て違った出版社から発売となっている。いとこに松本大洋がいる。
WEB Santastic! Land
http://www.bekkoame.or.jp/~santa-i/index.html


[い-011]
違法コピーソフト
いほうこぴーそふと
 マイクロソフトやアップル、アドビ、ノベルなどの加盟によって設立されたアメリカの「ビジネスソフトウエア保護連盟」(略称BSA)によると、全世界で使用されているソフトウエアの約半数が違法にコピーされたものだという。コンピュータ・ソフトウェアはその性質上、完全なコピーを簡単に作ることができる。これはソフトウエアを開発・販売している会社にとって見れば死活問題である。現在ソフトウェア会社はコピー防止のため、シリアルナンバーの入力など、様々なプロテクトを施しているが、破られないプロテクトはない。また、インターネットの中には、プロテクトを外したソフトウェアを「WeReZ(ウエアーズ)」と呼んで、誰でも自由にダウンロードできるように登録しているサイトさえある。企業や学校などでの悪質なコピーソフトの使用には、BSAも懸賞金を出して通報者を募り、訴訟を起こしているが、それでもコピーソフト自体がなくなることはないだろう。
 コピーの問題は最終的に個人の倫理感にまでかかわってきてしまうため、解決の糸口が見つけにくいが、ソフトウエアは物質的な商品とは違うとして、流通や著作権の上で発想の転換をしている企業や団体も現れている。例えばネットスケープ社は自社製品のほとんどを正式発売前からネットワーク上で公開し、パブリック・ベータと呼ばれる不具合の洗い出しを行っている。完成した商品も同社のサイトからダウンロードすることができ、最終的にパッケージで発売される商品との違いはサポートとマニュアルの有無くらいである。しかし、きちんとしたサポートやマニュアルを望む人や会社も多くあるわけで、有料である同社のパッケージ製品はベストセラーとなった。
 この他にも、実際に使ってみて、もし気に入ったら代金を払ってくれというシェアウェアというビジネスがある。これもソフトウェアは自由にコピーされるという前提に成り立っている。ウィンドウズの人気ソフトである「秀Term」や「秀丸エディタ」を公開した作者の元には、数年の間に2万人以上の利用者から総額で1億円を軽く超える使用代金が払い込まれてきた。日本人はそこまで律儀だったのかと驚かされる話だが、これを見ても、プロテクトを強化し、違法コピーは止めましょうと説いてまわるよりも、もっといい解決法をソフトウェア業界自身が見つけだす必要がありそうだ。
WEB 


[い-012]
イメージ・キャラクター
image character
 商品イメージを高めるためにメーカー側が契約する人物。とくにスポーツメーカーにとっては契約選手が活躍する度合いによって、その広告効果が大きく変化するのは言うまでもない。なかでもマイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズ、野茂英雄などをCMに起用し、ここ数年で爆発的人気を得たナイキが有名である。逆にプロスポーツ選手にとっては、ナイキと契約することは、スーパースターへのパスポートを手にすることであるといっても過言ではないだろう。
 84年ナイキは、マイケル・ジョーダンと年間50万ドルで契約した。このときジョーダンは有望な選手であったが、ここまでのスーパースターになるとは誰も予想していなかった。この時米国の経済誌『フォーチュン』は「ナイキ始まって以来の汚点」と書いたが、結果的にはナイキの先見の明を証明したことになる。ちなみにジョーダンは、ナイキのサポートを受けて、97年にマイケル・ジョーダン社設立を発表。ジョーダンモデルのシューズやウエアは、ナイキのエアージョーダン・シリーズからブランド・ジョーダンとして生まれ変わり、発売されることになった。
 またタイガー・ウッズは、彼自身のほうからナイキとの契約を打診してきた。その時の契約金は、7年間で4000万ドルという世界中を驚愕させる額だった。このため経営支出が多過ぎるとして、証券会社がナイキの株評価を下げたほどである。だがタイガーが97年のマスターズで驚異的な記録で優勝したのをはじめ、数々の快挙をなし遂げたことを考えれば、すでにナイキは元を取ったと言えるだろう。ちなみに彼の第1弾CM「ハロー、ワールド」は、白人中心のスポーツであったゴルフに対するタイガーからのメッセージであり、大きな反響を生んだ。野茂にしても96年にノーヒットノーランを達成するなど3年連続で13勝以上を記録し、メジャーリーグを代表する選手になるとは、彼がナイキと契約したとき誰も想像しなかっただろう。
 さて、97年日本のプロ野球選手が初めてナイキのCMに起用された。それが巨人の清原だったが、清原がCM出演後に極度の不振になったため、巨人ファンからナイキにクレームが殺到することになった。そして第2弾が巨人の桑田……。ナイキの先見の明も思わぬところで汚点を残すことになる?
