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アンリ菅野さん(ジャズ歌手)51歳 腺がんで死去
  日本ジャズ界のトップ女性シンガーとして君臨したアンリ菅野(あんり・すがの、本名梅山静子=うめやま・しずこ)さんが6月30日午後9時33分、川崎市中原区の川崎市立井田病院で腺がんのため死去した。51歳。東京都出身。武蔵野美大油絵科卒業後、ニューヨークへ。帰国後、ロックバンド「アンリ&モーゼズ」で活動。78年、アルバム「あんりいち」でソロ歌手デビュー。80年代に金子晴美、阿川泰子らと女性ジャズボーカルブームを巻き起こした。アンリさんは一昨年7月にがんの宣告を受けたことを自著本などで告白し、闘病生活を続けていた。<詳細記事

滝沢修さん(俳優)93歳 肺炎で死去
 演劇界の最長老で劇団民芸創設者の滝沢修(たきざわ・おさむ、本名脩=おさむ)氏が22日午前11時51分、肺炎のため東京都三鷹市内の病院で死去した。93歳。東京都出身。1925年に築地小劇場に参加し演劇に傾倒。47年に宇野重吉(故人)らと民衆芸術劇場(第1次民芸)を結成。50年に劇団民芸となり、以後代表を務めた。「セールスマンの死」「オットーと呼ばれる日本人」など代表作は多数。77年に紫綬褒章、86年に勲三等瑞宝章を受章。

飯田徳治さん(プロ野球元南海監督)76歳 心筋梗塞で死去
 南海の黄金時代を築いた名一塁手・飯田徳治(いいだ・とくじ)氏が19日午後1時56分、心筋梗塞のため横浜市泉区の国際親善総合病院で亡くなっていたことが22日分かった。76歳。横浜市出身。1947年、南海に入団、好守、強打、俊足の名一塁手として南海の黄金時代を築き、51、52年に打点王、55年には最高殊勲選手賞に輝いた。国鉄に移籍した57年には盗塁王、ベストナインには5度選ばれた。この間、48年から58年まで1246試合に連続出場、広島の衣笠祥雄内野手に破られるまではプロ野球記録だった。現役引退後はサンケイ、南海の監督を歴任。81年に野球殿堂入りした。

竹下登さん(元首相)76歳 呼吸不全で死去
 自民党の竹下登(たけした・のぼる)元首相が19日午前0時53分、呼吸不全のため東京・港区の病院で死去した。76歳。島根県掛合町出身。竹下氏は早大商学部卒業後、島根県議を経て58年、34歳で衆院議員に初当選、故田中角栄元首相の下で実力をつけた。85年2月、反旗を翻す形で、旧田中派内に勉強会「創政会」を結成。故金丸信元副総理らの協力を得て87年7月「経世会」(竹下派)として正式に独立した。同年11月、第74代首相に就任、消費税を導入するなどしたが、リクルート事件に絡んで引責辞任。その後も自民党最大派閥のオーナーとして、「平成のキングメーカー」として影響力を維持し続けた。昨年4月、変形性脊椎症との診断で入院、公式の場から遠ざかり、今年5月引退を表明していた。<詳細記事

皇太后さま 97歳 老衰でご逝去
 皇太后さまが16日午後4時46分、老衰のため、皇居内にある住まいの吹上大宮御所で亡くなられた。歴代皇太后・皇后で最長寿の97歳。お名前は良子(ながこ)。皇太后さまは1903年3月6日、久邇宮邦彦(くにのみや・くによし)王と俔子(ちかこ)妃の長女として誕生。24年1月26日、昭和天皇と結婚。2男5女をもうけられた。26年12月25日、昭和天皇の即位に伴い皇后に。戦後の46年2月から始まった昭和天皇の地方巡幸に合わせるように戦災孤児の施設などを慰問し、その後も植樹祭や国民体育大会などで各地を視察された。77年7月、静養先の那須御用邸で腰椎を痛め、以後、公式行事も欠席がちに。
 14日深夜から呼吸不全に陥り、酸素吸入を受けていたが、16日になって容体が急変。午前7時すぎから、危篤状態となっていた。<詳細記事

松鶴家千代若さん(漫才師)91歳 呼吸不全で死去
 ツービート時代のビートたけし(53)や、キヨシ(50)らの師匠で東京の松鶴家一門の総帥だった漫才師の松鶴家千代若(しょかくや・ちよわか、本名安藤定夫=あんどう・さだお)さんが15日午前3時50分、肺炎による呼吸不全のため入院中の東京・荒川区の磯病院で死去した。91歳。千代若さんは1923年、松鶴家千代八に入門して千代若。24年に初舞台を踏み、31年に千代菊(故人)と結婚して“民謡漫才”で開花。東京進出後「もう帰ろうよ」のギャグで人気に。寄席演芸界の生き字引的存在で“お父ちゃん”と慕われた。75年に演芸界初の紫綬褒章、83年に勲四等瑞宝章を受章している。<詳細記事

梶山静六さん(元自民党幹事長)74歳 閉塞性黄疸で死去
 内閣官房長官や自民党幹事長を歴任、その実力者ぶりから「大乱世の梶山」と言われた梶山静六(かじやま・せいろく)氏が6日午後3時45分、閉塞性黄疸のため東京都中央区の国立がんセンター中央病院で死去した。74歳。梶山氏は茨城県議を経て、69年に旧茨城2区から衆院に立候補し、以来9回当選。「竹下派七奉行」の一人として実力を蓄え、竹下内閣で自治相、宇野内閣で通産相、海部内閣で法相を歴任した。94年6月には羽田内閣崩壊を受け、自社さ連立政権の樹立に尽力。今年1月末に交通事故に遭い、後遺症のため2月29日から入院。その後も回復が思わしくなく、4月25日に政界引退を表明。最近はリハビリを続けていたが、この日午後になって容体が急変したという。<詳細記事




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