WEB 


[い-013]
伊良部秀輝(1969年生)
いらぶ・ひでき
 得意技の唾吐きの他、数々の愚行で世界一のヒールを目指すニューヨーク・ヤンキースの日本人投手。沖縄県宮古島出身。87年尽誠学園からドラフト1位でロッテへ入団。94年に最多勝、最多奪三振王、95年には最優秀防御率、最奪三振王を獲得。時速158キロという日本プロ野球界の最速球記録も持つ。96年シーズン途中からメジャーリーグ移籍を熱望し、数々のトラブルを経て97年ニューヨーク・ヤンキースに鳴物入りで入団。契約金を含む年俸は4年間で1280万ドルと言われている。  同年7月10日、タイガース戦に先発として初登板し、6回2/3を2点で抑える好投を見せ、日本人選手としては初の初登板初勝利の快挙をなし遂げた。それまで伊良部の行動に対して常に批判的な報道をしていた日本のスポーツ新聞も掌を返し絶賛し、号外まで出した社もあるほどだった。だが7月20日、3度目の登板となるブリューワーズ戦からついに伊良部は本性を現し、7回途中6失点で降板の際、敵地ファンのブーイングに対し観客に向けて唾を吐いた。この光景は全米に生中継され物議をかもした。さらにこの日の試合後の記者会見では、唾吐きに対する質問に悪態を付き、記者会見終了時も唾を吐いて立ち去った。この日から全米のマスコミを敵に回し、ヒールとしての伊良部が誕生したのである。歩いてベースカバーに行くふてぶてしい態度に、プロレスのnWoが伊良部獲得を狙っているという噂もある。
 現在メージャーリーグに在籍している日本人選手は伊良部を含め4人。そのなかで彼の球威はナンバー1であり、メジャーのトップクラスに匹敵するほどの潜在能力を持っていることは事実である。問題は精神力のみ。もし伊良部がエンゼルスの長谷川利のような精神力と性格を持ち合わせたら、野茂を超える存在になるだろう。でもそれを望むのは無理……か?
WEB 


[い-014]
イリシット・ツボイ
いりしっと・つぼい
 ヒップ・ホップという表現が本来持っている柔軟性と許容性を、生まれながらに兼ね備えた、もっとも注目すべき若手エンジニア兼DJ。89年にラッパーのA.K.I.と「A.K.I.プロダクションズ」を結成。93年のアルバム『ジャパニーズ・サイコ』まで活動を続けるが、A.K.I.の難聴の問題が深刻になり活動を休止。最近になってツボイは脱退したようだ。
 A.K.I.プロダクションズの活動休止の間もエンジニアとしての活動は活発で、彼を右腕とするECD等ヒップ・ホップ・ミュージシャンはもとより、かせきさいだあ、ホフ・ディラン、ヒックスヴィルといった、ヒップ・ホップ世代のシンガーソングライター〜フォーキー系のアーティスト達がこぞって彼を、エンジニア、プログラマー、DJ、リミキサーとして起用するのも、ロックや歌謡曲なども守備範囲とし、いわゆる大ネタにこだわらない彼のヒップホップ離れしたセンスによるところが大きいだろう。とくに元ジャズアデリックの永山学がコンパイルしたオムニバス『リッスン・アップ』に収録された彼のソロ名義の作品は、普通、誰もが敬遠するようなモダンジャズの有名曲などを使用して作ったアブストラクトなブレイクビーツ作品。超高速で軋むように疾走するグルーヴはたまらない。またそんな彼がハウスエンジニアを務める都立大学のリンキー・ディンク・スタジオは、LBネイション、さんぴん系に関わらず、日本のヒップ・ホップ・シーンの最重要ポイントでもある。
WEB 


[い-015]
岩井俊二(1963年生)
いわい・しゅんじ
 邦画若手でもっとも注目される映像作家。大学在学中「ぴあ・フィルム・フェスティバル」で注目され、プロモーション・ビデオ、TVドラマの演出を手掛ける。94年『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』で、TV作品として初めて日本映画監督協会新人賞受賞。手持ちカメラや目まぐるしいカットつなぎなど、後の岩井作品の特徴がすでに登場している。以後、『FRIED DRAGON FISH』『Undo』『Love Letter』『Picnic』がいずれも大ヒット。96年には大作『スワロウテイル』を発表、熱狂的な岩井フリークを生み出すに至る。
 もともとフジテレビの映画プロデューサーで『私をスキーに連れていって』『木村家の人々』等の河合真也との出会いから始まった、岩井俊二の<テレビ枠を超えた試みが生み出した作品群は、いずれもハリウッド的なメジャーの市場を開拓するという目標を持っている。無国籍なカラーを感じずにいられない岩井作品だが、その実は日本的カラーに彩られた作品ばかりなのだ。『打ち上げ花火〜』については言うまでもなく、『Love Letter』は純日本的ラブ・ファンタジーだったと言えるし、『Undo』『FRIED DRAGON FISH』『Picnic』など一見無国籍に見える抽象空間で展開するこれらも、その“無国籍的”であろうとする舞台装置のために日本的だと言える。そして『Picnic』と、なぜか『ブレードランナー』『マッドマックス』などの近未来映画に比較された『スワロウテイル』は、アゲハという孤児の少女が娼婦に拾われて大人になってゆくというストーリーからも、むしろ過去の日本映画が作り出してきたイメージにつらなっている。大塚寧々が演じるちょっと狂った女が傘をさして歩くイメージも、神代辰巳をはじめとして多くの日本映画が描いてきたイメージだ。彼ら住むのバラックは黒澤明が『どですかでん』で描いた奇妙な人々が集まる残酷な現実と、ファンタジーの混じった場所の延長とも言える。岩井俊二作品は無国籍な空間の中に、そういった原体験的とも言えるイメージを次々とミックスさせることで、日本映画に対して先入観を持つ若い観客にも、日本映画本流の映像を受け入れさせることに成功したといえる。そんな岩井作品がインターナショナルなマーケットでどう健闘するのか、見守っていきたいものである。
WEB 


[い-016]
岩松了(1952年生)
いわまつ・りょう
 役者を通して血肉を得るリアルなセリフを職人的に綴る作・演出家。劇作家・岩松了の経歴をざっとさらうと、『上海バンスキング』で有名なオンシアター自由劇場の役者を経て、柄本明らと東京乾電池を旗揚げ。その後脚本執筆を手掛け、座付き作者として、ご町内やご家庭を舞台にした不条理劇で、お笑いにカテゴライズされていた同劇団を通受けする集団に変えた立役者の一人である。その後、フリーとなり、年に一度の竹中直人の舞台をはじめ、新劇から若手へと作品を多数書き下ろすというもっとも多産な作家の一人である。たとえば“日常の一場面を切り取ったよう”と評される芝居でも、セリフのどこかに状況説明的な内容が盛り込まれているものだが(それって小学校の同級生だった由美子ちゃん?的な)、役者としてこの世界に入った岩松の場合、そういう説明が見事に省かれ、役者のさりげない仕草や一言などに人間関係や状況を凝縮してしまう書き方が本能的に備わっている。その意味で“静かな演劇”というよりは、複雑な情念の襞を描く作家であり、竹中直人をはじめとした役者たちをも魅了するのである。
WEB Company data
http://blue.sak.iis.u-tokyo.ac.jp/~nishi/play/gekidan/gekidan.html


[い-017]
インターネット
internet
 現代日本という環境にいて、インターネットのなんたるかについて未だに説明がいるようなら、あなたはたぶん読む本をまちがえている。こうスパッと切り捨ててしまえるなら、話は非常に楽だろう。確かに一時より、状況はかなりよくなった。これを書いている97年9月、そろそろ「インターネットしよう」とか「インターネットください」とかいう目を覆いたくなるような物言いは、アホバカださCM(トートロジーだな)からも、アホバカださおやじ雑誌(これもトートロジーだな)、多少のセンスはあるが頭は必ずしもよくない女性誌からも淘汰されてきたし、一時のようなインターネットで国家がなくなるとか、スーパー直接民主主義が実現するとか、電子マネーで世界経済が崩壊するとか、なんとか革命とか、そういう愚昧なうちあげ花火もだいぶ鎮まってきた。そういう花火をあげていたタコ(大前研一とかね)はちゃんと覚えておいて、機会を見て野良犬に喰わせてやれば気分がよかろう。が、それはさておき、花火が鎮まったとてインターネットがまともに理解されているわけではないのも事実ではある。

 そこでまず基本から。いまさらではあるが、インターネットは要するに、TCP/IPというデータのやりとり方式を大体の(あくまで大体の)基本としたコンピュータネットワークと考えれば大筋は(あくまで大筋は)正しい。もともと60年代に、アメリカ全土のコンピュータ資源を共有し、有効活用(当時のコンピュータは死ぬほど高価だったので、一瞬たりとも遊ばせてはおけなかった。いまでも当時を知る人々は、オフィスなどで無数のペンティアム・プロのマシンがひたすらスクリーンセーバを走らせるためだけに使われているのを見てふと義憤にかられたりしてしまうという)するための研究プロジェクト。それまでも、大学単位などで一つのホストコンピュータを中心とした構内のネットワークなどは存在していた。しかし、それのネットワーク同士をさらに結ぶことで(ネットとネットをつなぐからインターネットなのだ)、お互いの空き時間を有効に使えるようになる。同時に、アメリカ軍が核攻撃を受けた際にも全機能が完全に停止しなくてすむようなシステム、という軍事的な思惑もからめて開発が進められ、部分的に壊れても全体としての機能に支障をきたさないようなネットワークとして構築されている。
 多くのパソコン通信などのような、中央にすべてを仕切るホストコンピュータがあって、それに他のコンピュータがピラミッド型にぶら下がる形ではない。各地のコンピュータが勝手に独立し、必要な時だけ情報をやりとりする分散型の構成、全体をささえる「完全じゃなくても動けば勝ち」のいい加減さが、逆にシステムとしてのゆとりと強靭さを生みだしていた。そこに着目した優秀なテクノクラートであるクリントン政権のゴア副大統領が、ある日MITでこれに触れて夢中になり(時間になっても端末にかじりついて離れようとしないので、あせった側近がシステム管理者に「あのマシンを落としてくれ」と懇願したというウソのようなホントの話がある)、「情報スーパーハイウェイ」構想のモデルとして指摘したことで、大きな注目を集める。  それまでのインターネットの利用はおおまかに、リモート・ログイン、ファイル転送、電子メール、ニューズグループが基本だった。リモート・ログインとは、まあ自分の家から大学や会社のコンピュータをアクセスして使うような話。ファイル転送は、プログラムやデータをどこかに送りつけたり、もらってきたりする機能であり、その代表的な方式がftpである。
 電子メールは、ネットワーク上の手紙。いまでこそインターネット上のアプリケーションとして不可欠なものとなっているが、もともとはこんな利用は考えられていなかった。システムを構築の最中にエンジニアたちがメッセージのやりとりをするため、ファイル転送の仕組みを利用していたのが発端で、それが便利だというので一挙に広まった。そしてもっと歴史が浅いのがニュースグループ(ネットニュース)。これは、同じ関心領域ごとにつくられた情報交換のための電子掲示板である。質問や意見を書き込むと、世界中の同好の士がそれを見て、返事や反論や反応やケチをつけてくれる。たとえばrec. travel. asiaは、レクリエーション話の中の、旅行関係の話の中の、アジア関連の話題を扱うニュースグループである。
 本書のタイトルとなっているalt. cultureは、このニュースグループの命名形式のまね。ほかのところはだいたいテーマ別にわかるよういろいろ区切られているのだが、alt分野には何の制限もない。だれが、どんなグループを作ってもかまわない。単に名前がおもしろいとか、全グループの一覧を出した時に文字で絵が描けるというだけで作られちゃうグループも山ほどあり、百鬼夜行の世界となっている。自分の好きなテーマでグループをつくって、責任者も何もなく好き者が好きに言い合うという、自堕落といえば自堕落、無秩序といえば無秩序、自由といえば自由だがそのはきちがえとも帯域幅の無駄使いともいえる変な場となっている。エロもグロも、法律的には問題の多いコピーソフト(違法コピーソフト)の流通なども大手をふってまかり通る。このため、多くのサーバはalt系のグループは配信しない。  またここで見られるフレームウォー(フレーミング)と呼ばれる大罵倒大会が同じネタで何度も(平均してほぼ7カ月周期で)繰り返されることが判明し、「浜の真砂も……」という古人の知恵の正しさが示されると同時に、よりよいコミュニケーションが人間の相互理解を生み、人類が進歩するというお題目の空疎さを証明するのに大いに役立っている。
 ちなみにパソコン通信の世界はまったく逆である。これは日本の大手パソコン通信業者ニフティサーブ自らはっきり述べている。「フォーラムがあってシスオペがそれを受け持つのではない、シスオペがまずあって、そいつがニフティとの契約に基づいてフォーラムを仕切る!」。一見すると同じネットワークでも、こちらは完全な管理社会モデルである。
 さて、このインターネットは、使えれば死ぬほどありがたいが、市井の人々には預かり知らぬ世界。使うにはコンピュータの知識も要求され、敷居も高い。メールやニュース程度ならパソコン通信のほうがずっと簡単。だいたい、あることは知っていても、大学のお目こぼしか自分の会社が接続でもしていない限り、一般人がインターネットの世界をかいま見る機会はなかった。そこに登場したのが、www(ワールドワイド・ウェッブ)だった。
 これはスイスのCERN(欧州合同原子核研究機関)で研究情報共有の必要性から開発されたものである。この研究所は半径数キロの粒子加速器の上に点在しており、同じ研究所内でも紙ベースでは連絡困難な状態となっていた。同時に原子核研究機関であるため、研究論文中で霧箱や原子構造などの画像データを扱えることが不可欠であった。さらに他文書の参照や引用も多い。これを容易に行うために生まれたのがwwwである。
 これは具体的には、画像やファイルや他のテキストなどの所在を示すURL、それを文書の中に埋め込めるHTML言語(およびそれを理解するhttpサーバ)で構成される、分散型の文書システムである。本来、文書の各部分に「ここはタイトル」「ここは章題」といったタグをつけることで、何よりも「文書の構造を明示する」ことを重視したもので、ワープロなどの「文書の体裁を整える」方式とは一線を画する。ただし現在は、純潔主義者の渋面を後目に、見出し用タグを修飾用に使うようなパンクな利用法が蔓延している。
 そして決めは何といっても、www用に開発されたMosaicであった。テキスト中に画像をいっしょに表示させ、さらにクリックするだけでリンク先に移動できるというインターフェース。機能的にはこれだけの、コロンブスの卵のようなソフトが、猛然とインターネットをかけめぐった。チャンネルをあわせた多数の人間に情報を送りつけるテレビのように、wwwもMosaicの登場でリンクをクリックした人に無理矢理データを送りつける、受動的なマスメディアとして開花したのである。これはパソコン通信にはなかった。しかも一般人が受動的にインターネットを使うことを可能にする。
 そして同時に、一般の人がインターネットに電話回線経由でアクセスする道が開かれた。それまではインターネットに個人が月100万円以下でつなぐ手段は、ほぼ皆無。それが93年から94年にかけて、状況が一変した。  こうしてインターネットが爆発的なブームとなったのはご承知の通り。情報スーパーハイウェイに伴うメディアのインターネット攻勢、wwwとMosaicによるインターネットの受動的マスメディア化、プロバイダによるアクセスの敷居低下−−これらがアメリカではほぼ同時に起こった。タイミングがよすぎて単なる偶然とは信じられない。同時期に、インターネットの幹線の運営が、民営化されている。一部には産業的な要請による操作があったと考えるべきだろう。もちろんこれは、オルタナ文化の愛好する陰謀史観にはちがいないのだけれど。
 そしてある日われわれの目の前で、忽然と現れたネットスケープが、ほとんど一夜にしてMosaicを駆逐し、wwwブラウザの王座を奪取する。

 インターネットについては、数々のおとぎ話が繰り広げられてきた。『WIRED』のアメリカ版は、インターネットでアメリカ経済は好況不況のサイクルから自由になり、永遠に夢のような経済成長を続けられるのだ、という世迷いごとを真剣に論じている(ちなみに『WIRED日本版』はそういう低級な議論には与していない。喜ばしいことであるけれど、しかし両誌の関係がいささか気になるところではある)。不動産業界(最後までバーチャルになることのない世界)の人間は、もちろんそんなのがでたらめであることを知っているのに。また、インターネットによって電子マネーが流通するようになり、それが国の通貨にとってかわり、新経済圏を形成するといった変な意見もあった(ある)。が、未だに電子マネーの具体的メリットは提出されていない。今の電子マネーは、とくに買い物客にとっては買う物がなくてしかも面倒なだけ。将来的にも、小銭の支払いが楽になる以上のメリットがあるかどうかはよくわからない。直接投票が実現されて直接民主主義の理想社会が、という議論も、「犬であってもわからない」とされるネット上では投票そのものが無意味なため、空疎なものとなっている。
 にもかかわらず、インターネットはわれわれの社会にとって衝撃的な存在であったし、これからもそうであり続ける。まずこれは、本書の項目の中でただ一つ、なくなったら現実的な意味でみんなが困るものである。小室哲哉がなくなったら、一時的に路頭に迷う人たちはいるにしても(華原朋美とか。いい気味だ)、多くの人はかえってせいせいするだろう。インターネットは本書唯一のインフラストラクチャーであり、ほとんど唯一、経済という下部構造にまで影響するものである。
 そしてインターネットは、それを離れて文化的な意義を持つ。まずそれが、相互検証と情報共有を原理とするアカデミズムの世界で成立したこと。しかもそれが、ソフトウェアや各種情報というマルクス主義の理想に非常にマッチした財を扱う世界であったこと。そしてその財が、たまたま今後の経済や社会において重要な役割を果たす存在であったこと。
 インターネットを通じた協力と共有の文化は、非常に興味深い現象を産み出している。たとえばGNUという一連の驚異的なソフトを開発し、再配布とコピー自由で世に送り出しているフリーソフト財団の活動は、世界中のボランティアに支えられており、インターネットなしには困難だっただろう。かれらの活動は、金の取りっぱぐれをどうなくすかにばかり神経を使う通常の商業活動からは想像もつかないものだ。かれらにとって、違法コピーは、違法ではあっても悪いことではない。むしろ人々の共有の輪を広げる美しい活動とされている。いけないのは、コピーを禁じるせこい強突張りな連中であり、違法コピーは連中に金がいかない点でもすばらしいとされる。このような、共産主義そのもののような思想と実践が、インターネット上では立派に成立しうる。
 またこのGNUの派生物ともいえる、急成長OSのLinuxでも事情は同じである。世界中に散らばった、まったく相互に見も知らない連中が、まったく自発的に時間と労力を割き、マイクロソフトやアップルを揺るがすシステムが構築・配布されてしまう。
 ここにはまったく新しい(つまりオルタナティブな)生産と配分の仕組みが成立しているのだ。しかもこれがコンピュータのOSではなくカボチャの一種だったなら、これがここまでの衝撃を持つことはなかっただろう(いや、そうかな。これは今後検討の余地あり)。これからの産業の中心となるはずのソフトの領域で(しかもわけのわからない信念を奉じる連中の手で)、単なるお遊びの域を超えた、市販製品をも上回る製品が作られてしまう――ビジネス界の先鋭的な部分が、現在一番現実的なところでインターネットに対して抱いている期待も恐怖も、そこのところにある。
 一方で、ため込みと囲い込みと隠蔽によって成立していたいくつかのビジネスがもはや成立しなくなりつつあることも大きい。部分的にせよ、公開の文化が隠蔽の文化を駆逐する傾向をもたらす――このインパクトは、たぶんもう少し時間をかけて明らかになる。現在これは、隠蔽システムに対するクラッカーの攻撃などにもっとも顕著に見られる。長期的には、これが地球文明にもたらす影響のほうが大きくはかりしれない。通常、これはアメリカ帝国主義の文化侵略だと思われており、そういう面もないわけではない。が、どこの社会にも大なり小なり存在していて、反ポルノなどの口実で、隠蔽の文化の逆襲も行われているのだ。
 一方、インターネットが大学を中心に広がったことは、もう一つの影響をもたらした。大学生という社会的にもっとも暇で野放図で、商売っ気はあんまりなくて、しかし妙なところで妙な徒党を組み、時に反社会的で生意気で、妙なエネルギーを発揮する連中とダイレクトに接続されたのである。これはオルタナティブな領域全般にとって非常に大きかった。alt系のニュースグループは、こいつらに支えられている面が大きい。そしてかれらが、ネットから離れた部分でもオルタナティブ文化の担い手、ないし購買層として活躍しているわけだ。
 こうした役にたたないどろどろした活動、しかしそれに伴って金にならないことでも情熱をかけられる余裕、アカデミズムの出自から生まれる公開と共有文化、そこから生まれる最先端製品としてのソフトと情報――これらが混沌と混じり合い、インターネットは現在の経済・文化システムに対するオルタナティブな可能性を提示し続けている。そしてそれは同時に、多くのオルタナティブ文化を包含し結びあう、変なインフラであり環境である。巨大な実験場といっていいのかもしれない。だからこれを単なる通販システムとして使おうとしている現在の「ビジネス」利用の多くは、そのちんけさといい視野の狭さといい笑止なのだが、それはやがて、インターネットの側がかれらに思い知らせてくれることだろう。もっともっと使いようがあるのに。そのヒントは、本書にもたくさんある。(山形浩生)
WEB インターネットの歴史
http://apricot.ese.yamanashi.ac.jp/ ~itoyo/lecture/nyuumon/tsld012.htm
WEB さるでもわかるインターネット
http://www.dis.osaka-sandai.ac.jp/~nagasaka/les-int/index.html


[い-018]
インターネット連載
いんたーねっとれんさい
 ここではインターネットのホームページ上における、マンガの連載をいう。大御所・松本零士(新潮社のホームページで連載)の作品から素人のマンガまで、まさに玉石混淆、様々な「インターネット連載」が盛んである。どんなシステムをもってしてもダウンロードに相当な時間がかかり、基本的に「マンガがネット上に載っている」以上のものとはなっていないのが実情。マンガを必ずしもペンとインクで描かなくともよい、簡単に色が付けられる、吹きだし内の活字を自分で工夫できる、劣化がない……等の利点はあるものの、連載1回分のページをめくるのに単行本1冊を読めるほどの時間が費やされる点が解消されないならば、質的な転換は期待できないだろう。
 95年、井上三太が連載誌『コミック・スコラ』休刊に伴い、『隣人13号』の完結編を「ビックトップ」というサーバーを使って連載開始したことが、注目されるきっかけとなった。この時点で単行本(最終第3巻)の発売予定も告知された。つまり「あと1巻分」という作品の量と、発売日という期日を見据えながら連載していったわけである。通常の雑誌連載より厳しい面があったと推測される。結局、単行本第1・2巻の売り上げ以上のヒット数があり、大きな話題となった。ただし、ホームページへのヒット数と単行本の実売数が釣り合わないという問題は、どのマンガ作品でも未だ解決を見ていない。
 96年には、『週刊少年ジャンプ』連載の『SLAM DUNK』(第1部)を完結させた井上雄彦が、インターネット上でバスケットボールマンガ『BUZZER BEATER』を連載開始。97年『月刊少年ジャンプ』でも転載される形で連載となり、秋には大判でオールカラーページの単行本第1巻が発売された。「話題になる作品なら雑誌にも載せたい」という欲が出版社の側に働くからであろう、まだ「インターネット連載」→直接「単行本化」の道は遠いようである。
WEB ワルキューレ
http://www1e.meshnet.or.jp/shinchosha/comics/index.html
WEB BUZZER BEATER
http://www.sports-i.co.jp/sp/FORUMS/F221.HTML


[い-019]
インディーズ(レコード)
indies records
 自主制作レコードの総称。日本のインディーズシーンのスタートは、78年にゴジラレコードから出たミラーズの『衝撃X』とされている。70年末から80年代初頭を第1次、80年代中盤を第2次とするなら、現在は第3次インディーズ・ブームと言っていいだろう。
 現在インディーズ・シーンで活躍してる世代の多くは、バンド・ブームの時、メジャーから青田刈りされ、捨てられた多くのバンドを目の当たりにしており、メジャーに対して懐疑的な部分がある。また本人たちにとって、インディーズはメジャーへのステップアップのための手段ではなく、好きな音楽をやるために必要な方法論である。音楽のジャンルもパンク、ヘヴィメタ、テクノ、ヒップ・ホップ、スカ、ハードコア、ネオアコ、フォーク、レゲエ、ジャズなどメジャーと遜色ないほど細分化され、またそれが存続できるほどライブ会場やインディーズを置いてくれる大手輸入盤店が充実している。彼らはメジャーと契約することに拘っていないし、それが最終目標でもない。その証拠に、独自で海外のレコード会社と連絡を取ったり、海外でクラブツアーをするバンドが相次いでいる。一昔前と違い彼らはテレビ・ラジオやCDは勿論、様々な情報源から欧米のインディーズ・シーンなどをリアルタイムで体験できた世代であり、海外の進出は国内の延長のようなもので、日本のメジャー会社という狭い枠にとらわれていないのだ。ある意味で日本の真のインディーズ・シーンは今始まったのかもしれない。
WEB 


[い-020]
インディーズ・ビデオ
indies video
 日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)の審査を受けずに市場に流通するエロティック・ビデオの一般的呼称。ビデオ映像の実質的な検閲機関であるビデ倫の審査を受けたポルノビデオを一般的に「アダルトビデオ(AV)」と呼ぶことに対する呼称である。非合法映像である「裏ビデオ」と、合法ポルノであるAVの境界線上に位置し、表現内容によっては当局の摘発を受けることもある。80年代前半の「ブラックパック」(黒紙のパッケージが特徴で、内容は主にSM)、80年代後半の「シースルービデオ」(修正が薄い)など、時代によってトレンドを変えつつ十数年来頒布されつづけているが、90年代に入り、事実上陰毛表現が解禁されても、なお頑なに陰毛露出を規制し続けるAVに対し、インディーズ・ビデオは早くから陰毛を解禁し、注目を集めた。とくに95年に発売された『全裸スポーツ』シリーズ(ソフト・オン・デマンド)が、大胆な陰毛露出に挑戦し、ヒット作品となった。
 90年代中盤以降の潮流は、露出度や性交表現の過激さよりもむしろ、女王様プレイや女子トイレのぞき、女め闘と美みなどの倒錯性行為や、脚フェチ、唾液フェチなどフェティシズムを専門的に追求した、家内生産的マイナーレーベルの群立にある。その一方で、AV監督として一時代を築いた豊田薫が主宰する「リア王」のように、より過激なアンチビデ倫的表現を追求し、AVメーカー並のリリースを維持するインディーズ・レーベルも出現している。
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[い-021]
インディーズ風俗
いんでぃーずふうぞく
 店に所属しない、完全自営の個人風俗。97年に発表された『世紀末C級ニュースアワー』(今一生著、ワニ文庫)に初めて紹介された。逆援助交際も正確にはこの一種といっていいが、やはりそのほとんどは女性である。90年代中盤からエロティックなパフォーマンスが見られる東京都内のクラブ・シーンを中心に、彼女たちは出没しはじめた。出張ピンサロをやる予備校生、電話1本で出張ストリップを披露するフリーター、手コキだけの出張マッサージ嬢、ヴァギナ処女なのにアナル援助交際をする女子高生、曜日別に別の男を自宅に連れ込む「接待系」事務OL、週末のアフターファイブにのみ女王様として特定の男性を相手にハードSMを行う外資系営業ウーマンなど、その形態は様々だ。
 彼女たちには必ずしも風俗店勤務の経験があるわけではなく、Q2の伝言ダイヤルやミニコミに営業情報を告知したり、クラブのエロ系イベントで名刺を客に配ったり、アダルトショップの掲示板に連絡先をちぎれるようなチラシを貼ったりして、少しずつ客をつけている。一人で営業する以上、料金やサービス内容、営業時間も客の男との交渉次第。とくに男性が払う金は、当然店より安い(女性にとっては店からもらうギャラより高めに設定することも可能)。インディーズ風俗嬢なら、客と気が合えば、プレイ後にお茶やデートもしてくれる。彼女たちはみな「こっちのことをわかってくれる人だけを相手にすればいい」と言う。その言いぐさが、インディーズの映画監督やミュージシャンに酷似しているところからこう命名されたが、スポーツ新聞の三行広告さえ使うことのない彼女たちの存在は、風俗通やベテランの風俗ライターの目に触れることもない。店に引退を勧告されることもなく、女子高生による援助交際を成立させる「旬」も関係ない。彼女たちは、街の中のゲリラ的なメディアを利用した「現代の街娼」であり、世間が援助交際で騒いでいるのをよそに、それより確信犯的な行為に及んでいる。
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[い-022]
陰謀史観
いんぼうしかん
 世界の事情を理解・説明するときに用いられる「物語」の一類型。世間に流布された知識は偽りに満ちており、正しい情報は隠蔽されているとの信念を前提として、現実の背後に何者かの支配や操作を読みとる。ごく身近な商品流通から宇宙の進化に至るまで、様々なスケールで見られる。典型的なものをあげれば、画期的な新エネルギー源がすでに開発されているが、国際石油資本とアラブ産油国とが共謀して、その発明が世に出ることを妨害しているというようなもの。“悪”の正体は、ユダヤ、フリーメーソン、バチカン、CIA、政府、マスコミ、電通、宇宙人など、様々である。最近の流行では、ウォルフレン流の官僚批判が、これに属する思考法だろう。何者かに社会悪を象徴させる安易な思考方法は、わかりやすく、労せずしてものごとを理解できた気になれるため歓迎される。「わかった!」「そうだったのか!」という快感は、エンタテインメントとしての陰謀史観に欠かせない。その快感は、多くの者の知らない“秘密”を知って、「意識が高い人」になったなどという選民思想的な自我肥大をうながす傾向がある。日常に疎外感や不充足感を持つ者が陰謀史観にハマリやすいのは、そのような慰撫効果のためだろう。もっとも談合などの“公然の秘密”が“常識”として存在することを思えば、社会の“裏”に対して妄想が膨らむことにも必然性はある。
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